(随時内容更新)
真中神は生命そのものであり
終わりなき始まりなき神
光と闇を超えた一元の神
神我を真中神(まなかがみ、まなかみ)と呼ぶ様になって、より一層中立に物事を見る目が冴え、自己パワーが内に集まり外の世界に振り回されない様になったと感じます👍
名前に意識が合うのです。そこで今日は真中の意味を理解して観念に囚われず、より楽に自由に生きられますよう願って書いてみました。
真ん中意識は神の本質である純粋無垢な意識です。真中を生きる事は神の流れに逆らわずに乗ることです。真ん中意識は身体感覚にも言える事で、身体感覚は潜在意識、無意識層とも繋がっています。
すべてを映し出しているのは自分自身
一人ひとりが自分の宇宙の中真(中心)だと私は考えます。
その中心から見えない世界も見える世界も、自分も他人もみーんな繋がっています。問題が自分の世界に現れたなら、被害者になるのではなく自分の内から変えようと私は思います。自分の人生に自分で責任を持つ生き方、これを自己パワーを所有する生き方と言っています。
通常私達は何かあれば偏った見方、過去の囚われから解釈します。真中神と共に在れば、または真ん中意識で事象を見れば、神が何を自分に示し申されているのかが分かる(気づく)のです。
神は申し示す字の如くです。
真中神(まなかがみ)、真我霊(まがたま)と生きる目的は、本当の自分を知り自分に嘘を付かず正直に生きる事です。そこに真ん中意識は欠かせないものとなると思っています。
真ん中の意識は0意識、静寂の場で、現在に在る事、自由と安心、調和です。取りも直さず本来の自分自身であり神意識の場となります。
真ん中を意識して生きる事によって、力無い自分を前提に生きるのではなく、自分という本霊で、本来のパワーを所有した生き方をする事が出来ます。
真ん中意識は謙虚さでもあります。
人間は思い込みによって制限されていますから、神の真ん中意識で生きる為には静観して気づいている意識の自分を作っていくのが良いです。これは純粋無垢な意識であり真中神の意識であり本当の自分であり、分離のないすべての意識でもあります。
それを助けてくれるのが、真中神、真我霊の真ん中意識です。
(解放はこの意識に脳を再構築していく効果もありますが日々の気づきは欠かせません)
真中神と真我霊との違いについてはコチラ↓
真ん中は色々な側面から気づく事が出来ます。
🔅物にも身体にも心にも真ん中(中真)がある
宇宙意識にも人生の道にも真ん中がある
この宇宙には完全な法則が働いているのです。
真ん中から外れ一方に偏るとバランスを崩します。真ん中に戻ろうと精算が起きる、これが問題として現れます。
(下◯に・の図Blog参照)
真ん中意識、真ん中感覚が本来の状態と知る事で、ブレながらも戻ろうとする事が出来ます。問題、苦しみは真中意識に気づき真中神に戻る道の標識と思います。
🔸真ん中から外れた好き嫌い、良い悪いも相対する力なので、その偏った見方で直線に片一方にいくのではなく、真中神の完全な視野で相対するものを溶け合わせ調和させ見ていく事で、まるい心で問題を生かす事ができるのです。これは自分の考え、他人の考えに囚われて対立する時も同じです。相対するものを溶け合わせ真中神の見方で見る事をしていくと話し合いの目的を見失わないで、良き方向に向かうはずと思います。
“ねばならない“も同じで、植え付けられた思い込みではないだろうかと見直したり、したら?しなかったらどうなるのか?真中神の視野で達観して見ると、全く違うものが見えたりします。
好き嫌いがあっても、それに囚われないなら真ん中意識で行動が出来るはずです。好き嫌いに囚われていると今度は相手が自分を好きか嫌いかに囚われそれに振り回されて生きるようになります。好き嫌いがあっても真ん中意識なら好き嫌いで態度を変えたりしないものです。
大大好きに囚われている人は相対する大大嫌いも出てきます。人前で無理に明るくしている人は家では暗いとなったりです。スピリチュアルな人に多いのですが、良かれと不自然な愛を故意に相手に送ったりするのも逆に嫌がられたり、真中のバランスを崩す想念は出来るだけ出さない事です。私たち存在にそのままある無条件の愛は真中の世界です。
〇に・の図についてはコチラ
↓
🔸悩みがあっても病気でも今のままで完全なあなたです。なぜならその状態でバランスをとっているからです。それが真中神の完全性の現れです。片足が悪くなれば反対の足でバランスを取る。目が見えなくなれば音や感覚に敏感に冴える。
🔸真ん中意識では、身体感覚も敏感になります。手を繋いだ時の感覚、魂の波長が合うかが分かる。真ん中感覚の本質は真中神ですから大きな安心感です。頭で考えて付き合うから相手を間違ったりします。
真ん中感覚を意識して物を丁寧に扱う。真ん中からズレていると物を壊したり、怪我をしたりします。真ん中感覚は、心技一体というように精神と肉体にズレがなくなるのです。
🔸また禍があってもそれは真ん中に戻ろうとしてバランスをとっているのです。カルマの精算ともいえます。真ん中に近づくほどに問題はなくなってくるのです。
困難、苦しみ不自由さは真ん中から一方のみに偏っている事を教えてくれているのです。真ん中感覚は静けさ安心、思い込みなどから自由な心、二元性を越えた大調和の感覚なのでここだよと分かります。
目の前の出来事、心の状態を真中神の深い理解に繋げる事で、新たな視点が生まれ広い視野で捉える事が出来るのです。
人生の荒波を渡るに時、真中神が真に頼れるあなた自身であり、なにがあっても絶対的な拠り所となるのです。
《真ん中意識》
・自分を主体とした生き方、考え方が出来る。
・自分で作った思い込みや他から植え付けられた観念から自由になる
・依存に偏らず自分の足で立っている状態である。
・会話(メールも)肉体、仕事など真ん中が分かるとバランス効率がよくなる。
・日々の出来事は必然でなぜそうなるのか理解する様になる
・外の世界は自分の内側の見方が映し出したものと理解できる
・内外、陰陽、善悪、正偽などの対立、二元性から見るのではなく対立したものを溶け合わせた新たな視点でみる事が出来る
・今の瞬間を中立な目でみて、丁寧に生きる事が出来るようになる
自分に必要なものはサッと掴み、必要なくなればサッと離す。何ものにも束縛されない自由自在の生き方は、本来の自分である神はなにも握っていないので、真ん中意識に近づくとそれが出来るようになってきます。
補足)
真中である神からズレるのは人間の想念ですから、思い込みを外した真中神の気づきにより、無駄な想いを少なくする事が出来ます。
*今まで神さまのメッセージから善の意識は神の素質で善悪を超えたものとして話してきました。善悪の二元性を説いているように誤解してしまう方もありますし、人間が善の意識であろうとすると逆に神と同じ善の想いとならない時に罪悪感が出たり、善の行動の代償がないと葛藤したりして難しいようです。
真ん中、中真、中立の方が理解しやすいかも知れません。
この考え行動は、自由自在であるか?不自由であるか?で分かります。
*宇宙の高い所の真ん中にしか神がいない訳ではありません。純粋無垢な真中の意識に存在します。神の意識は外宇宙、肉体である内宇宙すべてに遍満しています。
真中神(まなかがみ)の目となりあなたとあなたの周囲を愛鏡(まなかがみ)に映して中立な目で静観して、自由自在に生きられる真ん中の意識に正していく
これが幸せに生きる真中の心です。
助けとなるBlog
『神我を生きるは真ん中(中心)を生きる✨』
『真中神と真我霊について✨』
今日もお読み頂きぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎✨真ん中意識は、大切にしてきた中立な見方を、みなさんに分かりやすく発展させたものです。
絵…真中
随分前に作った名刺ですが、自然と◯に・の真中を描いていました。
すめみま🌟
2023.1.27