“真中神の生命の流れ”というたとえを使っています。
時間と空間があるので過去から未来へ流れているように見えるので、流れと言っているのですが、真中神の生命は流れていません。
しかし現象界においては以下のように循環しています。
家は、人が住まなくなると、新しくても早く朽ちていくことがあります。
逆に、どんなに古くても、人が住み、風を通し、手入れされている家は長持ちする。
新しかろうが、朽ちていようが、
すべては等しく真中神の生命そのものです。
では、なぜそこに違いが現れるのか。
それは現象界における、
「循環」と「還元」という、
生命の流れ方の違いにすぎません。
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💛現象界は「関係性」の循環でできている
家も物も、
単独で固定されて存在しているわけではありません。
空気、湿気、熱、音、
そして人の気配や手入れ。
そうした様々な関係性の流れの中に置かれています。
人が住む家では、
窓が開き、
空気が動き、
水が流れ、
菌も人の氣も循環している
流れの中にあるとき、
分解と再生は絶えず同時に起こりながら、
全体として自然な均衡が保たれていきます。
一方で、
人の関わりが途絶えた家では、
湿気や菌の偏りが起こり、
局所的な分解が強く現れていく。
けれどそれは、
生命が消えたのではありません。
土へ、
水へ、
元素へと還っていく、
「還元」という生命の流れでもあります。
真中神の生命には、
「壊す」「保つ」という意図はなく
ただ、
流れの中で、
循環と還元が絶えず起こっている。
とも言えるのかもしれません。
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💛元々在る生命が開くということ
「関わることで生命が生き生きする」と言っても、
分離したものが外側から生命を与えているわけではありません。
関係性が開くことで、
元々そこに在った生命の循環が、
自然に現れやすくなるだけです。
これは人間関係にも似ています。
無視され続けた存在は、
心が縮こまっていくように見えることがあります。
関係性の流れが静かに閉じ、
生命活動が静かに停滞している状態。
一方で、
見守られ、
触れられ、
存在を受け取られているとき、
その内なる生命活動は、
自然に開いていきます。
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💛すべてに生命があり、すべては流れている
「すべてに生命がある」ということと、
「関わることで生き生きする」ということは、
矛盾していません。
バクチャー水槽に酸素を入れたり足す水を浄水器の水にする必要は無いけれど
循環だけは止めると腐敗します。
量子物理学でも、
世界は孤立した固定物というより、
関係性の中で姿を現していると言われています。
そう考えると、
現象界が「流れ」の中で保たれているように見えるのも、
どこか自然なことなのかもしれません。
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(フラッシュなトマトをお供えくださいました🙏✨菌水も作ってみたら思いのほか良かったです👍)
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今梅雨に備えて
大切なバックをしまっている布袋に納豆菌をスプレーして乾かしたものを使ったり
納豆菌を染み込ませた炭を忍ばせたり
乾燥している時は納豆菌はお休みモード。梅雨にスイッチが入ってカビ菌に勝ってくれるかなと期待٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
そして念入りにカビ防止剤のクリームで磨いたりしています。
物を手入れし、
大切に扱う優しい時間。
それも
元々在る生命の循環の中に
在る時間なのかもしれません。
今日もお読み頂きぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎💞
2026.5.29