運命を超えた自己創造へ

日記

罪悪感とは、

自分を“罪人”だと宇宙に宣言しているのと同じこと😅

それは病の原因ともなり、

真中神から離れたという感覚を生み出す、もっとも大きな分離です。

“罪悪感を手放したとき天使のような清らかさが現れる”これをお伝えしたく書いてみました❣️

*罪悪感については重要で保存版にしています。

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エゴの物語が静かにほどけ、本来の光がそのまま現れる ―

罪悪感がふと顔を出す時、

それは“私”という存在が、ほんの一瞬だけ

エゴの物語を本当だと思い込んだサインです。

私たちは赤ちゃんの頃から

「ダメ」「悪い子」と言われ、

知らず知らずのうちに

“私は足りない”“私はどこか悪い”

という罪人の物語を背負わされて育ってきました。

さらに、思い通りにならない相手に対しては、

罪悪感を抱かせる言葉を投げかけ、

また病気になったと聞かされれば何か自分が責められている気がしたり、

学校も会社も社会の仕組みも、

どこか「あなたは足りない」「あなたが悪い」という罪意識を感じさせる方向に流れています。

この世界は罪人を作る世界であり罪悪感は自然に湧き上がってくるように出来ています。

そして私たちは自分を、他人を、社会に対して批判と苦しみを持ち、罪悪感を作り続けています。被害者と加害者はコインの裏と表同じなので、双方に罪悪感が生まれます。

罪悪感とは何か

罪悪感とは、

分離を本当だと思い込んだ心が生み出す痛み のこと。

「私は真中神(まなかみ)から離れてしまった」

「私は何かを間違えた」

「私は不十分だ」

そんな“誤解”がぎゅっと固まった影のようなものです。

実体のない影は、光に触れればそのままほどけていきます。

罪悪感もまったく同じ性質を持っています。

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ある日の気づき

ある日、罪悪感がふっと胸にのぼった瞬間、

私は真我霊(まがたま)に伝えました。

「これは私ではありません。

 真中神の生命(いのち)に属さない、ただの影です。」

押しやろうともせず、評価もせず、

ただそれを見ているだけ。

すると、影はスッと消えて

私の中に純白な光が現れました。

それは天使のように清らかな

何ひとつ傷ついていない本来の光で少しこの現れに驚きました!

そのとき気づきました。

私達は罪悪感さえ無くせば、天使のように本来清らかなのだと

真我霊がその事をハッキリ見せてくれたのです。

この感覚は、

罪悪感を“私だと思い込む癖”がほどけているだけなのだ、と。

影を追い払おうとせず、

抱きしめるように優しく見つめていると、

影は自然に光へ溶けていきます。

子どもと罪悪感

“罪悪感は片側だけに存在できません”

誰かに罪悪感を抱かせれば、

自分自身の心の奥にも同じ痛みが響きます。

子どもを叱る時も、

「悪い子」とする必要はありません。

その子の光を信じて導けば十分です。

反対に、「良い子ね」と褒めすぎることも、

親の期待に応えようと“良い子の役”を演じ始め、

その裏側に罪悪感が芽生えてしまうことがあります。

人は誰かを判断するたびに、

同じ量の罪悪感を自分にも刻みます。

“判断欲求と罪悪感は、いつもセットなのです”

罪悪感が薄れるとき

罪悪感という影がほどけ始めると、

もともと完全無欠の神の子であった私たちが、

そのまま姿を現します。

元々完全無欠なのですから、

神に向かう為に何かを積み上げたり、

修行で到達点を目指す必要はありません。

罪悪感を静かに脇へ置く。

ただそれだけでいいのです。

セッションでは

セッションでは、

私はただ、その方の“本来の姿”――

罪悪感の影に覆われていない、

純白の光のあなた

を静かに見つめています。

それだけで、

“本来のあなた”が自然に現れてくるのです。

みなさんにもそれをお伝えしています。

この本来の光として、

いま目の前の人の内にある“同じひとつの光”に本当に触れるとき、

私たちはすでに真中神の御国をこの地上で分かち合っているのです。

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📩

胸にぎゅっと来るエネルギーでした。

連動していたのですね。

でも、すごいのは、毎回解放をお願いしようと決めると、

すっと痛みエネルギーが引くことです。

「これだよ」と伝えたいからですね。

ありがとうございます。

📩

始まってすぐ、なんだか色々やりたくなってきました。

今までの鬱々とした気分がどこかに行ったようです。

とても眠いのでゆっくりします。

今日もお読みいただきぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎✨💞すめみま

罪悪感という影が静かにほどけるとき、

あなたの本来の光は、何の努力もなく

そのまま現れてきます。

罪悪感の解放は〇〇との罪悪感とご指定下さい。

sumemima | 完全性の中にただ在る🌟すめみま

2025.11.23

💗下着は“思い”を映す魔法のツール

下着は肌に密着しているため、あなたの“思い”エネルギーが最も転写されやすいアイテムです。

以前、緊縛の場に立ち会った際、参加者の皆さんは可愛らしいランジェリーを身にまとっていました。そのランジェリーからは、その人が抱えてきた古い感情や記憶のエネルギーが、はっきりと現れていました。

💗新しい下着と古い下着の違い

• 新しい下着

作った人のコンセプトそのままに軽やかさを感じられました。

• 着古した下着

過去の痛みや疲れなどの感情が転写され、じめっとした印象に見えました。

つまり、下着にはその人が背負ってきた“過去”が宿りやすいのです。

感情のセンターを覆っているショーツは特にそうです。ショーツは、じめっとしたくないですね💦

シメっぽい感情はそのままにしておく必要はないです。私たちは本来、真我霊(まがたま)なので👍

💗下着を変えるタイミング

• 気分をリフレッシュしたいとき

• 新しい自分に切り替わりたいとき

• 生き方を軽くしたいとき

• 男性性・女性性を高めたいとき

思い切って、自分のために“新しい素敵な下着”を贈ることで気持ちが上がり、変化を後押しします⤴︎

💗下着と健康・エネルギー

下着は若返りや健康にも影響します。もちろん、保温や自然素材など物質的な面も大切ですが、ここで注目したいのは**“エネルギー的な側面”**です。

以前、身体の不調を訴えていた若い女性がセッションにいらっしゃいました。神に見せられたのは肌色の大きめ下着、いわゆる「おばさん下着」を身につけている姿でした。

• 身体を労わるために選んでいた

• しかし神から見ると、下着が体を老いや病に向かわせる象徴になっていた

• 意識が若さを忘れていたサイン

カラダもおばあちゃんだと思っちゃうのですよね⁉️

そこで、彼女自身が気分が上がり、ときめく美しいランジェリーへと変えることを勧めしました🎶

男性性、女性性を高めると

更年期という幻想すら無かったり消える事も👍

閉経はまったく関係ありません!

💗男性も同じ効果がある

今はスタイリッシュで機能的なアンダーウェアが豊富です。

• 若々しいデザインは気持ちを高め、男性性を整える

• 身体も心も「若々しい状態」にセットされる

• 背筋が伸び、姿勢もシャキッと

下着は、“その氣になるスイッチ”として使えます。

💗私自身の体験

神がそんな事を。。という目からウロコの体験から、私は**“女性としての幸せを感じさせてくれるランジェリー”**を選ぶようになりました。

服は年齢や見た目とのバランスもありますが、下着は誰もが自由に楽しめる世界です。

• 夏には女性らしいスリップをキャミワンピの様に部屋着にしています。

• 今の時期は暖かさを保ちながら少し可愛くおしゃれなものを選びます。

下着は、気分から身体を勘違いさせる魔法のツール。自分を大切にするための静かで強いスイッチオンに❣️

💗着たい服からカラダも雰囲気も変化

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身につけるものから現実が変化することもあります。

私自身、若い頃はかわいい服は似合わないと思い込んでいました。けれども心の中はロマンチストで、女の子らしい服が好きでした。

内と外が違っていたのです。

• ある事がきっかけで、好きな服を自由に着るようになると、身体や雰囲気も服に合うように変化

• 今では、画像のピンクのコートは私のお気に入りです🌸

💗心が始め、現実は後

周りがしているから、親がそう言うから、流行だから。。

外ではなく

大切なのは、心に問いかけることです。

• 「心から本当にこれをしたいのか?」

• 「このファッションを着たいのか?」

真中神の生命の流れが先

それによって心が動かされ

現実がついてくる

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ふわっと湧いた“好き”のまま、

素直にそれを愛する

それだけで、真我霊のやさしい流れが広がり、

幸せな気分になります❣️

 

 

IMG_9355(ワコールのサルートは高級なのでご褒美ランジェリー✨レースやチュールの服の下に着て透けて見える着方もお洒落ですき♪)

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✨氣持ちの持ち方に加え、真中神の生命(いのち)でカラダを満たす事も本当に変わります✨

エネルギーがしっかりして強い事が若さの秘訣です❣️それは神とともに心が在ることです。シェア頂きありがとうございます🙏

📩

すめみまさんに言って頂いた事は、

もうグウの音も出ない程、1つ1つ思い当たり…中々辞められない自分にこの歳になって気付きました。

情けなくもあり、いや、ここをちゃんと見直す時だ!とも思いました。ガツンと衝撃がありました。

有難うございました!

昨日夕方に、膝のMRIに行ってきました。だいぶん前に、腰痛の時に一度撮りましたが…短時間でも、あの爆音がとで苦手でしたが、今回は、爆音さえも光のMRIと信じて受けたので、

30分があっという間でした。

大きな音が来るたびに、

大丈夫!だって私の膝は金ピカピカなんですからっ!

と頑張らずに

自然に思えて受けられた次第でした。

有り難かったでした。

そして、少しづつ滑液も血液も吸収されて来ていて、主人もパンパンで腫れた膝を見ていたので、

「あれ?ずいぶんシワになってきたねえと。あっ、そのシワは歳のシワじゃなくてね」

などと言ってくれました(^_^;)

お陰様です。時間が掛かっても、

いづれ吸収されると信じています。何しろ、金ピカピカの膝ですから。本日も、楽しくやって行きます

有難うございました。

とりいそぎ、お礼まで。

sumemima | 完全性の中にただ在るすめみま

2025.11.21

セッションで皆さまと真中神の世界を分かち合えること──

それが、私にとって何よりのよろこびです。

ある出来事をきっかけに「そこを離れる」と決断されたのに、心だけがとらわれて眠れない…というクライアントさんのセッションでした。

心を落ち着けるお薬を飲まれ、

〇〇神道を信仰しておられ、

不安が強くなると祝詞を唱えると落ち着くのだそうです。

「それ、やめた方がいいのでしょうか?」

と聞かれました。

私はただこう申し上げました。

「やめる必要も、続ける必要もありません。

すべては自由です。」

何かに深く依存すれば、その世界がその人の現実になります。

ですが、まだ真中神の感覚がまだ腑に落ちないのなら、

祝詞が不安や恐れの心を鎮めるのなら、それはその瞬間の助けになります。

恐れが静まるのであれば、

どうぞ、どんな方法でもなさってください。

恐れが癒えたとき、

自然と「必要なかった」と静かに離れていくこともあるでしょう。

手放すという行為さえ、起こるときはただ起こります。

お薬もまた、恐れが静まり心が落ち着くのであれば、

その時に必要な助けとして用いられてよいのです。

「すめみまさんのBlogに天之御中主が出てきたので、天之御中主を信仰するのはよいかなとおもっているのですが?」

それも現れとしてみているだけです。

スキルについても同じです。

「毎日した方がいいですか?」という問いには、

「したいと思うならしてみてください。

義務になると、本来の自然さから離れてしまいます。」

とお伝えしました。

私自身は、長く役立ったスキルであっても自然と手放しました。

山本先生から「何か良いものは?」と尋ねられたとき、

長年行った中で、真ん中に戻る最も効果があったものを皆さんと分かち合っているだけなのです。

🌟真中宇宙の星の瞑想

セッションの最後に、「星の瞑想」をお誘いしました。

父が旅立つとき──

先に旅立った母が、遥かな天上で星のように清らかに瞬いていた光景が胸に蘇り星の瞑想として生き続けています。

私たちの内には、誰もがその清らかな光を宿しています。

その光を“星”として観る瞑想です。

問題のお相手も、

自分自身と同じように

ただ清らかに、静かに輝く星として見つめて愛で繋がりひとつとなる

私はかつて、拉致の犯人の「星」とひとつとなったことがあります。そして奇跡が起きました。

これは真中宇宙ではすべてで毎瞬起きているのです。

真中神の世界には、犯罪者もいません。罪はない故にカルマもありません。

ただ永遠の今、愛と生命(いのち)が空(くう)の中に満ちているのです。

瞑想をお伝えしている最中、自然とこう申し上げていました。

天之御中主の星もあります。

あなたの星とまったく変わらず、清らかに輝いています。

天照大神の星も、他の神々の星も、

誰の星も同じように純粋で、静かに瞬いています。

その瞬間、

宇宙がさらに深い慈愛を帯びて広がっていくのが感じられたのです。

それは「真実そのもの」だからこそ、

ただ慈しみが満ちていたのでしょう。

☁️雲は現れて消えていく ── 私たちもまた同じ

すべての神も人も、

真中神という大いなる空(くう)に現れた雲のようなもの。

いろいろな形の雲が現れては、

また空に溶け込んで消えていきます。

波もまた、海から生まれて、海へ帰ります。

雲は雲

波は波

消えていくのは当たり前じゃない?

でも

私たちは、自我は本当に“存在している”のでしょうか?

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それでも──

だからこそ──

この現れの世界を、

心のまま、自由のまま、

真中神の生命(いのち)の流れにゆだねて

深く愛に抱かれながら楽しみたいのです。

🍬キャンディを口の中で転がすと、

甘くて美味しくて、

少しずつ小さくなって、

やがて溶けて消えてしまう。

けれど、口の中にはしばらく甘い余韻が残ります。

ふと──

今世はキャンディのようだな、と感じるのです。

現れて、溶けて、真中神のなかに消えていく。

けれど確かに、甘い響きだけが心に残る。

そんな風に、

この「一度きりの現れ」を

やさしく味わいながら生きていけたらと思っています。

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🌈お辞めになる原因となった上司から、思いがけないあたたかな言葉を頂き、大変驚いておられました。

それは見せかけではない愛であり、星の光がそのままあらわれた瞬間です。

このようなご報告は他にも多く届いています。

真中神の世界には、批判も裁きもなく、ただ愛だけがあります。

クライアントさまが真中神のまなざしで、相手の純粋な星を実在として見られたからこそ起きた出来事でした。

シェアをいただき、心より感謝申し上げます🙏✨

📩

すめみまさんへ

今回もセッションいただきまして

ありがとうございました

いろいろと悩んでいた上司から

最後にご挨拶のお声を掛けていただきました

他の上司や同僚からは

温かいお言葉やお手紙、お餞別やお花などもいただきました

思ってもみないほど、いろんな方のあたたかさを感じる時間でした

家族の事も、一緒に慌てないように

深刻にならないように

気持ちを軽く見守りたいと思います

今後も星の瞑想をして真ん中意識を感じたいと思います

セッションで解放いただき

いろいろなアドバイスもいただき

本当にありがとうございました

すめみまさんとのご縁に

大変感謝するばかりです

sumemima | 完全性の中にただ在る🌟すめみま

2025.11.16

温泉仲間と紅葉を楽しみに、秩父までドライブしてきました。

何年か前に三峯神社⛩️へご参拝して以来の久しぶりの道のり。東京から車で3時間半ほどかかり、のんびりとした長旅でした。

途中、空を見上げると大きな象の形をした雲が浮かんでいました。

「わぁ、象だ!」と慌ててiPhoneを取り出し、写真を撮ろうとした瞬間、雲はもう丸い形に変わっていて☁️

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でも写真を拡大してみると、その下に龍🐉のような雲が現れているのを見つけました

「龍🐉が撮れたの!」と友人に見せると、「どこが龍?ただの雲じゃない?」と笑われてしまいました

あれ、これって日常と同じことだわと思いました。

私たちは自分が見たいように世界を見ている。

龍を見たいと思えば、

雲は龍の姿になる。

怖れを見たいと思えば、

世界は怖れの形をとる。

見る者の心が、見える世界を決めているのです。

そして、その「現実」も、私たち自身も、

雲のように形を変え続けるもの。

掴もうとした瞬間にもう違う姿になっている。

固定された「何か」なんて、本当はどこにもない。

しかもそれは、意味も目的もなく、ただ移りゆく。

意味や目的を付けているのも、自分。

生命(いのち)の自然な流れは、

真中神(まなかみ)の静けさの中に、ただ起こっているだけ――

それを何もコントロールしない

何も意味づけや解釈をつけず

生命の流れが起こるがままに

心も何もかも

これが自由だ

そんなことを感じながら雲☁️を眺めていました。

***

私たちは秩父市内で一泊しました。

ホテルに向かう前に、まずは武甲温泉♨️へ。

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やさしい硫黄の香りに包まれながら、お湯と地下水の水風呂を交互に行き来して、からだがシャッキリと目覚めていくのを感じました。

最近は、温泉♨️のお湯をペットボトルに入れて持ち帰り、顔につけたりしています。

さらに馬油に硫黄の原液をほんの少し垂らして使っているのですが、「毛穴がないね」と褒められることもあり、自然の恵みの力を感じます❣️

夕食はしゃぶしゃぶ。

お鍋の中には立派な牛肉がドーンと登場。

牛肉は苦手なのですが、せっかくなので一枚だけいただきました。

その一枚のエネルギーだけで、もうお腹がいっぱい。

牛さんの持つ生命の力――あの大地的な力強いエナジーを、あらためて感じました。牛肉が好きな方はこの力も頂いているのね〜

私はすっかり降参です💦

一方、豚ちゃんはやさしい愛のエネルギー。

どちらも尊い生命の表れですが、やはりお肉は少しで十分だわ、と思いました。

ホテルの温泉は弱アルカリ性で「美肌の湯」と呼ばれるやわらかなお湯。

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夜の静けさの中でゆったりと浸かっていると、

意識がどこまでも広がり、境目が消えていく――そんな時間が好きです。

その感覚はまるで、雲が形を変えながら空に溶けていくよう。

いのちの自然な流れの中に、ただ在るだけで満たされていくのを感じました。

(狼さまが写りますようにと前回望んで撮りましたがこれも意味のない事です)

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翌朝は三峯神社⛩️へ向かいました。

山を登るほどに、紅葉は深みを増し、山全体が燃えるような色に包まれていきます。

本殿の下の石畳には、赤目の龍神🐉が浮き出てきたと話題になっていて、

雲☁️と同じように、見る人の意識によって形を取っていくようでした。鱗まで出ていましたよ。

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多くの人が「龍だ」と見ることで、龍🐉として現れていく――それもまた、心の投影の美しい形です。

御祈願の際、「神恩感謝」をお願いすると、もう一つ選んでくださいと言われ、

20〜30もある中からすぐに選べず

パッと目に入ったのが「運気上昇」でしたので、ヤマトココロの運気上昇と思う事にしました

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友人は「金運」と「必勝」を選び、

「だめだよー❗️2つとも曖昧じゃないか。望みはハッキリさせないと」と笑っていました。

お金の神さまのような友が言うと、たしかに説得力があります。そしてそれはその通りです!

その友は契約社員さんを驚かせるのが好きで、“何千万とびっくりする金額”を渡すそうです。

「こんなにいいんですか〜!?」と驚く顔を見ると可愛いやつだなあと思うのだそう

自分だけ持っていても仕方ないから

だそうです。

これも皆さんが言う成功の秘訣と言うものなのかなと思ったのでシェアしてみました。

人を喜ばせるのが好きみたいで私もその恩恵に甘えています😆

でも自分の暮らしはいたってシンプルで、走ればいい車、着られればいい服、住めればいい家。それらには興味が無いみたいです。

余計な事にエネルギーを使っていないせいか

また“なんでも明確に”と指導してるだけあって

明晰でクリアなエネルギーです。

仕事もスポーツもゲームのようなもの、みんなで切磋琢磨して勝ち取るのが楽しいそうです。

そんな友には三峯神社の狼さまの守護がぴったり。

狼さまの投げ飛ばす力は、暴力団並み⁈です。

その眷属さまを1年間ご拝借なさる方は早めにいくことをお勧め致します。16時には受付が終了します。

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帰りは「星音の湯」♨️に浸かって締めくくり。

とってもキレイで飲み物サービスもあります。乳化作用のあるお湯でツルツルになりますが、源泉掛け流しではなく塩素消毒しています。

山々に包まれ、ただ湯けむりの中に溶けていくような、穏やかな時間でした。

sumemima | 完全性の中にただ在るすめみま

2025.11.13

プロローグーーー

真中神(まなかみ)(まなかがみ)とは、”心の力――想いを「起こす力」”です。

私たちの想いは、真中神の「想いを起こす心の力」から生まれた、二元的なもの。

真中神の愛の心とは異なり、私たちの想いは、分離をつくり出します。

けれども、その二元的なものをも含めて全てを見たとき、

ここに在るのは、真中神ただひとつ。

一元も二元も超え、

分離も統合も超え、

幻想も実在も、時も空間も超えて、

光も闇もなく、

そこにただ、真中神が在るのです。

故に――

人を「神と共に」でも、

「神の中に」でもなく、

神として見るなら、あなたは真に神を知る者です。

|

物事を「神と共に」でも、

「神の中に」でもなく、

神として見るなら、あなたは真に神を知る者です。

|

あなた自身を「神と共にある」でも、

「神の中にある」でもなく、

神として見るなら、あなたは真に神を知る者です。

|

不思議なことに、真中神は純粋な愛(生命いのち)そのものゆえ、

二元の現れとして生じた幻想を知りません。

なぜなら、真中神は「愛」そのものであり、

愛と幻想は、もとより相容れないからです。

|

自我が静まり、分離という夢が溶け去るとき、

私たちはその時に初めて気づくのです。

――真中神は愛でしかなかった。

この世界も、私も、その愛であり、

はじめから別なるものは、何ひとつなかったのだと

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真中神の力🌊

真中神は愛そのものです。

けれど、その「愛」とは人間的な情愛ではありません。

「あなたはこのままで完全です」と、静かに抱きしめられるような深い安心――。

その愛をほんとうに感じたなら、

何もかもを投げ出して「お父さん、お母さん」と御胸へ飛び込みたくなるほどの、

限りない深く広大無限な愛なのです。

(人や動物が亡くなるとき、その神の愛がやってくるのを見る体験をすることがあります。その愛にさえ背を向け、この世にしがみつく霊もいます。それもまた恐れによる幻想にすぎませんが、エゴの抵抗がいかに強いかが分かります。

そのエゴさえも、実は真中神の「想いを起こす力」によって私たちの思いとして二元の中に現れたものなのです。)

真中神は人格を持つ神ではなく、永遠の今のすべてです。

生命(いのち)そのものであり、豊かさであり、喜びであり、叡智であり、平安そのもの。

あるとき、さらにその本質を尋ねました。

「真中神とは?」

すると応えはひとこと――**『力』**でした。

以前、真中神を海にたとえたことがあります。

その海に現れている波🌊こそ、私たち(肉体=自我)や自然、あらゆる神々の姿。それらは現れては消える波のよう

その“波を起こす力”――その源こそが、真中神の力なのです。

その力は、キリスト教で「山をも動かす力」と呼ばれている、それなのかなと思います。

けれど実際には、山どころではない。

創造そのものを起こす無限の力なのです。

IMG_9226(昨日もお仕事の後に私のお庭のお友達に会いに行ってきました🐠)

そしてこの「波」🌊のもう一つの側面が、心の力です。

この心の力を、決して侮ってはなりません。

私たちの想いが生まれるその源には、

真中神の力(波🌊を起こす力)がはたらいているのです。

だからこそ、良い悪いにかかわらず、

私たちの思いは現実化していくのです。

⚠️ただし、ここで大切なのは――

「真中神の心」と「自己の思い込みによる想念」は違うということ。

私たちは、この心の力をエゴの願いや恐れに使い、

幻想の世界を創り出してしまいます。

それは真中神の創造ではなく、夢のような影にすぎません。

✨真中神は幻想をご存じありません。

なぜなら、真中神は「愛」そのものであり、

愛は幻想に関わることができないからです✨

IMG_9229(すみだ水族館とエイ 宇宙を連想させる異次元に飛び込んだよう🐟)

そこで――**真我霊(まがたま)**が登場します。

「なぜ真中神と真我霊を分けて呼ぶのですか?」と尋ねられることがあります。

それは、真中神が宇宙全体の“源”であり、

真我霊はその神の“顕れ”として、はじめから私たちの内に輝いているからです

真中神はあまりにも大いなる愛そのものであり、

その純粋さは、分離という夢を見ている心には直接届きにくいのです。

そこで真中神は、ご自身の純粋な御身そのものを、

真我霊として顕されたのです。

それは、与えられたものではなく、

はじめから共に在り、今も変わらずひとつの光なのです。

真我霊は、真中神が創造したままの私たちの本質そのもの。

真中神を映し出す天の国をあらわし、

その栄光を讃美するために存在しています。

真我霊は、真中神の愛そのもの。

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私たちがこの世で創り出した幻想に怯えているときも、

まるで母が子を包むように、やさしく語りかけてくれます。

この世で自ら作り出した悪夢にうなされている私たちを、

静かに包み、カーテンを開けて神の愛の朝日を招き入れ、

こう語りかける母のようです。

「もう大丈夫。泣かないでね。お母さんがここにいますから、安心しなさい。」

真我霊は、真中神そのものの愛の現れです。

私たちの過ちもよく知っており、

それを決して裁くことなく、何も取り上げることなく、

ただ静かに、愛へと導いてくれます。

IMG_9232(チンアナゴの日11月11日記念パフェ)

私たちには――

真中神の無限の愛の力があります。

それを正しく表せるように、真我霊がいてくれます。

そのまま正しく表すには、ひとつしかありません。

愛で繋がることだけ。

“愛は愛としか繋がることができません”ですから愛の目で真我霊の眼差しで全てを見るーーその事により”力”は元々ある通り働きます。

(真中神の愛は幻想を知らないのです。)

真我霊は、あなたの中にある真中神の純粋な愛の力です。

運気上昇も、最高の現実も、

あなたが頑張らなくても、

それは元々与えられているのです。

天地をも揺るがす創造の力が、いま、静かに働いているのです。

だから、恐れる必要はありません。

厄のほうが恐れて離れていきます。

これらも幻想の想念が起こすからです。

あなたがただ気づき、

その愛の御胸に飛び込むだけでいいのです

今日もお読みいただきぁㇼゕ̎と੭ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎

プロローグは自分の内から自分に向かって語ったものです。できる限り分離を超えた視点から綴られています。

いつも使ってる「助けてもらう」「内にある」といった真中神、真我霊と分離した表現は、分離次元から見た場合の見方であり、あくまで理解の橋渡しです。

すめみま🌟

参考Blog↓

『真中神を知るものは真中神』

https://sumemima.com/?p=22239

2025.11.6

前Bloghttps://sumemima.com/?p=22412『どんな体験にも真中神の贈り物がある✨緊縛』

続き↓

緊縛という世界を通して、私は真ん中意識で女性たちを見つめてきました。

それはまるで、感情の海を眺めているようでした。灰緑やくすんだ紅や橙の線など色のゆらめきが幾重にも重なり合い、

そこには長く抑え込まれてきた生命(いのち)の情熱

――真中神の情熱

それが

さまざまな歪んだ形で現れます。

性欲や食欲、アルコール、賭け事、人間関係など、さまざまな依存として表れることもあります。

それらは「心の解放」や「癒し」と呼ばれることもありますが、

多くの場合、抑圧された自己を一時的に満たすための幻想的な置き換えにすぎません。

つまり、真の癒しではなく「自己陶酔」という夢の中の安らぎなのです。

緊縛を始めてから「モテるようになった」「肌が艶やかになった」「自信が持てるようになった」

――確かに刺激を受けエネルギーが動くため、そうした変化は起こります。

けれど、エゴは幸せを演じて、それ以上先へ進ませまいとします。

緊縛をしていても家庭の中では満たされず、不満や孤独の闇を抱え続ける人も少なくありません。

その背後には、まるでムンクの叫びのような、

抑え込まれた悲しみと渇望の想念体がうごめいています。

ショーの場では、それが巨大な姿となって前面に現れていました。

ここを誤魔化さずちゃんと見て解放しない限り、何をしても真の幸せにはたどり着けません。

IMG_9124(バレエストレッチ後のお茶会🎃)

とはいえ、それを“悪”と見る必要はありません。

なぜなら、私たちは誰もが「真の自己」に目覚めるために、

さまざまな体験を通っているからです。

緊縛という道も、その人にとっての通過儀礼であることもあります。

ただし、それを超えて深い闇を見つめるには勇気がいります。

闇が深ければ深いほど、真の自己と対面するのは恐怖でしかないのです。

光に還る道は険しくとも、

愛のまなざしはいつもあなたを見守っています。

真中神の愛の光は、曇りの日も雷雨の日も変わらず――

太陽のように、ただそこに在るのです。

薬や治療、アロマやクリスタル、音楽や癒しのワークも、

それらで心が恐れから癒され安心の助けになると思うなら、使ったほうがよいと思います。すべては内なる神へ還るための心を少し整える為の準備になるかも知れないからです。

けれどもそれは、真の癒しではありません。

真の癒しとは、外の方法ではなく、

「私は真中神の子であり、永遠に愛そのものの中にある」

と――魂が思い出す瞬間に訪れるのです。

 

 

IMG_9138(御自宅で採れた柿とこちらも自家栽培のピーナッツで作ったかき餅を御供えで頂きました🙏✨秋の恵みをありがとうございます🍂」

 

今日もお読みいただきぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎✨

エゴは不幸を演じて特別な自分を手放さなかったり、「私は幸せよ」と囁いて、真の幸せを覆い隠します。

本当の女性性とは、母なるマリアや観音菩薩のように、静かで、深く、すべてを包み込む愛の力です。

真我霊はそれをギフトとして体験させ、思い出させてくれるのです。(前Blog参照)

あなたの中のブラックマリア、ブラック観音(たとえ)をそっと解放しましょう。

女性性・男性性の解放は、魂の統合への道です。

セッションでも、想念体の解放、男性性女性性の封印解放などを通し真の癒しへの道をお手伝いさせて頂いてます。

*コアな解放ですが、受け手が手放す準備が出来たものを真中神、真我霊が見せてきます。そうでないと収集がつかなくなり返ってよくないです。

sumemima | 完全性の中にただ在る🌟すめみま

2025.11.4

 

今日は「どんな時も真我霊(まがたま)と共にあると、必ず神聖な贈り物がある」ということを、私自身の体験からお話ししたいと思います。言わずもがなですが、ショーをお勧めしているわけではありません。

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友人が出演しているということで、スピリチュアル仲間と一緒に“緊縛”の舞台を見学してきました。

日本古来の縛りを芸術として伝える取り組みで、「人の心にあるアブノーマルな衝動をアーティスティックに表現する」とありました。

古いビルの一室はお座敷のような舞台。

天井に竹が二本渡され、そこに麻縄で女性を縛り吊るすという、いわばSMの舞。

観客は二十名ほど、意外な事に男性より女性が多かったです。皆それぞれに興味や好奇心を抱えて来ているようでした。

縛師の男性が語るには、「受け手の女性たちは、自分を抑圧してきた人が多く、解放を求めてやって来る」とのこと。

その日は、初めて出演の女性が縛られる受け手さんでした。受け手は一般の普通の素人さんがほとんどです。

私は「判断を手放し、真ん中の心で見よう」と決めて観ていましたが、

途中で「結構長いなぁ」「縛師のにやりがちょっと気になるなぁ」と少し思ったりもしましたが、そういう判断、雑念は脇におきました。

特別な感情もなく淡々とそのまま観て過ごしました。

終わったあと、仲間と食事をしながら「どうだった?」と誘ってくれた友人に尋ねられました。

友人の一人が「私、苦手かもだからすみっこ暮らし〜😆」と言っていたのに、

終わってみると「年齢いくと気持ち動かなくなるねぇ」と笑っていて、

なんだかそれも微笑ましく一緒に笑い合いました。

IMG_9203(金木犀の優しい香りの季節✨)

私は行く前に幻想の闇を見るのではなく「ここにも神の愛を見られるだろうか、きっと見られるはず」と思っていました。

すると家に帰ってから、ほんとうに突然なんの前触れもなくふと心の奥からこんな気持ちが湧き上がってきたのです。

――女性の穏やかな優しさ、微笑みはそれだけで周囲を幸せにする――

その感覚は、まるで錬金術のように、真我霊が内側で静かに料理してくれたのでしょう。

セクシュアルな意味というわけでもなく

ただ

「女性であることの喜び」が「生命(いのち)の喜び」として蘇り、

ただ微笑みがこぼれ、幸福感で全身が包まれました。

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思ってもみないこの世を完全に超えた世界から、素敵な贈り物を受け取りました。これを深く感じ入る事でしっかり受け取り魂に染み込ませ自分のものにする

それが大切だと想います💞

どんな体験の中にも、真我霊は最高最善の神の恩恵を運び見せてくれます。

大切なのは、自我を一人にさせず、いつも神を入れること。

そして真ん中の心で安らいでいましょう。

私、相手(出来事)、そして真我霊(真中神)。

この三位一体を忘れなければ、どんな時も愛の贈り物がこの世を完全に抜けた真中神の世界から届くのです。

今日もお読みいただきぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎✨ハート神の恩恵は普通に流れています。妨げるものは考えです。判断、批判、嘆き、解釈この思い込みです。愛の世界で幸せに生きる為、真ん中の心でいたいですね💞

sumemima | 完全性の中にただ在る🌟すめみま

2025.11.2

亡骸を目にすると、はっきりと分かることがあります。

——私たちは、カラダではない。

エゴはカラダを使い「自分」という個別性にしがみつきます。

機会あるごとに亡骸をよく見たほうが良いかもしれませんが、

見ても見ても

エゴは、この真理を本当には理解しようとしません。

けれど、亡骸は教えてくれます。

すべてが静かに語りかけてきます。

「生命とは、カラダの中にあるものではない」と。

IMG_9179(抜け殻と思えばここまでしなくてもと思うかも知れない。でも息子は、家の前で車の中で火葬してこの様にしてくれる業者に頼みました。人間と全く同じ火葬で驚きました。真我霊は息子の愛の気持ちに沢山の愛で応えてくれました。

どのような送りかたでも”形ではなく思いだけ”なのです。日常のどんな時も愛からの言葉や行動なのか、それだけが大切なのです)

✨両親とペットの旅立ちを通して

年末年始にかけて、両親が旅立ち、ペットも数日前カラダを抜けて旅立ちました。

亡骸を見て改めて思いました。

霊(生命)が抜けると、カラダはただのものになる。

霊が入っている時は、あんなに生き生きと輝いていた。

——私たちの本体である生命(いのち)って、本当に素晴らしい。

母は前日までデイサービスで笑顔を見せ、

お風呂に入り、クリスマスケーキを「おいしいわ」と食べていました。

そして翌朝、眠るように旅立ちました。

その抜け殻を見たとき

“生きていたカラダ”と“抜けた後のカラダ”の違い

を見せられました。当たり前ですが

霊(生命)が抜けた体は、ただの抜け殻だったのです。

IMG_9159(娘のチルと息子のミン)

✨エゴ=カラダ

私たちは、つい自分を「カラダ」だと思い込みます。

見た目や健康、他人との比較に一喜一憂し、

「自分」という存在をカラダに閉じ込めて生きています。

でも本当の私たちは、カラダではありません。

カラダは、分離を体験するための“器”。

エゴ=カラダとも言えるでしょう。

✨カラダに入りきらないほどの生命

本当の私たちは、カラダには入りきらないほど大きな生命そのもの普遍意識です。

頭では知っていても、

実際にはまだ“カラダの自分”に囚われています。

それでも、私たちの本体である霊を曇らせずにカラダと共に生きたいと思いませんか?

この世の事象に囚われていない霊が宿ると、

その人は光を放ちます。

光背をもつ天使やイエス・キリスト絵を見たことがあるでしょう。

それが真中神の愛——生命そのものの放射です。

俗な言い方をすれば、「オーラのある人」。

それを望むとエゴそのものに戻ってしまい、その様にならないという事になってしまうのですが😅

この世の事象に囚われた様々な思いがなく静かな心で在るので霊がそのまま澄み切っています。

ですから中立なカラダは、静かなカラダとなります。

カラダにとっても、良いことしかありません。

✨生命を曇らせないために

生命を覆う想念をつくらず、

曇らせないようにしたいですね。

カラダではなく、

普遍的生命そのものとして生きる。

それが、いのちを真に生きるということ。

そして——

真中神の輝きのままに生きることです。

それを望むなら、

真我霊は本来の輝きに還るように、

そっと心に光をともします。

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今日もお読みいただきぁㇼゕ̎と੭ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎✨💞

寂しさを感じるとすぐ次のペットや何かで埋めたくなるものですね。

けれどそのたびに、

「真中神の愛の中にいられること」そのことに立ち返ってみましょう。そこには足りないという寂しさはありません。そこには、旅立った愛する者たちともひとつです。

真中宇宙には分離がないのだから、すべてのいのちは一つの光の中にあります。

その静かな愛と共にありますように🌿

sumemima | 完全性の中にただ在る🌟すめみま

2025.10.29

『秋田温泉巡り♨️涙を流すマリアさま』

No.1https://sumemima.com/?p=22276

No.2https://sumemima.com/?p=22296

→続き

なまはげ👹は見た目こそ鬼のようですが、この地区では神の使いなのでツノはなく、一般的に言われる「悪を戒める鬼」とは少し異なります。

実は、田畑の豊作や無病息災をもたらす神の使い――「来訪神」として人々に福を運ぶ存在なのです。

IMG_9154(真山神社)

IMG_9153

今回は、秋田の真山神社⛩️を参拝し、男鹿真山伝承館で「なまはげ体験」をしてきました。

IMG_9126(男鹿真山伝承館)

そこに流れているエネルギーが、東北の民間信仰に共通する独特の波動とよく似ていたため、今日はその印象を書いてみようと思います。

伝承館の空間は、まさに神のエネルギーに満ちていました。

私たちの家の神棚と同じように、天照大神と隣接する真山神社の御祭神が祀られています。

IMG_9085

IMG_9156(ツノのあるなまはげもいます👹真山地区のなまはげは神のお使い)

ただ、その家の中に感じたのは、天に抜けるような澄んだ光の気ではなく、重く暗く深く籠るようなエネルギー。

天照大神+真山神社の神+土地に根づく人々の思念――それらが混ざり合った「人気(にんき)と神気(しんき)の融合」のようでした。

人々の願いや想いが集まることで生まれる“想念の神”。

そのエネルギーは、どこの神社にも存在しています。

人気(人の気)が強まると、神気が少し遠のいてしまうこともありますが、人の想念そのものもまた生き物のように、人の祈りに応じて働くものです。

私たち人間にも、そのような想念の力=念力が備わっています。

想念体として観える“ろくろ首”のような存在も、この念力の働きの一つであり、

「思いは叶う」「思考は現実化する」と言われる“望む現実”や“引き寄せの法則”も、

すべてこの思いの力の現れといえるでしょう。

IMG_9162 (田沢湖亀の井ホテル)IMG_9161

この“思いの力”は、私たちが想う以上に大きな影響をもち、

一瞬一瞬に自らの世界を形づくっています。

ただ、忘れてはならないのは、

自我の創造の力は、良くも悪くも因果の法則の支配下にあるということです。

ここでいう“念”は、真我霊(まがたま)からの導きとはまったく異なる次元のものであり、

真我霊からのものは愛しかないので、因果法則から超然として在ります。

真我霊から顕れるものは、もはや「思考」や「願望」ではなく、

愛そのものが自然に現れてくる“真の創造”です✨

そこには意図も努力もなく、ただ調和と生命(いのち)の流れがあるだけ。

それは因果を超えた、真中神の愛の現れなのです。

――それをはっきり区別して知ることが大切です。

IMG_9162(男鹿温泉)

東北の民間信仰のエネルギーには、土地の歴史と人々の心が深く染み込んでいます。

厳しい自然の中でも、苦難を笑い飛ばし、耐え忍びながら生きてきた人々の魂の重みが感じられ、その“重さ”暗さ”もどこか温かく、力強く響いていました。

地域によってエネルギーの質が異なるのも、日本の信仰の豊かさですね。

なまはげは、実際には村のおじさんたちが演じる、怠け者を諭す優しい鬼。

東北では、大晦日の夜にこの行事が行われ、一年の厄を祓い、来年の豊作を祈って新しい年を迎えます。

人々の心のつながり、そして「神さまはいつもそばにおられる」という感覚に包まれる、あたたかな集落でした。

👹なまはげ豆知識

• 語源:「囲炉裏に長くあたってできる火傷の痕=ナモミ」を方言で「ナモミ」といい、それを包丁で剥いで戒めたことから“ナモミハギ→なまはげ”と呼ばれるようになりました。

• 役割:怠け者を戒めるだけでなく、厄を祓い、家族の健康や五穀豊穣を祈る神の使い。

• 文化的地位:1978年に重要無形民俗文化財に、2018年にはユネスコ無形文化遺産に登録。

• 実際の行事:恐ろしい見た目とは裏腹に、家々では正装で迎え、酒や食事を供え、感謝と敬意をもってもてなされます。

秋田の風に吹かれながら、

「鬼の顔をした神の使い」が、今日も人々の幸せを見守っているのを感じます。

今日もお読みいただきぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎✨様々なエネルギーと3箇所の温泉♨️を楽しんだ旅となりました❣️

sumemima | 完全性の中にただ在る🌟すめみま

息子の猫のメラミンのお話を、前回書かせて頂きました。

その後

一人でお水を飲めなくなってからは、家にいる私が世話をすることになりました。

オムツの影響で便秘になり、その後はずっと下していたので、

お尻の世話やごはんの世話をしながら、寄り添う日々が続きました。

私が少し離れると寂しそうに鳴きます。

ペットの介護も、人の介護と何ひとつ変わりませんね。

エゴがなければ介護は愛そのものです✨

介護させていただいているのです。

真中神の愛を知る為に

IMG_9136

辛い身体のまま生きてくれているのは、

私のためと分かりました。

「真中神の愛とひとつである」

「ミンミンと私がひとつである」

それを深く感じるための時間でした。

みなさんのご家族がそうであっても同じです。

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息子も私も、もうすぐその時が来ると感じていて、

昨日は遅くまで撫でながら過ごしました。

ほんの少し悲しみを感じた時に

どんな時も

愛とよろこびでいること

(ここでいう“よろこび”とは、「共にいてくれてありがとう」という慈しみと、しあわせが静かに湧き上がるような心の感覚です。)

真中神の世界にあることを選び愛とよろこびの中で眠りました。

朝6時、「ミー」と大きく鳴いた声で目が覚めました。

まだ頑張っていることに驚き、前の猫もそうでしたが、別れの挨拶と思いました。

水を口に運ぶと少しだけ飲んでくれました。

何日か前からそばに光の存在が静かに立っているのに気づいていました。

顔がネコなのかは光って見えませんでした。

そのまま頭を撫でているうちに、

あまりにも濃厚な愛に包まれて、私は眠ってしまいました。

8時に目が覚めると、ミンミンはすでに旅立っていました。

まだ小さな身体に温もりが残っていて、

愛の中で静かに安心して体から抜けたのだと思います。

19歳。

息子が引き取るまで、ずっとこの家にいた家族です。再び短い時間でしたが愛を届けに来てくれました💞

たくさんの愛を、ありがとう。

IMG_9137(今まで病気もせず元気だったので旅立ちの時と思い病院にはいきませんでした。動物は悲しみません。見た目を超えて本当の真我霊のミンミンを見ていました😺)

動物は囚われも穢れもない愛そのものです。

愛の表れの個としての波として私たちの元にやってきてくれました。そして今は真中神の海(比喩)に溶け込んでいきました。

私たちが真中神の愛の中に在る時、誰ともお別れはありません。

私も今、大きな愛に包まれています✨

sumemima | 完全性の中にただ在る🌟すめみま

2025.10.26