日記
→続き
私たちも、聖母マリアさまも、真中神(まなかみ)に抱かれた波のひとつ。
真中神の心から私の心を通して受け取ると、
マリアさまの言葉は、恐れではなく、愛への呼びかけとして響いてまいりました。
“何を信じるか”
どのような宗教の世界、
どんな国に
どんな時代に生きるかで
「聞こえてくる声」はそれぞれ違って捉えられるものです。
けれども、私にはどの言葉の奥にも、真中神の愛の響きが息づいています✨
⸻
✨全聾の修道女が聞いた聖母マリアさまからのお告げ✨
私の娘よ私の修練所よ。主を愛し奉仕っていますか。主をお愛しするなら、私の話を聞きなさい。これは大事なことです。そしてあなたの長上に告げなさい。世の多くの人々は主を悲しませております。私は主を慰めるものを望んでおります。天の御父のお怒りを和らげるために、罪人や忘恩者に代わって苦しみ、貧しさを持って、これを償う霊魂を御子とともに望んでおります。
御父がこの世に対して怒り賜うっておられることを知らせるために、御父は全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。
御子と共に何度もその御怒りを和らげるために努力しました。御子の十字架の苦しみ、御血を示して御父をお慰めする至愛なる霊魂、その犠牲者となる集まりを捧げてお引き留めしてきました。
祈り、苦行、貧しさ、勇気ある犠牲的行為は、御父の御怒りを和らげることができます。
あなたの会にも私は望んでおります。貧しさを尊び貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、屈辱の償いのために、改心して祈ってください。
聖体奉仕会の祈りを心して祈り実践して贖罪のために捧げてください。各自の能力、持ち場を大切にして、そのすべてを持って捧げるように在俗であっても祈りが必要です。
もはやすでに祈ろうとする霊魂が集められております。形にこだわらず、熱心を持ってひたすら聖主をお慰めするために祈ってください。
あなたは心の中で思っている事は、まことか。まことにして捨て石になる覚悟がありますか。
主の浄配になろうとしている私の修練女よ。花嫁がその花婿にふさわしいものとなるために、3つの釘で十字架につけられる心を持って、誓願を立てなさい。
聖貧、貞節、従順の3つの釘です。その中でも基は従順です。全き服従を持って、あなたの長上に従いなさい。あなたの長上は、よき理解者となって、導いてくれるでしょうから。
(1973年)
まさにキリスト教の世界を通したメッセージです⸻
No.1→もう一つのメッセージhttps://sumemima.com/?p=22276
キリスト教で語られる愛は、本来「裁きの愛」ではありません。
イエスの示したのは、無条件の赦しと光の愛です。
では、なぜ“裁きのイメージ”が生まれたのでしょうか?
それは後の時代、人々が恐れをもとに「罪を犯したら神が罰する」という教えを信仰を正す道具として強調したためです。
つまり、それはイエスの愛そのものではなく、人間の恐れが生んだ神の姿でした。
|
真中神の愛は、そのさらに奥にある源。
そこには、罪も罰もなく、すべてがひとつに溶け合う完全な愛だけが在るのです。
それゆえに神は決して罰する存在ではないということです。
|
先日のセッションで、過去世において人を裁いていたビジョンをお伝えしたあと、
クライアントさまがこう仰いました。
「人を裁くことは怖いです。人ではなく、神様の領域ですね。」
多くの方がこのように感じておられます。
この世には「罪と罰」という観念が深く根づいているため、
私たちは子供の頃から既にほんの些細なことでも、常に罪悪感を抱きがちです。
しかし――
⸻
真中神の御心は愛そのもの。
ゆえに、罪というものを知りません。
✨✨✨
神の御心に還りしとき、
すべては初めより赦されており、
このままでよきこと、魂に深く覚るなり。
神、愛する我が子を裁くことなし。
はじめより罪などなきゆえなり。
✨✨✨
これこそが真理です。
罪悪感こそが、あらゆる不幸のスイッチであり、
真中神との分離の最たるものです。
ーーー
真中神(まなかみ)は善悪を知りません――愛のみだからです。
真我霊(まがたま)は、良い悪いに関与せず、
「間違い」は幻想であり、もとより存在しなかったことを知っています。
裁くのは外の神ではなく、自らの心。
その心が恐れを手放し、愛へ還るとき、
「罪」という影は消えていきます。
真中神の世界には、罰もなく、犠牲もなく、永遠の平和と愛の光だけが在るのです。
(男鹿半島🌊自然は最高の癒しでした)
🐟様々な思いの世界を様々な人や生物は生きています。そこを通して世界は見えてきます。アマゾンの魚も日本に来てもその世界から出られません。
私たちは、井の中の蛙大海を知らずなのです。
集合意識の囚われを超えて、真中神の世界に抜けましょう!その為に常に真我霊とひとつとなり自由な心で生きましょう。
次回は民間信仰について 続き→
2025.10.18
秋田の温泉巡りに行ってきました♨️
男鹿温泉とGAO水族館、乳頭温泉、他に行ってきました。
田沢湖を通って武家屋敷から秋田市内に帰って来ました。新幹線の時間まで涙を流す奇跡のマリアさまと市内の温泉に入りました。ぬめりがあって素晴らしい温泉ですね♨️
(どこもきりたんぽ鍋 甘味噌をつけて焼いたのが美味しかった😋)
|
キリスト教だけではなく仏教、神道のメッセージも罪と罰に基づくものが大半です。
耳の聞こえないシスターに降りて来たマリア様のメッセージを随分前に読んでずっと疑問に思っていました。
なぜなら私の知る神と違って書き記された言葉自体は、怖いメッセージだからです。その奥の真中神の御心から、その疑問も解消されたと感じたのでシェアさせて頂きます。
みなさんはどう感じられるでしょうか。
秋田市内にその修道院はあると聞き友人と尋ねてみました。
|
🔸この地上界における神々
たとえば宗教における「天の父」「裁きの神」「怒る神」は、
実は人間の”集合意識の投影”
人々が「罰を恐れ」「善悪で秩序を守る」段階にあるとき、
神もまたそのレベルに合わせて、秩序と懲戒を司る存在として顕れるのだと思います。
そう映さねば人が理解できない世界において、
神が“教育的な姿”を取らざるを得ないのです。
いわば、まだ幼い心の段階に合わせて、厳しい親の仮面をかぶるようなものです。
そうするとメッセージは、
悪い事を改めないとお尻を叩きますよ。。
脅して改めさせるというような感じになります。
☀️真中神の世界では
そのような罰や報いは存在しません。
それはすべて幻想の中の出来事。
真中神の世界では愛しかない
そもそも分離も罪も起きていないからです。
故に赦しもない
⸻
🔹宗教における「神」
多くの場合、人間界と高次界をつなぐ中間層(人間界の神次元)におられます。
そこにはまだ二元性があり、善と悪、光と闇、因と果の法則が働いています。
そのため、そこでは「罰する神」「救う神」という対立構造の中での教育が行われるのです。
ーーーー
神は変わらずとも、人の意識が変われば、神の姿の映り方が変わる。
恐れの意識には裁く神が映り、
愛の意識には抱く神が映る。
⸻
すべては人の心が創り出すのです。
✨秋田のマリアさまの御言葉✨
ヨハネの黙示録にあるように、
光と闇が入り混じるとき、
心に問われるのは、恐れではなく、信じる愛です。
愛を忘れ、互いを責め、
自らを苦しめているその痛みを、
御父は深く心を痛めておられます。
神の御子であるあなたたちの心には、愛の種が宿っています。
その種を大切に育てなさい。
愛と思いやりをもって互いに助け合い、
悪の声に耳を貸してはなりません。
人の心が神から離れると、
そこに罪という思いが生まれ、恐れが根づきます。
その恐れが、まるで天の罰のように世界を覆ってゆきます。
あなた方には理解できないかも知れませんが
それは神の怒りではありません。
あなたたちの心が映し出している影にすぎないのです。
思い出してください。
神はあなたを裁くことなく、決して見捨てることもありません。
どんな時も、あなたは神の子として愛されています。あなたも御父を悲しませるのではなく喜ばせなければなりません。
恐れを手放し、愛に還りなさい。
そのとき、世界は新しく生まれ変わります。
ヨハネの黙示録が語る「新しい天と新しい地」は、
遠い未来のことではありません。
それは、あなたの心が愛に目覚めた瞬間に、すでにここにあるのです。
御父の御心に還り、
どうかその愛の世界を、今ここで生きてください✨✨
✨
これは真我霊の伝えている事と同じですね。
神の子である自分を忘れた人々が、エゴ(自我)を自分だと思い込み、 恐れや欲望に支配されて互いに争う。
正に地獄絵図のようになった世の中
この事をマリアさまは嘆いていらっしゃる
イエスの様に真我霊を生きなさい
そうすれば
「見よ、新しい天と新しい地が現れた。
もはや死はなく、悲しみも叫びも痛みもない。(黙示録21章)」
というのは、
外の世界が変わるのではなく、
心の中が完全に癒され、恐れや死が存在しない“神の王国”が現れる。
神の愛に完全に目覚めた意識の世界=真中神の御心のままに生きる世界のことです。
|
|
最初にマリアさまは
「あなたが来ることは分かっていました」と仰いました。
巡礼に来る方々のことは、すべてお分かりになっているようです。
この日は外国からも何人かの方がいらしており、
こちらの修道院は「涙を流す奇跡のマリアさま」として有名なのだそうです。
メッセージは「ヨハネの黙示録にあるように〜」から始まったのでキリスト教に詳しくない私は何度か”分かりやすく”とお願いして簡単ですが受け取りました🙏
ーーーー
✨全聾の修道女の聞いたマリアさまからの御言葉✨
愛する私の娘よ。 これから私の話すことをよく聞きなさい。そしてあなたの長上に告げなさい。 前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、 御父は全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。 その時、御父は大洪水よりも重い今までにない罰を下されるに違いありません。 火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死に、司祭も信者とともに死ぬでしょう。 生き残った人々には死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。 その時私たちに残る武器はロザリオと御子の残された印だけです。 毎日ロザリオの祈りを唱えてください。 ロザリオの祈りを持って司数、司祭のために祈ってください。 悪魔の働きが教会の中にまで入り込み、司教は司教に対立するでしょう。 私を慕う司祭は同僚から軽蔑され攻撃されるでしょう。 祭壇教会が荒らされて教会は妥協するものでいっぱいになり、悪魔によって多くの司祭、修道者が辞めるでしょう。 特に悪魔は御父に捧げられた霊魂に働きかけております。 たくさんの霊魂が失われることが私の悲しみです。 これ以上罪が続くならもはや罪の許しはなくなるでしょう。 勇気を持ってあなたの長上に捧げてください。 あなたの長上は祈りと贖罪の業に励まねばならないことを一人一人に伝えて熱心に祈ることを命じるでしょうから。
(1973年)
旅の続きは次回→
2025.10.17
土(真中神)はすべて。
石も塔も器も、
土より生まれ、土へ還る。
壺は己を壺と思い、
岩は己を岩と思う。
されどそれは夢の形。
土を忘れると分離が始まり、
思い出すと平安が還る。
我は土のひとつの現れにて、
土そのものなり。
元々実在せぬ夢は
消えることも失われることも無し。
真中神だけが在る。
|
故に我を知らぬ者、真中神をも知らず。
すめみま🌟
(すみだ水族館チンアナゴ11月11日はチンアナゴの日だそうです😆)
2025.10.12
『真中神を知るものは真中神(真我霊)✨海のたとえ』↓
我消え去りて、真中神にはならぬ。
存在せぬものは、消ゆることなし。
我、幻なり
真中神のみが在り。
我、存在せぬと知る者こそ
真中神を知る者。
故に知る者も知らぬ者もなし
光も闇も、
時も場も、
すべては真中神のひとつのいのち
すめみま🌟
|
(すみだ水族館)
天使も神も聖人も真に真中神を知らない
真中神を知る者は真中神のみ
真中神は海だとしたら私たちは波
海だと真に気づいた時
真中神を知る
真中神が真中神を知る
真中神は、すべてであり空にして生命(愛)
『真中神を知る者は真中神(真我霊)✨土のたとえ』↓
https://sumemima.com/?p=22259
sumemima | 完全性の中にただ在る🌟すめみま
1025.10.10
私はこの世は夢だと思っています。
いえ、どっぷりこの世に浸かっている私たちにとっては間違いなく現実なのですけどね。
霊界にトラベルして見てみると、そこは夢そのものなのです。
思いが即座に現実になる世界です。
恐れや心配に囚われていれば怖いことばかり起きます。
霊界の住人にとっては霊界が現実なのです。
霊界はエネルギーが似た者しかいません。
もっと言うと、他人たちをも夢見て登場させています。
この世は様々な人たちがいますから、霊界よりはまだ目覚めるチャンスがあります。
けれども本当にここは霊界に似ているのです。
だから私は夢を見抜き夢に心を奪われて喰われないように、真ん中意識で夢を見ていることに気づいていようとしています。
私たちの思いは、望む望まないに関わらず現実化します。
ですから、夢を見るなら意識的に幸せな夢をここで見ようと思います。
真中神、真我霊の思いと同じ夢です。
それは自分一人ではなく、夢の登場人物すべてが幸せな夢です。
エゴの見る夢は分離の夢です。
自分が一番なら満足なのです。
自分が一番愛されていたい、特別だと思いたい。人からも神からも。
ここが夢なら
夢だと知った上で
よき夢を見たいですよね。
そして自分の夢なら現実化するはずなのに上手くいかないのは心が矛盾だらけで一貫性が無いから。その願いが真我霊の願いと思考(心)、行動(肉体)と矛盾がないなら現実化するはず。
朝ベットから起きる前の少しの時間、
内なる神(真我霊)とあなたの望む夢をイメージしてみましょう。
それが自我の夢であっても、神と共に創造するなら愛で現実化できます。
自分が創造主で人生は自分でなんとかするとエゴは思っていますが
そうではなく
神の御心のままに✨
そこから外れなければ、きっと分離を癒す幸せな夢を見ることができるでしょう。
(73×91ポスター🎀ご縁が結ばれました✨ありがとうございました🙏✨)
最近ご紹介させて頂いておりますお品をご希望の方はこちらをご覧下さいませ🙏↓
https://sumemima.com/?p=22114)お客様の苦情に困り果てておられました。悪夢から真中神と共に愛の夢に変わりました👍(関係性の解放)
↓
📩
先日は遠隔セッションありがとうございました。
途中経過ですがご報告させていただきます。
セッション後はお客様とのLINEでのやり取りの文章が変わってきました。
今日、お会いしお話ししましたが何の問題もなくお話し出来ました。作業は来週に1日すれば今回の工事は完了となる予定です。
人が変わったかと思う程でした。
この調子で完了出来るようにと思います。
本当にありがとうございました。
ご報告まで。
📩(2回目のご報告)
↓
中間報告後も順調に工事が進みました。
最後の日は、お客様はお仕事で不在の中工事していました。
夕方に手直しのために色合わせをしながら塗っていて
塗った時よりも乾いてくるとちょっと色が濃くなるねと話ししながら
作業をしていて色が違うと言われたら他に頼むしかないね話していました。
そこへお客様が帰宅され手直ししてる場所を見られ
「そんな程度で十分です。ちょっとくらい違っても大丈夫です。」
とおっしゃっていただきこれまたびっくり。
こんなにも変わるなんて遠隔セッションをしていただいたことで
本当に助かりました。感謝、感謝です。
そして無事に工事も終わる事ができました。
これで私の建築人生も良い終止符を打つことができました。
本当にありがとうございました。
(70×88新品母パステル画)ご縁が結ばれました🎀ありがとうございました💞
📩(お母様と妹さんの関係性の解放)
↓
すめみま様
おはようございます。
いつもお世話になります。
先日はセッション ありがとうございました😊
ご相談させていただきました母と妹との問題ですが、
妹と顔を合わすことがなくなったと母から連絡があり泣いて喜んでいました。
母のストレスが無くなり、本当に感謝しています。
ありがとうございました。
さらに嬉しいことが☺️もう一人の妹は、
詳しいことはわかりませんが、
仕事が見つかり働き始めたということです。
本当によかったです。
本当にありがとうございました😊
これからもよろしくお願いいたします。
今日もすめみまさんにとって良い一日となるようにお祈りします。
ありがとうございました。
|
今日もお読み頂き(୨୧•͈ᴗ•͈)◞ᵗʱᵃᵑᵏઽ*♡ありがとうございます💕
2025.10.7
家飼いや交通事故などは別として、都会の猫は田舎の猫よりも長生きすることが多いと聞いたことがあります。(日本では都会で野良猫は見かけなくなりました)
田舎の猫はのんびり暮らし、都会の猫はストレスが多いはずなのに──なぜでしょう?
実はその「適度なストレス」こそが、生命力を鍛え、たくましく生き抜く力を育んでいるのかもしれません。
私たち人間の身体もまた「小宇宙」と呼ばれる存在。
宇宙や地球が外からの刺激を受けながらも、いつもバランスを取り直して存続しているように、
身体も日々、取り込んだものを調整し、修復し、調和を生み出しています。
ご縁が結ばれました🎀ありがとうございました💞(母の陶画 藤の花を描いてもらい春日大社の巫女凛と一緒に飾る予定でした28㌢ご希望なら方がいらしたら下のBlogをご覧になりお知らせ下さいませ。)
こちらのBlogのお品も入れ替えしています↓
https://sumemima.com/?p=22114〜〜〜〜
たとえば、体に良いものばかりを選ぶのも大切ですが、
時にはコーラを飲みたくなったり、激辛ラーメンを食べたくなったりすることもあるかもしれません。
いつもと違う異物が入ったと、身体の中の様々な働きはいつも以上に必死に動き、バランスをとり、かえって強さを増すことさえあるのです。
更に「美味しい♡幸せ♡」と感謝して食べるなら、その心の周波数が良い影響を与えるのです。
恐れではなく、愛だけが実在です。
食べ物が悪いのではなく、「恐れや罪悪感と共に摂る心」が身体は毒を発し病をつくります。
反対に「感謝と喜びでいただく心」は癒しをもたらし細胞を修復します。
三囲の神も
「食べ物に穢れはない、穢れは人の心(思いやそれに伴う感情)にある」
そう伝えています。
これはすべてに言える真理です。
私自身、唐揚げや天ぷら、カツなど油っぽいものは身体に合わず”異物混入排除せよ!”と身体が働く感じで、お腹を下してしまいますが、
小さな子どもはマクドナルドやケンタッキーが大好きですよね。
以前一緒に食べながら「油、大丈夫かしら…」とふと心によぎった時、神さまがこう仰いました。
「感謝して美味しくいただきなさい」
その瞬間から私は目が覚めました。
心配の周波数は食べ物にも身体にも周囲にも影響を与えてしまうのです。
けれど感謝と笑いの中でいただけば、毒も薬に変わる──それが神の真理です。
(母の陶画 華やかな薔薇です🌹28.5㌢ご希望の方がいらしたらお知らせ下さいませ。)
大切なのは制限に偏ることでもなく、無頓着に流されることでもなく、
頭で色々考えないで「今日はこれが食べたい」という身体の声を素直に感謝で受けとめる、真ん中の素直な心。
都会の猫がたくましく長生きするように、
私たちもまた「適度な刺激と愛ある受けとめ」で命を強めていけるのだと思います。
そして、苦労や困難もそれによって
真中神の真ん中──空(くう)の静寂へと戻ろうとする強い決意が生まれてくるのではないでしょうか。
2025.10.2
真中神のみが実在
自我は一時的に現れては消えるものである──この言葉の意味を深く感じ、真我霊と共にここに記します✨
⸻
自分の思いは川の流れのように絶え間なく変化し、決して固定されるものではありません。
思考や感情は状況や環境、無意識の欲求に応じて揺れ動く一時的な現象にすぎません。
たとえば、「死にたい人の気持ちが分かった。。死にたい」と強く言っていた人も、セッション中に大きな契約が入れば「そんなこと言ったっけ」と言うほど、思いは外的現実によって簡単に変わります。
思いは本質的に不確かなものであり、私たちはそれに振り回される存在です。
だからこそ、自分の思いの流動性を自覚し、真ん中意識に座して、曖昧な思いに左右されることなく、真実を見極めることが肝要なのです。
(松茸御膳を頂きました(∩❛ڡ❛∩)囚われなく真中神の生命の導きのままに今の瞬間を深く堪能する)
更に私というものにも実体はありません。
人は誕生の瞬間、まだ「自我(エゴ)」を備えてはいません。赤子は世界との境界を持たず、ただ生命の流れの中に在る存在です。
しかし成長の過程で、さまざまな体験――とりわけ快・不快、愛・不安、受容・拒絶といった感覚を通じて――「自らを守るための心の仕組み」として自我が形成されていきます。
この自我は、他者との違いを意識させ、「私は特別であり、他人とは異なる存在である」という自己像を肉体を使い築き上げます。そしてその自己像を保持し、守ることに多くのエネルギーを費やしながら、人は社会を生きていくのです。
|
肉体を離れてもしばらくは「自我(エゴ)」への執着が続きます。
深い幻想界である霊界においても、この世でのこだわりが強ければ強いほど、その執着に応じた自我の世界を自ら形成してしまいます。
(たとえば何百年もの間、札束を数え続けて盗まれないように怯えている霊のように。)
しかし、この世での記憶は薄れ、転生のときにはすっかり記憶は消されて新たな「自我」がまとわれます。
自我意識は無くなっても前世に作った囚われ(幻想である想念)は引き継がれ、これが因果と言われるもので、また幻界に戻る事になります。
カルマと言われるものは実在の中には無い、幻想の中にしかありません。
|
ここで整理すると──
• 自我にとっては「生まれ変わり」は存在しない
→ 前世の記憶は消え、新しい物語が始まるから。
• 死んだら無になる、という思想
→ 自我の視点から見れば、実際とほとんど同じこと。
• 変わらないものは「真我霊」
→ 自我を超えて連続する、神が創造したままのエゴのないあなた
• 真我霊さえも最終的には役割を終え真中神と一つとなる
→ 消えるのではなく、それにあなたはなり、大いなる源に溶け合うこと。
そしてここが最も大切な点です。
• 自我(エゴ)は、実体のある「もの」ではなく、思考が編んだ物語にすぎない。
• 「あなた」だと思っているものも、実在していない。(この幻界では確かに実在と言えるかも知れません)
しかし、人はこれを認めたくありません。
「私がいない」という真実は、自我(エゴ)にとってもっとも脅威だからです。
だからこそ、自我は「自分は実在している」と思い込もうとし、
その幻想を守るため、人との分離を強める為にあらゆる思考・感情・物語を編み続けます。
けれども、真中宇宙の本質は「空」でありながら、全てであり生命と慈愛に満ちています。
そこに身をゆだねれば、他者との区別はなく、ただ大いなるものそのものとして在ることが分かります。
• 自我はこの真実を恐れるが、そもそも自我自体が実在していない。
• 「あなた」という物語も、元から存在していなかった。
──けれども安心してください。
消えるのは「物語としての私」であって、あなたの本質である真我霊は決して失われません。
セッション後に自分が無くなる感覚を覚える人がいます。神に彼も何もかも持っていかれたと嘆いた人もいました。嘆いたのはエゴの断末魔の叫びです。実際、神が奪い取ったのではなく古い執着の自我がある程度消えたのです。
真我霊もやがては真中神とひとつに溶け合い、すべてを包む大いなる愛そのものとなります。
だからこそ、自我が消えていくことは恐れるべきことではなく、
本当のあなたへと還る道なのです。
そしてこの事を知る事によりあなたはこの物質世界でより幸せに自由自在に生きる事ができます。
• 実在していないその幻想を大きく分けると以下の通りだと感じます。
1. 自己像(自分がどうあるべきか、特別であるべきという想い)
2. 他者や物質(評価や権力、所有物)
3. 時間(過去や未来へのこだわり)
4. 恐れ・不安(心配、恐怖、罪悪感)
5. アイデンティティの幻想(固定的な「私はこうだ」
これらは意味のない事だと気づいて真我霊(まがたま)にあけ渡し、しかしそれらを取り上げる事は真我霊はしません。
あなたが握りしめている手を離して任せ、真中神(まなかみ)の心を選びたいと望むなら、上手に使ってくれます。
時間も全て真我霊の手の中にあるのです。
自我のあなたが自分の創造主になるのをやめて、全知全能の神に委ねる生き方を選ぶなら、自我の限定された運命を超えた最高の生き方となるのです。
|
今日もお読みいただき♡( ᴗ̤ .̮ ᴗ̤人) アリガトウ*•.❥* エゴは自分こそが世界の中心だ
だから自分の力で何とかする
その様に思っていますから、この様なメッセージを受け入れません。何を言っているのか分からなかったり、分かったとしても表面だけですぐに忘却の果てに消えていきます。
それほど自我(エゴ)は強力で侮れるものではありません。ここで自我は完全に消えませんから客観的に観察する事が大切です。
私はいつも真我霊と共に、意味のない思いに囚われない事を実践しています。一瞬一瞬忘れずに真中神の御心である実在する本当の自己の座に戻ります。
ここに戻るとただ思うだけで静寂の中明晰になります!空であり最大の神力の場
みなさんも私と共に「この私とは?」そう自分自身にいつも問いかけてみて下さい。深く観察すると、感情・思考・欲望は次々に現れては消え、固定的な「私」は見つかりません。
〜〜〜〜〜
自我(エゴ)が必死に自分を守るために執着するものの具体例
1. 自己像への執着
• 実体のない「こうあるべき私」「特別でなければならない私」という思い込み。
• 自我の防衛反応となる。
2. 他者や物質への執着
• 実体のない他者の評価や、所有物・地位・権力などへの依存。
• 「承認欲求」「分離意識からくる虚像への依存」と言える。
3. 時間への執着(過去と未来)
• 実体のない過去の後悔や未来の期待・不安へのこだわり。
4. 恐れや不安への執着
• 実体のない恐れ、不安、心配の念に縛られる。
5. アイデンティティの幻想への執着
• 「私はこれこれである」という限定的な自己像への固執。• 結果、変化や未知を恐れ、学びや成長を阻む心理的ブレーキになる。
すべて「実在しないものへの防衛的執着」です。
真我霊にあけ渡し、真中神の御心に委ねることで、思考・感情・自我の力を学びや創造性のために活かすことができます。
⸻
自我が掴むのはすべて 「実在しないものへの防衛的執着」 であることがわかります。
2025.9.28
このたび我が家を解体することとなり、芸術をこよなく愛した母が描いた絵を手放さなければならなくなりました。
母は人物画を得意とし、陶画講師をしておりました。母の手にかかりますと、人物は知性と品格を湛えた表情を浮かべます。
お気に入りを残しておきましたが、サイズも大きく処分せざるを得ない状況です。
芸術品は必要な物ではございませんが、心を豊かにしてくれます。もしおひとりでも大切にしてくださる方とご縁が結ばれましたら、母も私も何より嬉しく思います✨
他にも自宅に飾っていた物や新品の食器などご紹介させて頂こうと思います。
【お願い】
・非対面です。
・こちらの住居に今は不在で、対面の対応は難しいため、事前にお約束した時間までに玄関先にお出しする形となります。
・大型の物はお車でのお越しでお願い致します。
・ご希望の方はメールにてご連絡くださいませ。
(裸婦 蔡國華画 母は裸婦を得意としていたので、この先生に教えて頂きましな。大きいですが素晴らしい絵画です。78×90 長年客間にかけてありました。ご参考に↓
(ご縁が結ばれました🎀ありがとうございました🙏✨静 リビングに飾っていた為に少しシワが出ています。90×70)

(ご縁が結ばれました🎀ありがとうございました🙏✨バレリーナ 個展に出してしまっていたので実質新品です。71×87)
(ご縁が結ばれました🎀ありがとうございました🙏✨蒼の貴婦人 玄関にかけていました。40×40)
(母の陶画 初期のもので辿々しいですが、金箔がふんだんに使われています。22.5㎝)
(ご縁が結ばれました🎀ありがとうございました🙏✨母の陶版画、49×40これは随分前にファッションブランドの広告が可愛かったので描いてもらったものです。個性的ですが気になる方がいらっしゃればとご紹介させて頂きました。額に傷少々あり)
(母の陶画 花瓶高さ24㌢未使用ですが、客間に飾っていました)
時間も限られるなか、いかにすべきかと思案しておりましたところ、真我霊より「ブログにてご紹介を」との導きをいただきました。
当初は「失礼ではないか」と抵抗もございましたが、ありがたいことにBlog掲載の話から、山本先生より「ツアーでご紹介したい」とのお言葉を賜りました。感謝でいっぱいです🙏思いもよらぬ流れを与えてくださるその真中宇宙の采配に感謝致します。
またご紹介させて頂きます。今年いっぱいまでお取り置きもいたします。
ご覧頂き(ᴗ͈ˬᴗ͈)❤︎ありがとうございます✨すめみま
明日は昼と夜の長さが同じ「秋分の日」。
真ん中の日であるからこそ、真中神(まなかみ)の心で生きることを思い出させてくれる日でもあります。

♡神と仏 ― 役割の違い
昨日、山本先生からご質問をいただきました。
クライアントさまからの問いは、
「家族が亡くなって四十九日を過ぎるまでは神社参拝を控えた方が良いのでしょうか?」
というものでした。
それはさて置き
日本の神々は「穢れ」を嫌う存在です。八百万の神のように森羅万象を神とみなす大きな概念とは少し趣が異なります。
八百万の神は自然、物や歯や貧乏にさえ神を作りますから、ここでは人格を持つ神としての一般的な天照大神のような神を指しての事です。
神は死や病を「穢れ」とし、その領域は仏に委ねます。
これは役割の違いであり、仏は「陰」、神は「陽」。
ただし陽の中にも「陰」を担う神がおられます。月読之命や、穢れを祓う神々のように☯️
♡陰陽は心にも人生にも
陰陽は自然のみならず心にも人生にも人間関係にもすべてに陰陽があります。
明るく朗らかでいたいと思っても、怒りや嫉妬、恐れは出てくるもの。
人生にも陰陽があります。若い頃は老いを想像もしなかったのに、五十代を過ぎると虚しさに襲われることもあるかも知れません。
人間関係にもまた、嫉妬や衝突が生まれることがあります。
自然が移ろうように、私たちの心や人生も光と闇の調和によって成り立っているのです。
ですからそれを否定する事はできません。
♡真中神に抱かれて
そのすべては(様々な神も)真中神の中にあります。
同時にそれを完全に超えています。
海が真中神なら、波はその現れ。嵐であれ、さざ波であれ、分離した意識がそう映しているにすぎず実在していません。
大切なのは、光も影も受け入れ、真ん中の愛で抱きとめて統合していくこと。
そこにこそ幸せに生きる道があります。
「私は愛だけ」「私は明るいだけ」と言い聞かせ心の闇を見ないようにするのは真ん中の意識ではありません。
真中神は陰でも陽でもありません。
しかし光と闇を持つ自分自身を知ることなくして、真中神を知ることはできないのです。
♡秋分の日を迎えるにあたり
すべてを受け入れ、愛によって統合していきましょう。
明日の秋分の日は、自らの心の奥に静かに沈み、深く感じるのに最良の日かもしれません。
(スカイツリーからの眺め)
✨祈り✨
今日この秋分の日、光も影も抱きしめて、
真中神の愛の中に在ることを思い出します。
分離の夢に迷うことなく、すべての存在が愛の中にひとつであると気づけますように。
|
今日もお読みいただきぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎✨💞皆さまにとって、調和と愛に満ちた一日となりますように。
2025.9.22
仕事終わりにまた
私のお庭のスカイツリーの水族館でティータイム
都会の真ん中のとっても小さな水族館だけど
アザラシもペンギンも海亀もいます
私はサメさんがお気に入り
静かに漂うように泳ぐ姿に癒されます。
「鮫になりて
我が心も深遠なる宇宙とひとつ」
喜びも悲しみもなく
生命(いのち)のまま
ここに存在している
神の愛として
昨日、息子の家を訪れると、ペットの😸ミンミンが腰を立てられず、排泄も垂れ流しになっていたため、部屋を仕切り閉じ込めていました。息子が幼い頃から飼っていたので、ミンミンもすでに高齢です。
痩せ細り、小さくなった汚れた身体を目にしたとき、胸にわずかな痛みを覚えました。顎の下を撫でると、彼は目を細めて応えました。
見た目を超えたその奥の本当のミンミンを見つめると、光の中で彼は幸せであり、愛がどこまでも広がる様子は、まさに神の喜びそのものでした。
勝手な自分の見方で「可哀想」と思う心が、どれほど傲慢な心であることか──
優しく身体を拭きながら、溢れるほどの愛おしさに包まれ、私とミンミンはひとつになりました。
どのように見える人も事象も全て見た目を超えて本当の姿を見よう。
真中神の目で、すべてを愛として見よう──そうどんな時も心に決めるのです。
📩
↓
昨日は、長い時間ありがとうございました。
真中神様の宇宙100%は、密度の詰まった、そこにある、という感じでした。
「愛でひとつになる」までの、こちら側の思い込みのスモッグを全部はくぐり抜けていない感じでしたが、相手の星が笑顔になっていたので良かったです。
出会う人みんなと、愛でひとつになっていくのですね。
これは、宇宙というかすべての真理ですね。
貴重な教えを賜りました。
短い1回の人生で、すごい成果が得られました。
ありがとうございます。
2025.9.19
















