運命を超えた自己創造へ

日記

今朝また、

“ただ在る”がふっとやってきて

自己が消えました。

みなさんとも分かち合いたいと思い書いてみました。

ただ在るが現れた時

物事に繋がりがない感覚が現れました。

原因と結果という物語の流れも同時に消える

「それはただ起きているだけ」という感覚。

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真中宇宙にはカルマはありません。

犯罪者も被害者も、善も悪もありません。

光も闇も超えた、ただ一つの光。

私はこれまでずっと、そのようにお伝えしてきました。

IMG_9452(御供えさせて頂きました🙏✨)

自分がある世界には時間があり、

「過去 → 現在 → 未来」という直線があり、

そこをエゴの思考が忙しく行き来します。

そのため原因と結果が必要になり、

“私の物語”が生まれます。

けれど、

自分が無い真中神と溶け合う“ただ在る”の時には、

時間の直線が解体し、

前後という感覚がなくなり、

すべてが同時・ただ一つ。

だから当然、

“原因”と“結果”という構造そのものが消えます。

原因も結果も、

「分離した私」が物語を語るための設定にすぎません。

🌱 タネを撒くと芽が出て花が咲く——これはどうなるの?

こう思うかもしれません。

でも、“私”がいない世界では、

• タネを撒く“自分”はいない

• タネが撒かれるという出来事が、ただそう現れている

• 芽が出たり花が咲いたりするのも、因果として繋がっているわけではない

すべては“ひとつの今”の別の姿であって、

その間を繋ぐ「私の物語」という線が消えているだけなのです。

花は

“タネを撒いたから咲く”のではなく、

咲く時に自然に咲く。

そこに“誰が”という主体はいないという

自分に戻ると不思議な感覚、でも真ん中にしっかりおさまって明晰なハッキリした感覚

その時いかに自分があるとぼやけた曖昧な中にいるか分かるのです。

☀️日常では、自己が現れたり消えたりする

日常に戻ると、私の場合、

自己が現れたり、ふっと消えたりします。

物語を楽しむ私もいます。

でもその背後には、

常に「無い」が静かに知っている。

だからどちらも束縛ではなく、

ただの働きとして起こるだけ。

IMG_9451(御供えさせて頂きました🙏✨)

☀️“無い状態”を維持しようとすると、逆にエゴになる

もしここで、

• 無い状態が優れている

• 有る状態はよくない

• 無い状態を維持しなければならない

と思うなら、それは宗教的・修行的なエゴ。

真中神と分離した古い思考体系です。

“在る”も“無い”も、

どちらも自然のままに現れたらいい。

そして静けさの中で、ひとつ確かに感じた言葉があります。

自分が無いとき、世界が自由になる。

『ただそれが起きている』

そこに様々な思考がない(考えを付けない)

この見方は何はともあれ楽ですよ👍

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今日もお読みいただきㇼゕ̎と੭ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎今日はエゴちゃんをそっと脇に休ませる一日。

よろしければご一緒に。

心がほどけていく自由を、ふわりと味わってみてくださいね💞

sumemima | 完全性の中にただ在る🌟すめみま

2025.12.8

私の体験は言葉に出来るものではありませんが、同じ真中神を生きるみなさんの助けになるかも知れないと思い、出来るだけ近い言葉でそのままあらわしてみました。

【☀️「私は在る」──向かうものではなく、元々ある世界】

分離を超えた世界を、本や教えでご存じの方も多いでしょう。

そこへ“向かおう”と思う人もいるかもしれません。

けれど私の体験から言えば、

そこは向かう場所ではなく、

最初から在るもの。

悟りでも目覚めでもなく、ただの 再認識 でした。

なにかを得たのではなく、

薄いベールがふっと落ち、

本来の透明さが “そのまま” 現れた状態です。

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【☀️真中神でさえ心の世界】

部屋でぼんやりしていた時、

“真中神でさえ私の心の世界そのものだった”

と突然分かった感覚がおとずれました。

その瞬間、

“個人としての私” は不在で、

ただ、空(くう)に近い存在としての「在る」だけでした。

観察者すらいない。

静けさの自分もいない。

ああ、この“何も特別でない状態”が

あの「わたしは在る」とか「ただ在る」なのか、と後で分かった体験でした。

ただ在る

もっと違う言葉で表現したかったのですが、体験中はこの言葉の状態、これしか言いようがないのです。

なんでもない世界が私の中に現れてくるような感覚でした。

外側という概念がなくなり

まるで私が宇宙そのもののように、

すべてが“私の内側に現れている”ように感じられたのです。

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【☀️二つの見方は、同じ一点を指していた】

・自我が消えて “世界だけがある” と感じる見方

・世界が “私の中に在る” と感じる見方

まるで正反対のようでいて、

どちらも 分離がない一点 を指しているものでした。

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【☀️静寂でも至福でもない、“ただ普通” の在り方】

今回の体験は、

悟りの高揚や神秘的な至福といった波が一切ありません。これが大きな特徴です。

静寂でもない。

恍惚でもない。

喜びですらない。

ただ「普通」。

ただ「変わってない」。

ただ「在る」。

特別な霊的体験ではなく、

“当たり前の真実がそのまま顔を出した” だけでした。

IMG_9442(甘いお蜜柑🍊を御供え下さいました🙏✨セッション後に肉体意識に戻り、お蜜柑を頂きながら肉体を持っている奇跡を味わいます💞感謝)

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【☀️これまでの私の体験】

啓示のような光が降りてきた時

空間も時間も消え、

滝のような涙と愛に包まれた体験。

世界の裏側の闇があらわになり、神の世界と重なって見えた時

闇さえ愛の一部だと分かった体験。

天界から、故郷である地球とそこにいる人々を慈しみ抱きしめていた感覚

これらの体験はどれも強烈で、尊く、真中神に包まれ

愛や光や深い気づきに満ちていました。

しかし今回の“ただ在る”は、

それらとはまったく違うものでした。

光でも愛でも涙でもない。

ただ「何もない」自然そのもの。

むしろ、

あの大きな愛や啓示は

“分離のわずかな名残りに響く波”

だったのだと気づきました。

要するに、自我がほんのわずか残っているから、

感情やハートの次元で至福の高まりが起こるのです。

それは未熟なことでもなく、

ただ“波としての現れ”にすぎない。

今回立ち上がった「ただ在る」は、

その波さえ起こらない、

真中神の海のまったく普通の、何も特別ではない真実の静けさでした。

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【☀️個の私ではなく、境界のない“私”】

感じているのは「個の私」ではなく、

私と何かの境目のない状態、真中神の生命(いのち)。

時計の針は動いているのに、

本当には“いましかない”。

この矛盾が矛盾しない状態。

出来事はただ起こり、

過去と未来は実体を持たない。

世界が私の内側にあり、

過去や未来の実体もなく

“出来事だけがただ立ち現れては消えていく”

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【☀️何度も訪れていたのに、特別ではなかったから見逃していた】

以前にも何度か触れていたのに、

“何もない” ために掴まずに日常へ戻ってしまっていた。

今回は、

「これか」

とはっきり分かっただけ。

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【☀️特別視も目標も必要なく、いつでも還れる場所】

けれどその状態をずっと掴みたいという執着はありません。

その状態は真中神の生命にお任せ

分離しているように見える日常でも、

真我霊と共に在る柔らかな喜び(至福感)の中で

この世界を楽しむことができるから。

真中意識に還ることも、

この世界のストーリーを味わうことも、

どちらも

“自然にただ起こっているだけ”

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【☀️究極の真中に在るとは】

広がることも縮まることもなく、

観察者もなく、

“意識”という名さえ超えている、

空(くう)のようでもあり、すべてのようでもあり存在そのもの。

中心に在る。

いつも変わらず、最初からそこに在り続けていた真中(まなか)。

真中神の中で「ただ在る」とは、

その究極の真中そのものに在るということ。

認識も無い

「無のようで無でもない」

「空のようで空でもない」

「ただ在るだけ」

sumemima | 完全性の中にただ在るすめみま

2025.12.6

ふと、「この持ち方では落としそう」と一瞬よぎった瞬間に、

本当にグラスを落として割ってしまう――

そんな経験、誰にでもありますよね。

この現象は、病気や怪我、老いといった身体のことだけでなく、

人間関係のすれ違い、仕事の行き違い、思わぬトラブルなど、

あらゆる“事象そのもの”にも同じように働きます。

今朝、私の中に「障害を持ち、力なく存在している私」というイメージが

ふっと立ち上がった一瞬がありました。

それは過去からの残像のようなもので、

一般的に言えば「障害者になるかもしれない」という

ごく微細で、気づくか気づかないかというほどの無意識に近いレベルで

誰の心にも浮上してくるものです。

このふと現れる

気づく事が難しい微細なレベルで私は消去しています。

みなさんにも出来ますから、そのお話をさせて頂きます。

肉体は永遠不滅ではないので、エネルギー的に出る病の芽に気づき手放すというお話です。

2369FAB0-45BA-4F2E-AF93-A9E78B8A3FC4(友人とのランチ会🍰みんな体の悪い所あるのね〜楽になります様に❣️幸せ😋)

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病は「掴む」ことで現実化します。

私はときどき、病気のことを考えていなくても、ふとエネルギー的に病のイメージがよぎることがあります。

膝の痛み、障害、癌――そうした映像のようなものが、一瞬エネルギーとして通り過ぎていくのです。

もちろんその時、肉体は普通の状態です。

これは過去に触れた情報や恐れが浮上するだけで、今ここで起きている“真実”ではありません。

私たちは日々、さまざまな病気の情報や不安のエネルギーに触れて生活していますから、誰の心にもその残像はあります。

ただ、多くの人は「癌になったら大変」と意識的に恐れる形で反応しますが、私の場合はもっと微細なレベルで、ただふっと通り過ぎるだけのものにも気づきます。

こう言った恐れの類は無意識に掴んでしまうのです。

大切なのは――それに気づいたら、すぐに手放すこと。

その一瞬の掴みが、後の“病の現実”を形作る許可となるからです。

そのイメージがだんだん濃くなると、自分の奥深くで「病になるかも」という許可を与えてしまうことがあります。

だからこそ、気づいたら即、却下!

ポイ(っ∵ )っ⌒☆

真我霊(まがたま)に委ねて解放する意図を置くのも良いですね。

これは病だけに限らず、どんな思いにも言えることです。

心が揺れた時は、すぐに真ん中へと戻す。

その小さな軌道修正が、からだも心も、そして現実の流れも軽やかにしてくれます。

だからこそ

いつも自分の思いに気づいている事がとても大切です。

何度も現れたり頭から離れない場合は、過去世が浮き出てきている為かもしれません。

その様な場合はセッションでご相談ください。

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初めての遠隔セッションを受けさせていただきました。

その後の経過を簡単に報告させていただきます。

①体調面では、その日の晩から夜間尿がなくなりました。

現在は夜間に排尿で起きるのは一回になってます。その前は、2~3回ありました。

②それまでは、家でお酒を飲むのが習慣になってましたが、セッションの次の日から家飲みは全くなくなりました。夏場は酒の飲み過ぎで痛風の発症が心配なのですが、これで外で安心して飲めます。

今後の課題としましては、前立腺の腫瘍マーカーであるPSAの値を基準値以下にしたいと思ってます。これも、真中神からの宇宙生命エネルギーで癒していきたいです。

以上、本当にセッションの効果はあるんですね。

正直なところ、たしかに大きな変化です。

こんなにも、結果がすぐに現れるとは思っていませんでした。これからも安心して大船に乗った気分で参ります。

今後は、両親との解放のセッションを念頭に置いて参ります。

今後ともよろしくお願い致します。

ありがとうございます。

🌟すめみま…

治療では無いので簡単には言えませんが、前立腺の痛み等、改善の実例は多数ございます。シェアさせて頂きありがとうございます🙏✨

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『病にならない生き方』Blog↓

http://sumemima.com/?p=7497

sumemima | 完全性の中にただ在る🌟すめみま

2025.11.29

 

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お金に関するトラブルが続いてましたので

今回、運気を上げるセッションをしてもらいました。

最初は(Aさん)への憎しみ、怒りがあり

そういう感情を消すことがなかなか出来なかったのですが

真中神と繋がることで

負の感情が消えて

とても心が穏やかになってきています。

憎しみ、怒りがあって

Aさん)のことを

「あいつ」とか「あの野郎」とか言っていましたが

今は「(Aさん)」と

心の中で呼ぶことができるようになり

感謝も言えるようになりました。

また、セッションの時に

真中神と繋がらせてもらい

自分の頭上の真中神の光

自分に降り注ぐ

黄金のエネルギーを感じることができました。

そして、あれから

毎日自分でもやっていますが

最初と比べると

頭上に光る真中神の光がとても大きくなり

自分に降り注ぐ光もとても大きくなり

地面の奥深くまで根を張るようになり

真中神に愛を伝えると

滝のように光が降ってくるようになりました。

居心地が良くて

自分の中にある不安や怒りなどの負がなくなります。

どんな人にでも

感謝の気持ち

笑顔になれるし

身近な変化で言うと

まず家族とより仲良くなれました。

(元々仲悪くないんですが、より仲が深まったイメージです)

ご相談させていただいた投資の件も解約の連絡を入れました。

連絡を入れたら

気持ちがすーって楽になって

穏やかになって

なにかに解放された気がしました。

何に解放されたのかな?って

自分なりに考えたのですが

一緒に投資してる仲間(友達)たちから

外れてしまうかもっていう恐怖。

投資から撤退することで

周りから「あーあいつお金に困ったから投資撤退したんだろうな」っていう

バカにされたような目で見られること。

それと、投資をやめることで

将来入ってくるお金がなくなること。

投資先への不安。

この辺だったのかなと。

不安な投資はやめるべきだし

そもそも、投資以前に

まわりからどう見られてるのかとか

そんな事にプレッシャーを感じてしまっていて

自分を苦しめていたのかなと思いました。

それがなくなり

解放された気がしてます!

長くなりましたが

今回のセッションを受けて

・不安や恐れがなくなりました

・負の感情がすーっと消えました

・心が穏やかになりました

・人への接し方が明らかに変わりました

・イライラがなくなりました

これから毎日、真中神と繋がって

もっと運気があがっていけばうれしいなって思います!

すめみまさん、本当にありがとうございました!

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真中神(まなかみ)の宇宙これを神の御国と言うなら

神の御国が開かれない限り運気アップは一時の子供騙しアメ玉にしかなりません。

そして運気アップは

人間関係です。

更には神の御国には独りでは入れません。二人でなければならないのです。

それを知っているので関係性の解放をしています。

運気アップ、、元々私たちは完全無欠な真中神の生命(いのち)の中に創造されているのです。

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どうぞ、ご自身の 心の動きの変化 に目を向けてみて下さい。

心はどのように揺れ、どのように移ろうでしょうか。

心を起こす力は、真中神の力です。

私たちはその力によって心を動かし、

心によってこの世を創り出してきました。

ゆえに、私達は創造主ともいえますが、

しかしそれは自我(エゴ)の創造であり、真中神の愛のみの真の創造ではありません。

自分が創造主だとエゴは勘違いしています。自分で考えて思い通りにしようと、真中神の生命の流れに石を置いて澱ませます。

そこが苦しみの根本的原因です。

今もなお、この世は恐れや心配や不安が覆っています。

それは心が真中神の真ん中の心へと戻り切っていないためです。

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真中神は、私達の想いそのものを直接つくったのではありません。

“想いを起こす力” が真中神の力 なのです。

もし真中神を大いなる海とすれば、

想いはその海に立つ波のようなものです。

そしてその波を 真中へ、静けさへと戻す導き手が真我霊(まがたま) です。

真我霊は真中神の光を受け、

心に立ち上がった波を本来の静けさへと戻す 力 を働かせます。

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🌊🌊🌊🌊

伝え方が難しいのですが、これは私自身が体験の中で感じ取った真理です。

真中神の視座、目はありませんが、真中神から見れば、すべては一つであり、神の愛そのものです。

戦争も、犯罪も、憎しみでさえ、

人の目には残酷さや対立、分断に見えても、

真中神の内には幻想さえもただ “一つの愛の現れ” として在るだけです。

それは決して行為を肯定するという意味ではなく、幻想の夢の奥に、真中神の愛しかない という理解であり、真中神はすべてとお伝えする理由です。

そして、真我霊(まがたま)は、その “真中神の愛の見方” をそっと思い出させてくれる助け手です。

この世の残酷さも、真我霊の目(視座)からはただ “そのまま” に見えています。

その現れを否定することなく、

それを通し余す所なく使い、愛を見せてくれる働き を持っています。

ただし、”真我霊は この世そのものに直接介入して戦争を止める とか、お金を増やすとかそういったことはしません”

なぜなら、真我霊から見れば、

この世は 幻想であり、

本質的には元々存在していないからです。

真我霊が働きかけるのは、常に私達の心の中 です。

ここで忘れてはならないのは、”心を起こす力”は真中神の創造の力です!

そして心の目が開かれ、

ものごとを真中神の愛の目で見るようになったとき、

あなたの “外の世界” にも

自然な変化が現れてくるでしょう。それをしっかり見て下さい。

ですから――

外側を変えようとするより、

内なる真我霊の導きに耳を澄ませることが

この世で真中神の宇宙を生きる神の御国を生きる道なのです。

 

心の細やかな揺れや変化を丁寧に分かち合ってくださる体験談は、

多くの方の道しるべとなります。

なぜなら、湧き上がるエゴの思いが

真我霊によってどのように変化していくのか

その変化する様子がよく分かるからです。

ただし、それは自らが “望む力” を開いたときにこそ起こります。

セッションを受けるという選択そのものが、

すでにその願いと力を示しているため、

大きな変化に気づきやすくなるのです。

シェアいただきありがとうございました✨

IMG_9404(農家のクライアントさんからキウイと柿の御供えを頂きました🙏✨私の元気のもとです)

お読み頂きぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎✨今日も心の動きを細やかに気づき神の眼差しと共に優しく真ん中の心で見ていきましょう。これが元々の幸せな心に戻る状態です。

運気ダウン⤵️があるからアップ⤴️が分かる。エゴは上がったり下がったりが十八番(おはこ)

sumemima | 完全性の中にただ在るすめみま

2025.11.28

罪悪感とは、

自分を“罪人”だと宇宙に宣言しているのと同じこと😅

それは病の原因ともなり、

真中神から離れたという感覚を生み出す、もっとも大きな分離です。

“罪悪感を手放したとき天使のような清らかさが現れる”これをお伝えしたく書いてみました❣️

*罪悪感については重要で保存版にしています。

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エゴの物語が静かにほどけ、本来の光がそのまま現れる ―

罪悪感がふと顔を出す時、

それは“私”という存在が、ほんの一瞬だけ

エゴの物語を本当だと思い込んだサインです。

私たちは赤ちゃんの頃から

「ダメ」「悪い子」と言われ、

知らず知らずのうちに

“私は足りない”“私はどこか悪い”

という罪人の物語を背負わされて育ってきました。

さらに、思い通りにならない相手に対しては、

罪悪感を抱かせる言葉を投げかけ、

また病気になったと聞かされれば何か自分が責められている気がしたり、

学校も会社も社会の仕組みも、

どこか「あなたは足りない」「あなたが悪い」という罪意識を感じさせる方向に流れています。

この世界は罪人を作る世界であり罪悪感は自然に湧き上がってくるように出来ています。

そして私たちは自分を、他人を、社会に対して批判と苦しみを持ち、罪悪感を作り続けています。被害者と加害者はコインの裏と表同じなので、双方に罪悪感が生まれます。

罪悪感とは何か

罪悪感とは、

分離を本当だと思い込んだ心が生み出す痛み のこと。

「私は真中神(まなかみ)から離れてしまった」

「私は何かを間違えた」

「私は不十分だ」

そんな“誤解”がぎゅっと固まった影のようなものです。

実体のない影は、光に触れればそのままほどけていきます。

罪悪感もまったく同じ性質を持っています。

IMG_9372

ある日の気づき

ある日、罪悪感がふっと胸にのぼった瞬間、

私は真我霊(まがたま)に伝えました。

「これは私ではありません。

 真中神の生命(いのち)に属さない、ただの影です。」

押しやろうともせず、評価もせず、

ただそれを見ているだけ。

すると、影はスッと消えて

私の中に純白な光が現れました。

それは天使のように清らかな

何ひとつ傷ついていない本来の光で少しこの現れに驚きました!

そのとき気づきました。

私達は罪悪感さえ無くせば、天使のように本来清らかなのだと

真我霊がその事をハッキリ見せてくれたのです。

この感覚は、

罪悪感を“私だと思い込む癖”がほどけているだけなのだ、と。

影を追い払おうとせず、

抱きしめるように優しく見つめていると、

影は自然に光へ溶けていきます。

子どもと罪悪感

“罪悪感は片側だけに存在できません”

誰かに罪悪感を抱かせれば、

自分自身の心の奥にも同じ痛みが響きます。

子どもを叱る時も、

「悪い子」とする必要はありません。

その子の光を信じて導けば十分です。

反対に、「良い子ね」と褒めすぎることも、

親の期待に応えようと“良い子の役”を演じ始め、

その裏側に罪悪感が芽生えてしまうことがあります。

人は誰かを判断するたびに、

同じ量の罪悪感を自分にも刻みます。

“判断欲求と罪悪感は、いつもセットなのです”

罪悪感が薄れるとき

罪悪感という影がほどけ始めると、

もともと完全無欠の神の子であった私たちが、

そのまま姿を現します。

元々完全無欠なのですから、

神に向かう為に何かを積み上げたり、

修行で到達点を目指す必要はありません。

罪悪感を静かに脇へ置く。

ただそれだけでいいのです。

セッションでは

セッションでは、

私はただ、その方の“本来の姿”――

罪悪感の影に覆われていない、

純白の光のあなた

を静かに見つめています。

それだけで、

“本来のあなた”が自然に現れてくるのです。

みなさんにもそれをお伝えしています。

この本来の光として、

いま目の前の人の内にある“同じひとつの光”に本当に触れるとき、

私たちはすでに真中神の御国をこの地上で分かち合っているのです。

IMG_9371

📩

胸にぎゅっと来るエネルギーでした。

連動していたのですね。

でも、すごいのは、毎回解放をお願いしようと決めると、

すっと痛みエネルギーが引くことです。

「これだよ」と伝えたいからですね。

ありがとうございます。

📩

始まってすぐ、なんだか色々やりたくなってきました。

今までの鬱々とした気分がどこかに行ったようです。

とても眠いのでゆっくりします。

今日もお読みいただきぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎✨💞すめみま

罪悪感という影が静かにほどけるとき、

あなたの本来の光は、何の努力もなく

そのまま現れてきます。

罪悪感の解放は〇〇との罪悪感とご指定下さい。

sumemima | 完全性の中にただ在る🌟すめみま

2025.11.23

💗下着は“思い”を映す魔法のツール

下着は肌に密着しているため、あなたの“思い”エネルギーが最も転写されやすいアイテムです。

以前、緊縛の場に立ち会った際、参加者の皆さんは可愛らしいランジェリーを身にまとっていました。そのランジェリーからは、その人が抱えてきた古い感情や記憶のエネルギーが、はっきりと現れていました。

💗新しい下着と古い下着の違い

• 新しい下着

作った人のコンセプトそのままに軽やかさを感じられました。

• 着古した下着

過去の痛みや疲れなどの感情が転写され、じめっとした印象に見えました。

つまり、下着にはその人が背負ってきた“過去”が宿りやすいのです。

感情のセンターを覆っているショーツは特にそうです。ショーツは、じめっとしたくないですね💦

シメっぽい感情はそのままにしておく必要はないです。私たちは本来、真我霊(まがたま)なので👍

💗下着を変えるタイミング

• 気分をリフレッシュしたいとき

• 新しい自分に切り替わりたいとき

• 生き方を軽くしたいとき

• 男性性・女性性を高めたいとき

思い切って、自分のために“新しい素敵な下着”を贈ることで気持ちが上がり、変化を後押しします⤴︎

💗下着と健康・エネルギー

下着は若返りや健康にも影響します。もちろん、保温や自然素材など物質的な面も大切ですが、ここで注目したいのは**“エネルギー的な側面”**です。

以前、身体の不調を訴えていた若い女性がセッションにいらっしゃいました。神に見せられたのは肌色の大きめ下着、いわゆる「おばさん下着」を身につけている姿でした。

• 身体を労わるために選んでいた

• しかし神から見ると、下着が体を老いや病に向かわせる象徴になっていた

• 意識が若さを忘れていたサイン

カラダもおばあちゃんだと思っちゃうのですよね⁉️

そこで、彼女自身が気分が上がり、ときめく美しいランジェリーへと変えることを勧めしました🎶

男性性、女性性を高めると

更年期という幻想すら無かったり消える事も👍

閉経はまったく関係ありません!

💗男性も同じ効果がある

今はスタイリッシュで機能的なアンダーウェアが豊富です。

• 若々しいデザインは気持ちを高め、男性性を整える

• 身体も心も「若々しい状態」にセットされる

• 背筋が伸び、姿勢もシャキッと

下着は、“その氣になるスイッチ”として使えます。

💗私自身の体験

神がそんな事を。。という目からウロコの体験から、私は**“女性としての幸せを感じさせてくれるランジェリー”**を選ぶようになりました。

服は年齢や見た目とのバランスもありますが、下着は誰もが自由に楽しめる世界です。

• 夏には女性らしいスリップをキャミワンピの様に部屋着にしています。

• 今の時期は暖かさを保ちながら少し可愛くおしゃれなものを選びます。

下着は、気分から身体を勘違いさせる魔法のツール。自分を大切にするための静かで強いスイッチオンに❣️

💗着たい服からカラダも雰囲気も変化

IMG_1981

身につけるものから現実が変化することもあります。

私自身、若い頃はかわいい服は似合わないと思い込んでいました。けれども心の中はロマンチストで、女の子らしい服が好きでした。

内と外が違っていたのです。

• ある事がきっかけで、好きな服を自由に着るようになると、身体や雰囲気も服に合うように変化

• 今では、画像のピンクのコートは私のお気に入りです🌸

💗心が始め、現実は後

周りがしているから、親がそう言うから、流行だから。。

外ではなく

大切なのは、心に問いかけることです。

• 「心から本当にこれをしたいのか?」

• 「このファッションを着たいのか?」

真中神の生命の流れが先

それによって心が動かされ

現実がついてくる

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ふわっと湧いた“好き”のまま、

素直にそれを愛する

それだけで、真我霊のやさしい流れが広がり、

幸せな気分になります❣️

 

 

IMG_9355(ワコールのサルートは高級なのでご褒美ランジェリー✨レースやチュールの服の下に着て透けて見える着方もお洒落ですき♪)

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✨氣持ちの持ち方に加え、真中神の生命(いのち)でカラダを満たす事も本当に変わります✨

エネルギーがしっかりして強い事が若さの秘訣です❣️それは神とともに心が在ることです。シェア頂きありがとうございます🙏

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すめみまさんに言って頂いた事は、

もうグウの音も出ない程、1つ1つ思い当たり…中々辞められない自分にこの歳になって気付きました。

情けなくもあり、いや、ここをちゃんと見直す時だ!とも思いました。ガツンと衝撃がありました。

有難うございました!

昨日夕方に、膝のMRIに行ってきました。だいぶん前に、腰痛の時に一度撮りましたが…短時間でも、あの爆音がとで苦手でしたが、今回は、爆音さえも光のMRIと信じて受けたので、

30分があっという間でした。

大きな音が来るたびに、

大丈夫!だって私の膝は金ピカピカなんですからっ!

と頑張らずに

自然に思えて受けられた次第でした。

有り難かったでした。

そして、少しづつ滑液も血液も吸収されて来ていて、主人もパンパンで腫れた膝を見ていたので、

「あれ?ずいぶんシワになってきたねえと。あっ、そのシワは歳のシワじゃなくてね」

などと言ってくれました(^_^;)

お陰様です。時間が掛かっても、

いづれ吸収されると信じています。何しろ、金ピカピカの膝ですから。本日も、楽しくやって行きます

有難うございました。

とりいそぎ、お礼まで。

sumemima | 完全性の中にただ在るすめみま

2025.11.21

セッションで皆さまと真中神の世界を分かち合えること──

それが、私にとって何よりのよろこびです。

ある出来事をきっかけに「そこを離れる」と決断されたのに、心だけがとらわれて眠れない…というクライアントさんのセッションでした。

心を落ち着けるお薬を飲まれ、

〇〇神道を信仰しておられ、

不安が強くなると祝詞を唱えると落ち着くのだそうです。

「それ、やめた方がいいのでしょうか?」

と聞かれました。

私はただこう申し上げました。

「やめる必要も、続ける必要もありません。

すべては自由です。」

何かに深く依存すれば、その世界がその人の現実になります。

ですが、まだ真中神の感覚がまだ腑に落ちないのなら、

祝詞が不安や恐れの心を鎮めるのなら、それはその瞬間の助けになります。

恐れが静まるのであれば、

どうぞ、どんな方法でもなさってください。

恐れが癒えたとき、

自然と「必要なかった」と静かに離れていくこともあるでしょう。

手放すという行為さえ、起こるときはただ起こります。

お薬もまた、恐れが静まり心が落ち着くのであれば、

その時に必要な助けとして用いられてよいのです。

「すめみまさんのBlogに天之御中主が出てきたので、天之御中主を信仰するのはよいかなとおもっているのですが?」

それも現れとしてみているだけです。

スキルについても同じです。

「毎日した方がいいですか?」という問いには、

「したいと思うならしてみてください。

義務になると、本来の自然さから離れてしまいます。」

とお伝えしました。

私自身は、長く役立ったスキルであっても自然と手放しました。

山本先生から「何か良いものは?」と尋ねられたとき、

長年行った中で、真ん中に戻る最も効果があったものを皆さんと分かち合っているだけなのです。

🌟真中宇宙の星の瞑想

セッションの最後に、「星の瞑想」をお誘いしました。

父が旅立つとき──

先に旅立った母が、遥かな天上で星のように清らかに瞬いていた光景が胸に蘇り星の瞑想として生き続けています。

私たちの内には、誰もがその清らかな光を宿しています。

その光を“星”として観る瞑想です。

問題のお相手も、

自分自身と同じように

ただ清らかに、静かに輝く星として見つめて愛で繋がりひとつとなる

私はかつて、拉致の犯人の「星」とひとつとなったことがあります。そして奇跡が起きました。

これは真中宇宙ではすべてで毎瞬起きているのです。

真中神の世界には、犯罪者もいません。罪はない故にカルマもありません。

ただ永遠の今、愛と生命(いのち)が空(くう)の中に満ちているのです。

瞑想をお伝えしている最中、自然とこう申し上げていました。

天之御中主の星もあります。

あなたの星とまったく変わらず、清らかに輝いています。

天照大神の星も、他の神々の星も、

誰の星も同じように純粋で、静かに瞬いています。

その瞬間、

宇宙がさらに深い慈愛を帯びて広がっていくのが感じられたのです。

それは「真実そのもの」だからこそ、

ただ慈しみが満ちていたのでしょう。

☁️雲は現れて消えていく ── 私たちもまた同じ

すべての神も人も、

真中神という大いなる空(くう)に現れた雲のようなもの。

いろいろな形の雲が現れては、

また空に溶け込んで消えていきます。

波もまた、海から生まれて、海へ帰ります。

雲は雲

波は波

消えていくのは当たり前じゃない?

でも

私たちは、自我は本当に“存在している”のでしょうか?

|

それでも──

だからこそ──

この現れの世界を、

心のまま、自由のまま、

真中神の生命(いのち)の流れにゆだねて

深く愛に抱かれながら楽しみたいのです。

🍬キャンディを口の中で転がすと、

甘くて美味しくて、

少しずつ小さくなって、

やがて溶けて消えてしまう。

けれど、口の中にはしばらく甘い余韻が残ります。

ふと──

今世はキャンディのようだな、と感じるのです。

現れて、溶けて、真中神のなかに消えていく。

けれど確かに、甘い響きだけが心に残る。

そんな風に、

この「一度きりの現れ」を

やさしく味わいながら生きていけたらと思っています。

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🌈お辞めになる原因となった上司から、思いがけないあたたかな言葉を頂き、大変驚いておられました。

それは見せかけではない愛であり、星の光がそのままあらわれた瞬間です。

このようなご報告は他にも多く届いています。

真中神の世界には、批判も裁きもなく、ただ愛だけがあります。

クライアントさまが真中神のまなざしで、相手の純粋な星を実在として見られたからこそ起きた出来事でした。

シェアをいただき、心より感謝申し上げます🙏✨

📩

すめみまさんへ

今回もセッションいただきまして

ありがとうございました

いろいろと悩んでいた上司から

最後にご挨拶のお声を掛けていただきました

他の上司や同僚からは

温かいお言葉やお手紙、お餞別やお花などもいただきました

思ってもみないほど、いろんな方のあたたかさを感じる時間でした

家族の事も、一緒に慌てないように

深刻にならないように

気持ちを軽く見守りたいと思います

今後も星の瞑想をして真ん中意識を感じたいと思います

セッションで解放いただき

いろいろなアドバイスもいただき

本当にありがとうございました

すめみまさんとのご縁に

大変感謝するばかりです

sumemima | 完全性の中にただ在る🌟すめみま

2025.11.16

温泉仲間と紅葉を楽しみに、秩父までドライブしてきました。

何年か前に三峯神社⛩️へご参拝して以来の久しぶりの道のり。東京から車で3時間半ほどかかり、のんびりとした長旅でした。

途中、空を見上げると大きな象の形をした雲が浮かんでいました。

「わぁ、象だ!」と慌ててiPhoneを取り出し、写真を撮ろうとした瞬間、雲はもう丸い形に変わっていて☁️

IMG_9269

でも写真を拡大してみると、その下に龍🐉のような雲が現れているのを見つけました

「龍🐉が撮れたの!」と友人に見せると、「どこが龍?ただの雲じゃない?」と笑われてしまいました

あれ、これって日常と同じことだわと思いました。

私たちは自分が見たいように世界を見ている。

龍を見たいと思えば、

雲は龍の姿になる。

怖れを見たいと思えば、

世界は怖れの形をとる。

見る者の心が、見える世界を決めているのです。

そして、その「現実」も、私たち自身も、

雲のように形を変え続けるもの。

掴もうとした瞬間にもう違う姿になっている。

固定された「何か」なんて、本当はどこにもない。

しかもそれは、意味も目的もなく、ただ移りゆく。

意味や目的を付けているのも、自分。

生命(いのち)の自然な流れは、

真中神(まなかみ)の静けさの中に、ただ起こっているだけ――

それを何もコントロールしない

何も意味づけや解釈をつけず

生命の流れが起こるがままに

心も何もかも

これが自由だ

そんなことを感じながら雲☁️を眺めていました。

***

私たちは秩父市内で一泊しました。

ホテルに向かう前に、まずは武甲温泉♨️へ。

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やさしい硫黄の香りに包まれながら、お湯と地下水の水風呂を交互に行き来して、からだがシャッキリと目覚めていくのを感じました。

最近は、温泉♨️のお湯をペットボトルに入れて持ち帰り、顔につけたりしています。

さらに馬油に硫黄の原液をほんの少し垂らして使っているのですが、「毛穴がないね」と褒められることもあり、自然の恵みの力を感じます❣️

夕食はしゃぶしゃぶ。

お鍋の中には立派な牛肉がドーンと登場。

牛肉は苦手なのですが、せっかくなので一枚だけいただきました。

その一枚のエネルギーだけで、もうお腹がいっぱい。

牛さんの持つ生命の力――あの大地的な力強いエナジーを、あらためて感じました。牛肉が好きな方はこの力も頂いているのね〜

私はすっかり降参です💦

一方、豚ちゃんはやさしい愛のエネルギー。

どちらも尊い生命の表れですが、やはりお肉は少しで十分だわ、と思いました。

ホテルの温泉は弱アルカリ性で「美肌の湯」と呼ばれるやわらかなお湯。

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夜の静けさの中でゆったりと浸かっていると、

意識がどこまでも広がり、境目が消えていく――そんな時間が好きです。

その感覚はまるで、雲が形を変えながら空に溶けていくよう。

いのちの自然な流れの中に、ただ在るだけで満たされていくのを感じました。

(狼さまが写りますようにと前回望んで撮りましたがこれも意味のない事です)

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翌朝は三峯神社⛩️へ向かいました。

山を登るほどに、紅葉は深みを増し、山全体が燃えるような色に包まれていきます。

本殿の下の石畳には、赤目の龍神🐉が浮き出てきたと話題になっていて、

雲☁️と同じように、見る人の意識によって形を取っていくようでした。鱗まで出ていましたよ。

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多くの人が「龍だ」と見ることで、龍🐉として現れていく――それもまた、心の投影の美しい形です。

御祈願の際、「神恩感謝」をお願いすると、もう一つ選んでくださいと言われ、

20〜30もある中からすぐに選べず

パッと目に入ったのが「運気上昇」でしたので、ヤマトココロの運気上昇と思う事にしました

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友人は「金運」と「必勝」を選び、

「だめだよー❗️2つとも曖昧じゃないか。望みはハッキリさせないと」と笑っていました。

お金の神さまのような友が言うと、たしかに説得力があります。そしてそれはその通りです!

その友は契約社員さんを驚かせるのが好きで、“何千万とびっくりする金額”を渡すそうです。

「こんなにいいんですか〜!?」と驚く顔を見ると可愛いやつだなあと思うのだそう

自分だけ持っていても仕方ないから

だそうです。

これも皆さんが言う成功の秘訣と言うものなのかなと思ったのでシェアしてみました。

人を喜ばせるのが好きみたいで私もその恩恵に甘えています😆

でも自分の暮らしはいたってシンプルで、走ればいい車、着られればいい服、住めればいい家。それらには興味が無いみたいです。

余計な事にエネルギーを使っていないせいか

また“なんでも明確に”と指導してるだけあって

明晰でクリアなエネルギーです。

仕事もスポーツもゲームのようなもの、みんなで切磋琢磨して勝ち取るのが楽しいそうです。

そんな友には三峯神社の狼さまの守護がぴったり。

狼さまの投げ飛ばす力は、暴力団並み⁈です。

その眷属さまを1年間ご拝借なさる方は早めにいくことをお勧め致します。16時には受付が終了します。

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帰りは「星音の湯」♨️に浸かって締めくくり。

とってもキレイで飲み物サービスもあります。乳化作用のあるお湯でツルツルになりますが、源泉掛け流しではなく塩素消毒しています。

山々に包まれ、ただ湯けむりの中に溶けていくような、穏やかな時間でした。

sumemima | 完全性の中にただ在るすめみま

2025.11.13

プロローグーーー

真中神(まなかみ)(まなかがみ)とは、”心の力――想いを「起こす力」”です。

私たちの想いは、真中神の「想いを起こす心の力」から生まれた、二元的なもの。

真中神の愛の心とは異なり、私たちの想いは、分離をつくり出します。

けれども、その二元的なものをも含めて全てを見たとき、

ここに在るのは、真中神ただひとつ。

一元も二元も超え、

分離も統合も超え、

幻想も実在も、時も空間も超えて、

光も闇もなく、

そこにただ、真中神が在るのです。

故に――

人を「神と共に」でも、

「神の中に」でもなく、

神として見るなら、あなたは真に神を知る者です。

|

物事を「神と共に」でも、

「神の中に」でもなく、

神として見るなら、あなたは真に神を知る者です。

|

あなた自身を「神と共にある」でも、

「神の中にある」でもなく、

神として見るなら、あなたは真に神を知る者です。

|

不思議なことに、真中神は純粋な愛(生命いのち)そのものゆえ、

二元の現れとして生じた幻想を知りません。

なぜなら、真中神は「愛」そのものであり、

愛と幻想は、もとより相容れないからです。

|

自我が静まり、分離という夢が溶け去るとき、

私たちはその時に初めて気づくのです。

――真中神は愛でしかなかった。

この世界も、私も、その愛であり、

はじめから別なるものは、何ひとつなかったのだと

IMG_9201

真中神の力🌊

真中神は愛そのものです。

けれど、その「愛」とは人間的な情愛ではありません。

「あなたはこのままで完全です」と、静かに抱きしめられるような深い安心――。

その愛をほんとうに感じたなら、

何もかもを投げ出して「お父さん、お母さん」と御胸へ飛び込みたくなるほどの、

限りない深く広大無限な愛なのです。

(人や動物が亡くなるとき、その神の愛がやってくるのを見る体験をすることがあります。その愛にさえ背を向け、この世にしがみつく霊もいます。それもまた恐れによる幻想にすぎませんが、エゴの抵抗がいかに強いかが分かります。

そのエゴさえも、実は真中神の「想いを起こす力」によって私たちの思いとして二元の中に現れたものなのです。)

真中神は人格を持つ神ではなく、永遠の今のすべてです。

生命(いのち)そのものであり、豊かさであり、喜びであり、叡智であり、平安そのもの。

あるとき、さらにその本質を尋ねました。

「真中神とは?」

すると応えはひとこと――**『力』**でした。

以前、真中神を海にたとえたことがあります。

その海に現れている波🌊こそ、私たち(肉体=自我)や自然、あらゆる神々の姿。それらは現れては消える波のよう

その“波を起こす力”――その源こそが、真中神の力なのです。

その力は、キリスト教で「山をも動かす力」と呼ばれている、それなのかなと思います。

けれど実際には、山どころではない。

創造そのものを起こす無限の力なのです。

IMG_9226(昨日もお仕事の後に私のお庭のお友達に会いに行ってきました🐠)

そしてこの「波」🌊のもう一つの側面が、心の力です。

この心の力を、決して侮ってはなりません。

私たちの想いが生まれるその源には、

真中神の力(波🌊を起こす力)がはたらいているのです。

だからこそ、良い悪いにかかわらず、

私たちの思いは現実化していくのです。

⚠️ただし、ここで大切なのは――

「真中神の心」と「自己の思い込みによる想念」は違うということ。

私たちは、この心の力をエゴの願いや恐れに使い、

幻想の世界を創り出してしまいます。

それは真中神の創造ではなく、夢のような影にすぎません。

✨真中神は幻想をご存じありません。

なぜなら、真中神は「愛」そのものであり、

愛は幻想に関わることができないからです✨

IMG_9229(すみだ水族館とエイ 宇宙を連想させる異次元に飛び込んだよう🐟)

そこで――**真我霊(まがたま)**が登場します。

「なぜ真中神と真我霊を分けて呼ぶのですか?」と尋ねられることがあります。

それは、真中神が宇宙全体の“源”であり、

真我霊はその神の“顕れ”として、はじめから私たちの内に輝いているからです

真中神はあまりにも大いなる愛そのものであり、

その純粋さは、分離という夢を見ている心には直接届きにくいのです。

そこで真中神は、ご自身の純粋な御身そのものを、

真我霊として顕されたのです。

それは、与えられたものではなく、

はじめから共に在り、今も変わらずひとつの光なのです。

真我霊は、真中神が創造したままの私たちの本質そのもの。

真中神を映し出す天の国をあらわし、

その栄光を讃美するために存在しています。

真我霊は、真中神の愛そのもの。

|

私たちがこの世で創り出した幻想に怯えているときも、

まるで母が子を包むように、やさしく語りかけてくれます。

この世で自ら作り出した悪夢にうなされている私たちを、

静かに包み、カーテンを開けて神の愛の朝日を招き入れ、

こう語りかける母のようです。

「もう大丈夫。泣かないでね。お母さんがここにいますから、安心しなさい。」

真我霊は、真中神そのものの愛の現れです。

私たちの過ちもよく知っており、

それを決して裁くことなく、何も取り上げることなく、

ただ静かに、愛へと導いてくれます。

IMG_9232(チンアナゴの日11月11日記念パフェ)

私たちには――

真中神の無限の愛の力があります。

それを正しく表せるように、真我霊がいてくれます。

そのまま正しく表すには、ひとつしかありません。

愛で繋がることだけ。

“愛は愛としか繋がることができません”ですから愛の目で真我霊の眼差しで全てを見るーーその事により”力”は元々ある通り働きます。

(真中神の愛は幻想を知らないのです。)

真我霊は、あなたの中にある真中神の純粋な愛の力です。

運気上昇も、最高の現実も、

あなたが頑張らなくても、

それは元々与えられているのです。

天地をも揺るがす創造の力が、いま、静かに働いているのです。

だから、恐れる必要はありません。

厄のほうが恐れて離れていきます。

これらも幻想の想念が起こすからです。

あなたがただ気づき、

その愛の御胸に飛び込むだけでいいのです

今日もお読みいただきぁㇼゕ̎と੭ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎

プロローグは自分の内から自分に向かって語ったものです。できる限り分離を超えた視点から綴られています。

いつも使ってる「助けてもらう」「内にある」といった真中神、真我霊と分離した表現は、分離次元から見た場合の見方であり、あくまで理解の橋渡しです。

すめみま🌟

参考Blog↓

『真中神を知るものは真中神』

https://sumemima.com/?p=22239

2025.11.6

前Bloghttps://sumemima.com/?p=22412『どんな体験にも真中神の贈り物がある✨緊縛』

続き↓

緊縛という世界を通して、私は真ん中意識で女性たちを見つめてきました。

それはまるで、感情の海を眺めているようでした。灰緑やくすんだ紅や橙の線など色のゆらめきが幾重にも重なり合い、

そこには長く抑え込まれてきた生命(いのち)の情熱

――真中神の情熱

それが

さまざまな歪んだ形で現れます。

性欲や食欲、アルコール、賭け事、人間関係など、さまざまな依存として表れることもあります。

それらは「心の解放」や「癒し」と呼ばれることもありますが、

多くの場合、抑圧された自己を一時的に満たすための幻想的な置き換えにすぎません。

つまり、真の癒しではなく「自己陶酔」という夢の中の安らぎなのです。

緊縛を始めてから「モテるようになった」「肌が艶やかになった」「自信が持てるようになった」

――確かに刺激を受けエネルギーが動くため、そうした変化は起こります。

けれど、エゴは幸せを演じて、それ以上先へ進ませまいとします。

緊縛をしていても家庭の中では満たされず、不満や孤独の闇を抱え続ける人も少なくありません。

その背後には、まるでムンクの叫びのような、

抑え込まれた悲しみと渇望の想念体がうごめいています。

ショーの場では、それが巨大な姿となって前面に現れていました。

ここを誤魔化さずちゃんと見て解放しない限り、何をしても真の幸せにはたどり着けません。

IMG_9124(バレエストレッチ後のお茶会🎃)

とはいえ、それを“悪”と見る必要はありません。

なぜなら、私たちは誰もが「真の自己」に目覚めるために、

さまざまな体験を通っているからです。

緊縛という道も、その人にとっての通過儀礼であることもあります。

ただし、それを超えて深い闇を見つめるには勇気がいります。

闇が深ければ深いほど、真の自己と対面するのは恐怖でしかないのです。

光に還る道は険しくとも、

愛のまなざしはいつもあなたを見守っています。

真中神の愛の光は、曇りの日も雷雨の日も変わらず――

太陽のように、ただそこに在るのです。

薬や治療、アロマやクリスタル、音楽や癒しのワークも、

それらで心が恐れから癒され安心の助けになると思うなら、使ったほうがよいと思います。すべては内なる神へ還るための心を少し整える為の準備になるかも知れないからです。

けれどもそれは、真の癒しではありません。

真の癒しとは、外の方法ではなく、

「私は真中神の子であり、永遠に愛そのものの中にある」

と――魂が思い出す瞬間に訪れるのです。

 

 

IMG_9138(御自宅で採れた柿とこちらも自家栽培のピーナッツで作ったかき餅を御供えで頂きました🙏✨秋の恵みをありがとうございます🍂」

 

今日もお読みいただきぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎✨

エゴは不幸を演じて特別な自分を手放さなかったり、「私は幸せよ」と囁いて、真の幸せを覆い隠します。

本当の女性性とは、母なるマリアや観音菩薩のように、静かで、深く、すべてを包み込む愛の力です。

真我霊はそれをギフトとして体験させ、思い出させてくれるのです。(前Blog参照)

あなたの中のブラックマリア、ブラック観音(たとえ)をそっと解放しましょう。

女性性・男性性の解放は、魂の統合への道です。

セッションでも、想念体の解放、男性性女性性の封印解放などを通し真の癒しへの道をお手伝いさせて頂いてます。

*コアな解放ですが、受け手が手放す準備が出来たものを真中神、真我霊が見せてきます。そうでないと収集がつかなくなり返ってよくないです。

sumemima | 完全性の中にただ在る🌟すめみま

2025.11.4