このシリーズでは、私が感じる「真中神」「真我霊」「人格神(神キャラクター)」「自我キャラクター」の関係を、3回に分けてまとめています。
それぞれのBlogは独立して読めますが、順番に読むと四層の構造を通して全体像がより理解しやすくなります。
四層とは、次のような関係です。
- 真中神 ― 生命そのものの偏りない中心。すべてを包含し、私たちや物語のキャラクターを映す存在。
- 真我霊 ― 透明な生命の質。夢にうなされている私たちをそっと目覚めさせるように優しく働く。
- 人格神(神キャラクター) ― 物語の中で機能する役割として立ち上がるキャラクター。外に映ることで動いている感覚が生まれる。
- 自我キャラクター ― 物語の中で動く主体としての私。役割や欲望、感情を持ち、自分だと思いやすい仮の存在。
(我が家の枝垂れ梅🌸世話もせず雨もほとんど当たらず乾わいた土の中、今年もきれいに咲いてくれました🌸家の解体が4月に始まる。彼女の運命はいかに)|
Blog①:真中神と私 ― 私の今の感覚
真中神は「創造主」という言葉は自分で言っておきながらしっくりこない。
一般的にスピリチュアル用語にこの言葉があるので、使っているけれど、私の今の感覚ではそれは人格的な存在っぽい言葉だ。
真中神は生命そのものの現れのように感じている。
「真中神」という名前も、”やまと言葉”でお願いして来た言葉。
真中神ではなく”大いなるもの”でも、それこそ生命(いのち)だけでも
なんでも良いが、この名前はあらゆる意味でしっくりくる。
“神”という字がついているのも、人間が理解できるように「真中神」とやまと言葉で来たのだ。
真中神を「人間を創造した存在」と考えるなら、当たり前だけど人間は人間を創造できない。
だから私は真中神そのものではない。
でも、切り離された存在でもない。
たとえでいうと、海と波の関係のように説明することもできるし
生命の流れの説明も最近はしている
みなさんに少しでも分かりやすいようにたとえ話として
けれど今は、そのたとえさえ私の中では必要ない
ただ、生命が今、この形をしている。
それが私の今の感覚。
どう感じるかは、各自それぞれの内側にあるものだと思っている。
言葉で真中神を説明することはできないから。
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*海と波のたとえ:
海と波の関係のようなものだと思ってもらうと分かりやすい。
波のひとつひとつが生命の現れや現象だとしたら、海は生命そのものの偏りない中心(真ん中)としての真中神にあたる。
波は形を持ち、流れたり荒れたりする。ときには激しくぶつかり、悲惨な出来事として現れることもある。
けれど、海そのものが残酷なのではない。
悲惨な出来事を愛の表現とは言えない。
でも、その出来事の中にいる生命の本質は、愛から切り離されていない。
波の形はさまざまでも、
海は常にそこにある。
*愛鏡:
そしてもうひとつ、真中神には愛の世界を映す「愛鏡(マナカガミ)」という比喩も使える。
真中神(マナカガミ)とも読める。それは真ん中(中心)として全体を映す存在であり、愛鏡はその世界の愛の質を映すもの。人格神が持つ鏡ではなく、透明で偏りのない生命そのものの反映としての愛の世界。
*生命
真中神を創造主と言うと私は少し小さくなる感覚がした。生命と言った時、それは境界線が無かった。
何故なら
・与える者・受け取る者
・救う者・救われる者
が立ち上がっていないから。
続く→③-②神は外にいないという安心https://sumemima.com/?p=23165
③-③自我キャラクター、神キャラクター、真我霊、そして真中神https://sumemima.com/?p=23178
2026.2.20