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(茨城県の大洗い水族館にサメに会いに行ってきました💞🐠)
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何かに守られたい、救われたい。そう宗教や教義、その世界にすがりながら、同時に源の特別な力も手に入れたい。
セッションでよく見る姿です。
真理を求めているようで、これは実在を実在として受け取っていない状態そのものです。
本質から見れば、宗教や信仰の中で神として捉えられているものも、真中神の現れの一つです。
それを「自分を救ってくれる絶対的な存在」として外側に据えた瞬間、「不完全な私」と外側の神という分離が始まります。
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その枠組みの内側にしか救いがないと思い込み、自ら境界線を引いて、すでにすべてがあるという事実から離れていきます。
宗教の安心も力も手放したくない。でも真中神の力も欲しい。
この二股の姿勢が続く限り、
「何かが足りない私」
「特別な力を求める私」
という主人公を生かし続けることができます。
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真中神を「都合のいい道具」として欲しがることは、真中神を外側の神仏と同じ高さまで引き下げることです。
これは宗教を否定する話ではありません。ただ、外側の神に救われなければならないという物語が、静かに要らなくなるだけです。
ここでは宗教を取り上げて話していますが、スピリチュアルな構造物も同じです。外側に何かを置き、それに救いや力を求める構造は変わりません。
クラウンチャクラは、真中神の生命と響き合う場所です。
そこに外側の神を据えることは、「実在そのものではなく、外側の存在を神として信じます」
そう宇宙に自らの意識の向きを公言しているようなものです。
真中神は、頭頂の回線を開いてどこかから引っ張ってくるようなものではありません。すべてはすでにその現れで、繋がるべき隙間などもとからありません。
必要なのは、新しい力を得ることでも、外側に救いを求めることでもなく、外側とつながるために作り上げた構造物と、力を欲しがっている私という思い込みを、ただ手放すことです。
外側の偶像に祈るのをやめ、真ん中の静けさに戻る。
それだけで、遮られたことのない実在が、そのまま現れます。
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2026.8.22




