すめみま社は、
願いを叶えるための社ではありません。
けれど、
願いがほどけていく場所ではあります。
折紙の叶え雛があり、
御祈願があり、
感謝の形として御供えをいただく事もございます。
(心を込めて手作り頂いた梅と、可愛くて甘いお林檎🍎を御供え頂きました🙏✨大切に頂きます❣️)
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その形だけを見れば、
ごく一般的な「願掛け」に見えるかもしれません。
それでも、
すめみま社は、
いわゆる神社のエネルギーとは異なります。
私自身も最初は、どうしてなのだろう?と思っていました。
特定の神の性質や力ではなく、
もっと静かで、
魂の故郷のような懐かしいもの。
外から何かを授かるというより、
自分の奥に、最初から在ったものに
そっと触れてしまうような感覚。
今はそれが、
真我霊(まがたま)だったのだとわかります。
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恐れや不安の中にいるとき、
人は願いを「掴もう」とします。
なんとかしようとし、
変えようとし、
未来に”条件”を置いてしまう。
そのとき、
心は重くなり、
本来は自然に流れているはずの
いのちの流れが、どこかで滞ります。
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すめみま社で起きているのは、
願いを強めることではありません。
願いを握りしめていた手が、
ほんの一瞬ゆるむこと。
その瞬間、
心が平安に戻ったり、
形が変わって現実が動いたり、
あるいは
「もう大丈夫だった」と気づくこともあります。
どれも、
無理に起こしていることではありません。
愛と平和の真中神(まなかみ)の生命の中に在るだけ。
すると元々ある真中神の生命の流れに自然と戻るのです。
(精魂込めて育てたお米やキウイをお餅やジャムにしてくださいました❣️お下がりはお雑煮にして頂きます🙏)
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すめみま社は、
神を祀る場所ではありません。
神を癒す場所でも、
神とつながる場所でもありません。
神を必要としていた
物語が、静かに終わる地点。
そこでは、
与える者と受け取る者、
祈る者と祈られる者、
内と外
その境目が、
いつのまにかひとつに溶け合います。
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願いが叶うこともあります。
叶わないように見えることもあります。
けれど、
どちらの場合も、
心があたたかく、少し軽くなっているなら。
それが、
すめみま社が
まだ在る理由なのかもしれません。
(心を込めてお選び頂いたお菓子💓を御供えさせて頂きました🙏)
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No.1〜3をお読み頂きぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎✨ 💞すめみま社は、2009年に「すめみま」という言葉の響きを受け取ったことから始まりました。
八百万の神々は、今の私には、
それぞれの個性や御働きを持ちながらも、姿形を超え、真中宇宙においては、ひとつとして感じられています。
(茨城名物の納豆を御供え頂きました🙏納豆は元気の元です❣️)
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エゴはこれでは物足りないと感じます。自分で苦しみを作り、自分で人生をなんとかしようとします。現実化も頑張ってやりたいし、願いを叶えてくれる力ある神社と評判の神社に参拝したい。そう力んでいます。
真実は今ここにあり、何も掴まなくても頑張らなくても自然なもの✨
『No.1人間のエゴ構造を支える象徴としての神☀️』↓
『No.2🌊真実の海に還るか、光に見える幻想に溺れるか』↓
『真我霊からのメッセージ』↓
2026.1.2