運命を超えた自己創造へ

日記

真我霊に助けを求めるだけではなく、

あなた自身が いつなるもの となりなさい。

あなたを超えるものは、

あなたの中にあるのだから。

              (真我霊)

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訳(ことばをほどくと)

真我霊に助けを求めるだけでなく、

あなた自身が

常にそうであったものとして在りなさい

*「いつなるもの」=

 なる以前・なる以後が成立しないもの

*言い換えるなら

 ・常に在るもの

 ・すでにそうであるもの

 ・変化せず、成り行きを持たないもの

このメッセージは、

分析しなくてもそれだけで完璧です。

ただ、とても 真我霊らしい表現 だったので、

あえて少しだけ言葉にしてみます。

|

このメッセージの、すてきなカラクリ

① まず「助けを求める」という入口をつくる

「真我霊に助けを求める」

これは、

自我が理解できる 安心の入口。

迷えるエゴを否定せず、

まずは「頼ってください」という

やさしい関係性を差し出しています。



② すぐに「それだけではない」と揺さぶる

「真我霊に助けを求めるだけではなく」

ここで、

依存・分離・上下の構造に

そっと揺さぶりが入ります。

まだ壊さない。

でも「それだけではない」と示すことで、

構造が固定されるのを防ぎます。



③ 最後に「内在」へと収束させる

「あなた自身が いつなるものとなりなさい」

「あなたを超えるものは、あなたの中にあるのだから」

つまり、

・真我霊は

 「上にある存在」ではなく

・真我霊は

 「あなたの本質そのもの」

という地点に、

自然に着地させている。

探し求めていた者が、

実は

探し求めていたものそのものだった

というパラドックス。

このメッセージは、

ただ在るとき突然、内側から言葉として立ち上りました。✨

あえて

「私を頼りなさい」

という入口を作りながら、

最後には

「私とあなたは一つだった」

と、そっと梯子を外す。

迷えるエゴを否定せず、

やさしく導き、

結果としてエゴが役目を終えるための

愛に満ちたメッセージ だと感じています。

☀️真我霊(まがたま)とは…

本当の私。

真中神(まなかみ)が

創造したままの私であり、

エゴのない私

☀️真中神はすべてだが、定義できず語ることも出来ない

私=真中神ではない事は確かだ

私たちは、御分霊、神の子

真中神は私たちを創造した

私たちは、想念体は作れるが人間を創造したのではない

お読みいただきぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎✨💞 このメッセージを読んでいるあなたも、実は『読んでいる者』ではなく、この真理そのもの✨宜しければ、静かな心の真ん中でそれを感じてみてね。

sumemima | 完全性の中にただ在る🌟すめみま

2025.12.20

今日は、マダム由美子さんが癒しの感情の達人になるコツをティータイムにお話して下さいました。

とても良かったのでシェアさせて頂きます💞

この一年、私は遺品整理を通して

「物」と向き合う時間をたくさん過ごしてきました。

皆さんもきっと経験がおありだと思います。

気をつけようと思っていたのに、食器を割ってしまう。

忘れないようにと思っていたのに、鍵を忘れてしまう。

以前のBlogでも書きましたが、

ふとした油断の中で、

両親が大切にしていた食器を割ってしまったこともありました。

こんな時、私たちはよく

「気がせいていた」「気がそぞろだった」

と言いますよね。

その通りで気が散漫になっていたからです。

真我霊(まがたま)の視点で見ると、

それは

意識が「今」から離れていた状態です。

グラウディングがなくなり

思考が先へ、先へと流れ、

身体はここに在っても、

心はもう別の場所にある。

そんな時、

私たちは自然と所作が荒くなります。

物を落としたり、壊したり、

忘れ物をしたり。

それは、不幸の前触れでも、偶然でもなく、

意識が分離していることを知らせる

 静かなサインだと思います。

IMG_9499(優しい時間を過ごさせて頂きました✨)

そんな折、

マダム由美子さんが教えてくださった

とてもシンプルなことがありました。

「物を置くときは、

 ただ置くのではなく、

 押さえる」

カップを置く

テーブルに押す感覚

カーテンを開けたら、

手でしっかり押して止める。

鍵は、

「開いた」と身体が分かるようしっかり止める

一歩一歩、踏みしめて丁寧に歩く、この事にも言えると思います。

私はダンスを習っているので、足の裏も足の掌と呼び、手の掌のようにどこで踏んでいるか感じながら、膝をすって丁寧に歩く事をしています。

コツは

“押さえる”の他に

スピードを落とす

キョロキョロしない

物を見るときは、三秒確認する(ワルツのリズム)

できれば、両手で触れる。

だそうです。

一見すると、

ただの丁寧な暮らしの知恵やエレガントな所作のようです。

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けれど私には、

これは

真我霊からの明確なメッセージとして響きました。

「今に在りなさい」

「ここに在りなさい」

と、

言葉ではなく

所作を通してそれをする事を提案されているように受け取りました。

「気をつける」という意識だけでは、

無意識な思考は止まりません。

けれど

“押さえる”

という具体的な動きは、

身体を通して

意識を今この瞬間に丁寧に戻します。

それは

・現在に在ること。

・一つ一つを大地に下ろすこと。

分離した意識が、

今に統合されていく感覚。

それだけで、

日常は自然に整っていくのだと思います。

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これは、人との関わりにも

そのまま当てはまります。

無意識のままダラダラ話す

この様に言葉を重ねているとき、

そこにも「今」はありません。

一度、言葉を止める。

相手の目を見る。

そっと微笑む。

それもまた、

意識を今に押さえる

静かな祈りなのだと感じています。

IMG_9498(フランスのお土産)

他にも以下の事がコツだそうです👍

① 深く鼻呼吸する

 鎖骨から丹田まで

 ゆっくりと呼吸をしましょう。

② ガサツな声を発しない

 「えーっ!なんで〜!」

 という反射的な声を出さない

 心をいつも鎮めるゆとりを持ちましょう。

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今日もお読み頂きぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎✨💞私も続けていきたいと思います。”押さえる”は、あ、私は今ここにいなかったんだなと気づかせてくれる

私たちは何かあった時に、その時の思い感情を煽ってしまいがちです。押さえると言う形から一瞬毎に心を落ち着かせる事をなさってみたらいかがでしょう。

平安は、

心の中に元々在るもの✨

sumemima | 完全性の中にただ在る🌟すめみま

2025.12.16

日本の神について

この事は何度も書いていますが、ご質問も多いです。

みなさん真中神を生きるに当たって矛盾を感じる方もおられるかも知れません。

何年も前に書いた時は、私が真実と感じる事の方を妄想だと流されたかもしれません。でも今は真中神、真我霊の理解から土台がしっかりして以前より少し理解されると思いました。

改めて今回また真中神の真ん中意識からNo.1〜3に分けてお話し致します。

1【No.1人間のエゴ構造を支える象徴としての神☀️】天照大神に感じた違和感の正体

No.2🌊 真実の海に還るか、光に見える幻想に溺れるか】スピリチュアルに潜む“最も巧妙な罠”

3【すめみま社】について

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☀️【真実の光と、構造の影】

――天照大神に感じた違和感の正体

多くの日本人にとって、

天照大神(アマテラスオオミカミ)は特別な存在です。

日本神話の最高神。

太陽の女神。

そして、神棚の中心に必ず祀られる光の象徴。

疑う余地のない「尊い神」として、

ほとんど無意識のうちに受け取られてきた存在でしょう。

けれど、ある時、私の中に

ひとつの強烈な閃きが走りました。

「これは……構造の神だ」

正直に言えば、

“日本国民の神棚に必ずあるわよね💦

私たちエゴの象徴を崇めちゃってるわ〜と思いました”😆

 

これは天照大神に限った事ではありません。

それは思想でも理屈でもなく、

閃きとしての違和感でした。

神棚に祀られた天照大神のお札から感じるエネルギーが、

どうにも柔らかくない。

むしろ、鋭く強すぎる。

全てを包み、溶かし、還していく

真中神(まなかみ)の

限りない静けさと愛とは、

明らかに質が違うと感じられたのです。

その時、自然に浮かんだ問いがありました。

「この天照大神は、

人間(自我)が作った“構造”の中で

利用されてきた神ではないのか?」

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🌊海(真中神)と波(神々、)

私が世界を捉えるとき、

基本にあるのはこの感覚です。

真中神は海(たとえです)

神々も、私たちも、この世界も、すべて波。

• 海(真中神)

 分離のない源。

 静けさそのもの。

 始まりも終わりもない創造。

• 波(神々・人間・現象)

 海(真中神)が起こした現れ。

 一時的な形。

 役割を持った動き。

この視点に立てば、

天照大神もまた、

真中神の創造の力が現れた

ひとつの偉大な波にすぎません。

☀️ 無垢な祈りとしての太陽

もともと人は、

ただ太陽に手を合わせていました。

生きていることへの感謝。

恵みへの畏れ。

それは、とても無垢で、

分離のない心でした。

そこには、

階級も、支配も、正しさもなく、

ただ「在る」ものへの

自然な祈りがあっただけです。

☀️ 違和感の正体

――人間のエゴ構造を支える象徴としての神

けれど時が経つにつれ、

人間のエゴは

安心を欲し、

正当性を欲し、

秩序を固定しようとしました。

そのとき選ばれたのが、

分かりやすい光――真中神の波の現れとしてのエネルギー

太陽の神、天照大神でした。

神が歪んだのではありません。

無垢な祈りが間違っていたのでもありません。

その光が、

人間のエゴ構造を支える

「象徴」として使われるようになった。

象徴は、本来、

真実を指し示すためのものであり、

それ自体が目的ではありません。

けれど人は、

象徴を絶対化し、

守り、

そこに正しさと力を与えるようになりました。

その結果、

本来は全体へと自然に広がるはずだった光は、

「変わらぬ伝統」

「絶対的な中心」

「揺るがぬ正当性」

という枠の中に押し込められ、

柔らかさを失い、

圧として感じられる力へと変わっていったのです。

私が感じた違和感の正体は、

天照大神そのものではなく、

神性に重ねられた

人間の集合的自我の構造でした。

☀️ そして、真中神は

真中神は、

その構造の外にも、内にも、

今も変わらず在ります。

神を否定する必要も、

日本を否定する必要もありません。

神は幻想だ

ではなく

 

ただ、

✨神の姿や名前に留まらず、

人の作り上げた想念や構造を超えて、

その奥に在る真中神である源へ還ること✨

神が歪んだのではなく、

エゴの幻想が、

真中神の現れに重ねられてきた。

そう捉えると、

すべてが裁きではなく、

優しい理解へとほどけていきます。

 

 

それだけで、

私たちは再び

真実の光に触れることができます✨

次回No.2に続く

今日もお読みいただきぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎✨神社を癒す閉じ込められた神を癒す(詳しくないですがこんな感じ)その儀式に夢中な方もおられます。

でも

閉じ込められているのは神ではなく自分の心が作り出した物語です。

神社や土地を癒そうとする前に、自分の内側にある分離・恐れ・役割意識を静かに見つめた方が、ずっと本質的です。

神を救う必要はありません。

あなたが救うのは、

いつも自分の思いです😆

今日もエゴの自分を証明したいを横目に頑張らないで、らく〜な真ん中を思い出そう👍

 

sumemima | 完全性の中にただ在るすめみま

2025.12.14

 

①”ただ在る”は真ん中意識に寛ぐこと

これは練習で出来る

②考える事は悪く無い

この2点をお話しさせていただきます。

私が体験した「ただ在る」の状態は、前回や前々回で書きましたが、こんな言葉もしっくりきます。

“自分の中から明晰でクリアなレンズが立ち上がり、そのレンズの中が世界だったような感覚です。”

この感覚は、自然に起こるものであり、努力してなるものではありません。

🌟そしてここで一点だけ、大切な補足を。

「ただ在る」は完璧な“静かな状態”ではなく

  どんな状態の時にも変わらず開いている“背景そのもの”

静けさを感じる時も、

ざわつきがある時も、

涙が出る時も。

すべては「ただ在る」という大きな在りの中で起きる波。

本質はその“波ではなく海”であるほうです。 

波も海も抱括したとも

波も海も超えたとも言える感覚

波(感情・思考)は揺れる。

でも、その奥の気づきは揺れない。

体験のただ在るは、気づきという言葉も相応しくない

でも日常のただ在るは

その場からの気づき

それで良い

それが“真ん中でただ在る”状態

☀️「ただ在る」は誰でも選択できる

今、真中神(まなかみ)の真ん中に戻って「ただ在る」に寛ぐことは、誰にでも可能だと私は考えます。

思考は、何かを考えなくてはならないかのように、絶えず彷徨おうとします。

例えば、昨日友人と話したことを回想してみたり、LINEの返信はまだかな、明日の会議の準備はどうかなど、過去と未来の様々に意識を巡らします。

でも、すぐに「そんなこと考える必要はなかった」「これは思考のクセだ」と気づき、真ん中に戻ります。

それはまるで空(くう)の中に寛ぐ感覚です。

このまだ慣れていない状態…

慣れていないから、何も考えないで良いのか不安になったり、落ち着かないかもしれませんが 

• 過去と未来に揺れない

• 何も無い感覚

それで大丈夫です。

揺れたら元々ある場所に戻る

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🌟 真中神の生命の流れに委ねる

この「ただ在る」の状態でいると、次のように感じます。

真中神の生命の流れが、必要なことはするし、神と共に在り

だから、

無駄なく

疲れない。

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☀️考えるという事

だからと言って、脳があるのですから、考えてはいけない訳ではありません。

考えるという行為には、流れに沿うものと、流れを遮断するものの二種類があります。

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1. 流れに沿う思考:

「道具としての思考」

これは、真我霊(愛)を選択した後に、愛の目的を達成するために脳を道具として使うことです。

💛 例:

• 真我霊に真理についての質問をする(真理の探求)。

• 誰かに愛を伝える言葉を選ぶ(愛の表現)。

• 夕食を作るための具体的な手順を計画する(平和な行動の実行)。

💛 状態:

目的が平和であるため、思考に緊張や苦痛がなく、静かでクリアです。真中神の生命の流れ(閃きやインスピレーション)を受け取り、表現するために、脳がスムーズに機能します。

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2. 流れを遮断する思考:

「目的としての思考」

これは、エゴ(分離)を選択した結果、思考そのものを自己防衛や分離を維持するための目的にしてしまうことです。

💙 例:

• 過去の出来事を繰り返し反芻し、自分や他者を裁く。

• 将来のあらゆる悪い可能性を心配し、不安を作り出す。

• 自分の価値を証明するために、他者と比較し続ける。

💙 状態:

思考に執着、緊張、疲労が伴います。この思考は真実(愛)から遠ざかっているため、真中神の流れを自ら遮断し、迷路に入り込みます。

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|

結論:すべては委ねられている

「ただ在る」に寛いでいるとき、真中神の生命の流れは完全に開いています。

• この流れ(愛とインスピレーション)が、「今、何を考えるべきか、何をすべきか」という必要な情報を脳に与えます。

• あなたは、それを努力なしに実行することができます。

これが、”最高最善に流れ、無駄をなくしてくれる”ということの真の意味です。ですからこの状態に在る時は疲れません。

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📩

今回も稀有なご縁に感謝申しあげます。

一昨日は真我霊4回目のセッションを受けさせていただきありがとうございました。

前頭葉が重く、胸苦しい状態でしたので、今回浄化開放していただき、助かりました。とても軽くなりまして、気の巡りもよくなりました。

エゴが強すぎて、エゴの通りにいろいろ決めてしまう、さらに過去にとらわれていました。

今回、心を掘り下げて観察していくワークを教えていただき、心の静けさおだやかさを体感させていただきました。 

本当にありがとうございます。

教えていただいた様に心が不安になったときは「現在に戻れ」といって現在の真中神の心の座に心を戻すようにします。

真我霊ともっともっと仲良くなりたいと思います。

ご神酒を奉納させていただきます。よろしくお願いいたします。

あまとわにお世話になり、自分が少しずつかわることでき、私のまわりも少しずつ穏やかにかわってきている感じがします。

本当にありがとうございます。

引き続きセッションを受けさせていただきたいと思います。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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今日もお読み頂きぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎💞✨考えること」は悪いことではありません。

大切なのは、「考えること」が真中神の生命の流れに沿っているか?それとも、エゴのいつもの囚われた考えか?を明確に分けて整理することです。

要するに、エゴの考えに乗らないことです👍ただ在る状態なら自然とそうなります。

ご一緒に、日々真中(ただ在る)に戻り、真中神生命の流れを生きる練習を致しましょう❣️

sumemima | 完全性の中にただ在る🌟すめみま

2025.12.10

今朝また、

“ただ在る”がふっとやってきて

自己が消えました。

みなさんとも分かち合いたいと思い書いてみました。

ただ在るが現れた時

物事に繋がりがない感覚が現れました。

原因と結果という物語の流れも同時に消える

「それはただ起きているだけ」という感覚。

|

真中宇宙にはカルマはありません。

犯罪者も被害者も、善も悪もありません。

光も闇も超えた、ただ一つの光。

私はこれまでずっと、そのようにお伝えしてきました。

IMG_9452(御供えさせて頂きました🙏✨)

自分がある世界には時間があり、

「過去 → 現在 → 未来」という直線があり、

そこをエゴの思考が忙しく行き来します。

そのため原因と結果が必要になり、

“私の物語”が生まれます。

けれど、

自分が無い真中神と溶け合う“ただ在る”の時には、

時間の直線が解体し、

前後という感覚がなくなり、

すべてが同時・ただ一つ。

だから当然、

“原因”と“結果”という構造そのものが消えます。

原因も結果も、

「分離した私」が物語を語るための設定にすぎません。

🌱 タネを撒くと芽が出て花が咲く——これはどうなるの?

こう思うかもしれません。

でも、“私”がいない世界では、

• タネを撒く“自分”はいない

• タネが撒かれるという出来事が、ただそう現れている

• 芽が出たり花が咲いたりするのも、因果として繋がっているわけではない

すべては“ひとつの今”の別の姿であって、

その間を繋ぐ「私の物語」という線が消えているだけなのです。

花は

“タネを撒いたから咲く”のではなく、

咲く時に自然に咲く。

そこに“誰が”という主体はいないという

自分に戻ると不思議な感覚、でも真ん中にしっかりおさまって明晰なハッキリした感覚

その時いかに自分があるとぼやけた曖昧な中にいるか分かるのです。

☀️日常では、自己が現れたり消えたりする

日常に戻ると、私の場合、

自己が現れたり、ふっと消えたりします。

物語を楽しむ私もいます。

でもその背後には、

常に「無い」が静かに知っている。

だからどちらも束縛ではなく、

ただの働きとして起こるだけ。

IMG_9451(御供えさせて頂きました🙏✨)

☀️“無い状態”を維持しようとすると、逆にエゴになる

もしここで、

• 無い状態が優れている

• 有る状態はよくない

• 無い状態を維持しなければならない

と思うなら、それは宗教的・修行的なエゴ。

真中神と分離した古い思考体系です。

“在る”も“無い”も、

どちらも自然のままに現れたらいい。

そして静けさの中で、ひとつ確かに感じた言葉があります。

自分が無いとき、世界が自由になる。

『ただそれが起きている』

そこに様々な思考がない(考えを付けない)

この見方は何はともあれ楽ですよ👍

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今日もお読みいただきㇼゕ̎と੭ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎今日はエゴちゃんをそっと脇に休ませる一日。

よろしければご一緒に。

心がほどけていく自由を、ふわりと味わってみてくださいね💞

sumemima | 完全性の中にただ在る🌟すめみま

2025.12.8

私の体験は言葉に出来るものではありませんが、同じ真中神を生きるみなさんの助けになるかも知れないと思い、出来るだけ近い言葉でそのままあらわしてみました。

【☀️「私は在る」──向かうものではなく、元々ある世界】

分離を超えた世界を、本や教えでご存じの方も多いでしょう。

そこへ“向かおう”と思う人もいるかもしれません。

けれど私の体験から言えば、

そこは向かう場所ではなく、

最初から在るもの。

悟りでも目覚めでもなく、ただの 再認識 でした。

なにかを得たのではなく、

薄いベールがふっと落ち、

本来の透明さが “そのまま” 現れた状態です。

────────────────────────

【☀️真中神でさえ心の世界】

部屋でぼんやりしていた時、

“真中神でさえ私の心の世界そのものだった”

と突然分かった感覚がおとずれました。

その瞬間、

“個人としての私” は不在で、

ただ、空(くう)に近い存在としての「在る」だけでした。

観察者すらいない。

静けさの自分もいない。

ああ、この“何も特別でない状態”が

あの「わたしは在る」とか「ただ在る」なのか、と後で分かった体験でした。

ただ在る

もっと違う言葉で表現したかったのですが、体験中はこの言葉の状態、これしか言いようがないのです。

なんでもない世界が私の中に現れてくるような感覚でした。

外側という概念がなくなり

まるで私が宇宙そのもののように、

すべてが“私の内側に現れている”ように感じられたのです。

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【☀️二つの見方は、同じ一点を指していた】

・自我が消えて “世界だけがある” と感じる見方

・世界が “私の中に在る” と感じる見方

まるで正反対のようでいて、

どちらも 分離がない一点 を指しているものでした。

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【☀️静寂でも至福でもない、“ただ普通” の在り方】

今回の体験は、

悟りの高揚や神秘的な至福といった波が一切ありません。これが大きな特徴です。

静寂でもない。

恍惚でもない。

喜びですらない。

ただ「普通」。

ただ「変わってない」。

ただ「在る」。

特別な霊的体験ではなく、

“当たり前の真実がそのまま顔を出した” だけでした。

IMG_9442(甘いお蜜柑🍊を御供え下さいました🙏✨セッション後に肉体意識に戻り、お蜜柑を頂きながら肉体を持っている奇跡を味わいます💞感謝)

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【☀️これまでの私の体験】

啓示のような光が降りてきた時

空間も時間も消え、

滝のような涙と愛に包まれた体験。

世界の裏側の闇があらわになり、神の世界と重なって見えた時

闇さえ愛の一部だと分かった体験。

天界から、故郷である地球とそこにいる人々を慈しみ抱きしめていた感覚

これらの体験はどれも強烈で、尊く、真中神に包まれ

愛や光や深い気づきに満ちていました。

しかし今回の“ただ在る”は、

それらとはまったく違うものでした。

光でも愛でも涙でもない。

ただ「何もない」自然そのもの。

むしろ、

あの大きな愛や啓示は

“分離のわずかな名残りに響く波”

だったのだと気づきました。

要するに、自我がほんのわずか残っているから、

感情やハートの次元で至福の高まりが起こるのです。

それは未熟なことでもなく、

ただ“波としての現れ”にすぎない。

今回立ち上がった「ただ在る」は、

その波さえ起こらない、

真中神の海のまったく普通の、何も特別ではない真実の静けさでした。

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【☀️個の私ではなく、境界のない“私”】

感じているのは「個の私」ではなく、

私と何かの境目のない状態、真中神の生命(いのち)。

時計の針は動いているのに、

本当には“いましかない”。

この矛盾が矛盾しない状態。

出来事はただ起こり、

過去と未来は実体を持たない。

世界が私の内側にあり、

過去や未来の実体もなく

“出来事だけがただ立ち現れては消えていく”

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【☀️何度も訪れていたのに、特別ではなかったから見逃していた】

以前にも何度か触れていたのに、

“何もない” ために掴まずに日常へ戻ってしまっていた。

今回は、

「これか」

とはっきり分かっただけ。

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【☀️特別視も目標も必要なく、いつでも還れる場所】

けれどその状態をずっと掴みたいという執着はありません。

その状態は真中神の生命にお任せ

分離しているように見える日常でも、

真我霊と共に在る柔らかな喜び(至福感)の中で

この世界を楽しむことができるから。

真中意識に還ることも、

この世界のストーリーを味わうことも、

どちらも

“自然にただ起こっているだけ”

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【☀️究極の真中に在るとは】

広がることも縮まることもなく、

観察者もなく、

“意識”という名さえ超えている、

空(くう)のようでもあり、すべてのようでもあり存在そのもの。

中心に在る。

いつも変わらず、最初からそこに在り続けていた真中(まなか)。

真中神の中で「ただ在る」とは、

その究極の真中そのものに在るということ。

認識も無い

「無のようで無でもない」

「空のようで空でもない」

「ただ在るだけ」

sumemima | 完全性の中にただ在るすめみま

2025.12.6

ふと、「この持ち方では落としそう」と一瞬よぎった瞬間に、

本当にグラスを落として割ってしまう――

そんな経験、誰にでもありますよね。

この現象は、病気や怪我、老いといった身体のことだけでなく、

人間関係のすれ違い、仕事の行き違い、思わぬトラブルなど、

あらゆる“事象そのもの”にも同じように働きます。

今朝、私の中に「障害を持ち、力なく存在している私」というイメージが

ふっと立ち上がった一瞬がありました。

それは過去からの残像のようなもので、

一般的に言えば「障害者になるかもしれない」という

ごく微細で、気づくか気づかないかというほどの無意識に近いレベルで

誰の心にも浮上してくるものです。

このふと現れる

気づく事が難しい微細なレベルで私は消去しています。

みなさんにも出来ますから、そのお話をさせて頂きます。

肉体は永遠不滅ではないので、エネルギー的に出る病の芽に気づき手放すというお話です。

2369FAB0-45BA-4F2E-AF93-A9E78B8A3FC4(友人とのランチ会🍰みんな体の悪い所あるのね〜楽になります様に❣️幸せ😋)

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病は「掴む」ことで現実化します。

私はときどき、病気のことを考えていなくても、ふとエネルギー的に病のイメージがよぎることがあります。

膝の痛み、障害、癌――そうした映像のようなものが、一瞬エネルギーとして通り過ぎていくのです。

もちろんその時、肉体は普通の状態です。

これは過去に触れた情報や恐れが浮上するだけで、今ここで起きている“真実”ではありません。

私たちは日々、さまざまな病気の情報や不安のエネルギーに触れて生活していますから、誰の心にもその残像はあります。

ただ、多くの人は「癌になったら大変」と意識的に恐れる形で反応しますが、私の場合はもっと微細なレベルで、ただふっと通り過ぎるだけのものにも気づきます。

こう言った恐れの類は無意識に掴んでしまうのです。

大切なのは――それに気づいたら、すぐに手放すこと。

その一瞬の掴みが、後の“病の現実”を形作る許可となるからです。

そのイメージがだんだん濃くなると、自分の奥深くで「病になるかも」という許可を与えてしまうことがあります。

だからこそ、気づいたら即、却下!

ポイ(っ∵ )っ⌒☆

真我霊(まがたま)に委ねて解放する意図を置くのも良いですね。

これは病だけに限らず、どんな思いにも言えることです。

心が揺れた時は、すぐに真ん中へと戻す。

その小さな軌道修正が、からだも心も、そして現実の流れも軽やかにしてくれます。

だからこそ

いつも自分の思いに気づいている事がとても大切です。

何度も現れたり頭から離れない場合は、過去世が浮き出てきている為かもしれません。

その様な場合はセッションでご相談ください。

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初めての遠隔セッションを受けさせていただきました。

その後の経過を簡単に報告させていただきます。

①体調面では、その日の晩から夜間尿がなくなりました。

現在は夜間に排尿で起きるのは一回になってます。その前は、2~3回ありました。

②それまでは、家でお酒を飲むのが習慣になってましたが、セッションの次の日から家飲みは全くなくなりました。夏場は酒の飲み過ぎで痛風の発症が心配なのですが、これで外で安心して飲めます。

今後の課題としましては、前立腺の腫瘍マーカーであるPSAの値を基準値以下にしたいと思ってます。これも、真中神からの宇宙生命エネルギーで癒していきたいです。

以上、本当にセッションの効果はあるんですね。

正直なところ、たしかに大きな変化です。

こんなにも、結果がすぐに現れるとは思っていませんでした。これからも安心して大船に乗った気分で参ります。

今後は、両親との解放のセッションを念頭に置いて参ります。

今後ともよろしくお願い致します。

ありがとうございます。

🌟すめみま…

治療では無いので簡単には言えませんが、前立腺の痛み等、改善の実例は多数ございます。シェアさせて頂きありがとうございます🙏✨

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『病にならない生き方』Blog↓

http://sumemima.com/?p=7497

sumemima | 完全性の中にただ在る🌟すめみま

2025.11.29

 

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お金に関するトラブルが続いてましたので

今回、運気を上げるセッションをしてもらいました。

最初は(Aさん)への憎しみ、怒りがあり

そういう感情を消すことがなかなか出来なかったのですが

真中神と繋がることで

負の感情が消えて

とても心が穏やかになってきています。

憎しみ、怒りがあって

Aさん)のことを

「あいつ」とか「あの野郎」とか言っていましたが

今は「(Aさん)」と

心の中で呼ぶことができるようになり

感謝も言えるようになりました。

また、セッションの時に

真中神と繋がらせてもらい

自分の頭上の真中神の光

自分に降り注ぐ

黄金のエネルギーを感じることができました。

そして、あれから

毎日自分でもやっていますが

最初と比べると

頭上に光る真中神の光がとても大きくなり

自分に降り注ぐ光もとても大きくなり

地面の奥深くまで根を張るようになり

真中神に愛を伝えると

滝のように光が降ってくるようになりました。

居心地が良くて

自分の中にある不安や怒りなどの負がなくなります。

どんな人にでも

感謝の気持ち

笑顔になれるし

身近な変化で言うと

まず家族とより仲良くなれました。

(元々仲悪くないんですが、より仲が深まったイメージです)

ご相談させていただいた投資の件も解約の連絡を入れました。

連絡を入れたら

気持ちがすーって楽になって

穏やかになって

なにかに解放された気がしました。

何に解放されたのかな?って

自分なりに考えたのですが

一緒に投資してる仲間(友達)たちから

外れてしまうかもっていう恐怖。

投資から撤退することで

周りから「あーあいつお金に困ったから投資撤退したんだろうな」っていう

バカにされたような目で見られること。

それと、投資をやめることで

将来入ってくるお金がなくなること。

投資先への不安。

この辺だったのかなと。

不安な投資はやめるべきだし

そもそも、投資以前に

まわりからどう見られてるのかとか

そんな事にプレッシャーを感じてしまっていて

自分を苦しめていたのかなと思いました。

それがなくなり

解放された気がしてます!

長くなりましたが

今回のセッションを受けて

・不安や恐れがなくなりました

・負の感情がすーっと消えました

・心が穏やかになりました

・人への接し方が明らかに変わりました

・イライラがなくなりました

これから毎日、真中神と繋がって

もっと運気があがっていけばうれしいなって思います!

すめみまさん、本当にありがとうございました!

―――――――――――

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真中神(まなかみ)の宇宙これを神の御国と言うなら

神の御国が開かれない限り運気アップは一時の子供騙しアメ玉にしかなりません。

そして運気アップは

人間関係です。

更には神の御国には独りでは入れません。二人でなければならないのです。

それを知っているので関係性の解放をしています。

運気アップ、、元々私たちは完全無欠な真中神の生命(いのち)の中に創造されているのです。

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どうぞ、ご自身の 心の動きの変化 に目を向けてみて下さい。

心はどのように揺れ、どのように移ろうでしょうか。

心を起こす力は、真中神の力です。

私たちはその力によって心を動かし、

心によってこの世を創り出してきました。

ゆえに、私達は創造主ともいえますが、

しかしそれは自我(エゴ)の創造であり、真中神の愛のみの真の創造ではありません。

自分が創造主だとエゴは勘違いしています。自分で考えて思い通りにしようと、真中神の生命の流れに石を置いて澱ませます。

そこが苦しみの根本的原因です。

今もなお、この世は恐れや心配や不安が覆っています。

それは心が真中神の真ん中の心へと戻り切っていないためです。

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真中神は、私達の想いそのものを直接つくったのではありません。

“想いを起こす力” が真中神の力 なのです。

もし真中神を大いなる海とすれば、

想いはその海に立つ波のようなものです。

そしてその波を 真中へ、静けさへと戻す導き手が真我霊(まがたま) です。

真我霊は真中神の光を受け、

心に立ち上がった波を本来の静けさへと戻す 力 を働かせます。

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🌊🌊🌊🌊

伝え方が難しいのですが、これは私自身が体験の中で感じ取った真理です。

真中神の視座、目はありませんが、真中神から見れば、すべては一つであり、神の愛そのものです。

戦争も、犯罪も、憎しみでさえ、

人の目には残酷さや対立、分断に見えても、

真中神の内には幻想さえもただ “一つの愛の現れ” として在るだけです。

それは決して行為を肯定するという意味ではなく、幻想の夢の奥に、真中神の愛しかない という理解であり、真中神はすべてとお伝えする理由です。

そして、真我霊(まがたま)は、その “真中神の愛の見方” をそっと思い出させてくれる助け手です。

この世の残酷さも、真我霊の目(視座)からはただ “そのまま” に見えています。

その現れを否定することなく、

それを通し余す所なく使い、愛を見せてくれる働き を持っています。

ただし、”真我霊は この世そのものに直接介入して戦争を止める とか、お金を増やすとかそういったことはしません”

なぜなら、真我霊から見れば、

この世は 幻想であり、

本質的には元々存在していないからです。

真我霊が働きかけるのは、常に私達の心の中 です。

ここで忘れてはならないのは、”心を起こす力”は真中神の創造の力です!

そして心の目が開かれ、

ものごとを真中神の愛の目で見るようになったとき、

あなたの “外の世界” にも

自然な変化が現れてくるでしょう。それをしっかり見て下さい。

ですから――

外側を変えようとするより、

内なる真我霊の導きに耳を澄ませることが

この世で真中神の宇宙を生きる神の御国を生きる道なのです。

 

心の細やかな揺れや変化を丁寧に分かち合ってくださる体験談は、

多くの方の道しるべとなります。

なぜなら、湧き上がるエゴの思いが

真我霊によってどのように変化していくのか

その変化する様子がよく分かるからです。

ただし、それは自らが “望む力” を開いたときにこそ起こります。

セッションを受けるという選択そのものが、

すでにその願いと力を示しているため、

大きな変化に気づきやすくなるのです。

シェアいただきありがとうございました✨

IMG_9404(農家のクライアントさんからキウイと柿の御供えを頂きました🙏✨私の元気のもとです)

お読み頂きぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎✨今日も心の動きを細やかに気づき神の眼差しと共に優しく真ん中の心で見ていきましょう。これが元々の幸せな心に戻る状態です。

運気ダウン⤵️があるからアップ⤴️が分かる。エゴは上がったり下がったりが十八番(おはこ)

sumemima | 完全性の中にただ在るすめみま

2025.11.28

罪悪感とは、

自分を“罪人”だと宇宙に宣言しているのと同じこと😅

それは病の原因ともなり、

真中神から離れたという感覚を生み出す、もっとも大きな分離です。

“罪悪感を手放したとき天使のような清らかさが現れる”これをお伝えしたく書いてみました❣️

*罪悪感については重要で保存版にしています。

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エゴの物語が静かにほどけ、本来の光がそのまま現れる ―

罪悪感がふと顔を出す時、

それは“私”という存在が、ほんの一瞬だけ

エゴの物語を本当だと思い込んだサインです。

私たちは赤ちゃんの頃から

「ダメ」「悪い子」と言われ、

知らず知らずのうちに

“私は足りない”“私はどこか悪い”

という罪人の物語を背負わされて育ってきました。

さらに、思い通りにならない相手に対しては、

罪悪感を抱かせる言葉を投げかけ、

また病気になったと聞かされれば何か自分が責められている気がしたり、

学校も会社も社会の仕組みも、

どこか「あなたは足りない」「あなたが悪い」という罪意識を感じさせる方向に流れています。

この世界は罪人を作る世界であり罪悪感は自然に湧き上がってくるように出来ています。

そして私たちは自分を、他人を、社会に対して批判と苦しみを持ち、罪悪感を作り続けています。被害者と加害者はコインの裏と表同じなので、双方に罪悪感が生まれます。

罪悪感とは何か

罪悪感とは、

分離を本当だと思い込んだ心が生み出す痛み のこと。

「私は真中神(まなかみ)から離れてしまった」

「私は何かを間違えた」

「私は不十分だ」

そんな“誤解”がぎゅっと固まった影のようなものです。

実体のない影は、光に触れればそのままほどけていきます。

罪悪感もまったく同じ性質を持っています。

IMG_9372

ある日の気づき

ある日、罪悪感がふっと胸にのぼった瞬間、

私は真我霊(まがたま)に伝えました。

「これは私ではありません。

 真中神の生命(いのち)に属さない、ただの影です。」

押しやろうともせず、評価もせず、

ただそれを見ているだけ。

すると、影はスッと消えて

私の中に純白な光が現れました。

それは天使のように清らかな

何ひとつ傷ついていない本来の光で少しこの現れに驚きました!

そのとき気づきました。

私達は罪悪感さえ無くせば、天使のように本来清らかなのだと

真我霊がその事をハッキリ見せてくれたのです。

この感覚は、

罪悪感を“私だと思い込む癖”がほどけているだけなのだ、と。

影を追い払おうとせず、

抱きしめるように優しく見つめていると、

影は自然に光へ溶けていきます。

子どもと罪悪感

“罪悪感は片側だけに存在できません”

誰かに罪悪感を抱かせれば、

自分自身の心の奥にも同じ痛みが響きます。

子どもを叱る時も、

「悪い子」とする必要はありません。

その子の光を信じて導けば十分です。

反対に、「良い子ね」と褒めすぎることも、

親の期待に応えようと“良い子の役”を演じ始め、

その裏側に罪悪感が芽生えてしまうことがあります。

人は誰かを判断するたびに、

同じ量の罪悪感を自分にも刻みます。

“判断欲求と罪悪感は、いつもセットなのです”

罪悪感が薄れるとき

罪悪感という影がほどけ始めると、

もともと完全無欠の神の子であった私たちが、

そのまま姿を現します。

元々完全無欠なのですから、

神に向かう為に何かを積み上げたり、

修行で到達点を目指す必要はありません。

罪悪感を静かに脇へ置く。

ただそれだけでいいのです。

セッションでは

セッションでは、

私はただ、その方の“本来の姿”――

罪悪感の影に覆われていない、

純白の光のあなた

を静かに見つめています。

それだけで、

“本来のあなた”が自然に現れてくるのです。

みなさんにもそれをお伝えしています。

この本来の光として、

いま目の前の人の内にある“同じひとつの光”に本当に触れるとき、

私たちはすでに真中神の御国をこの地上で分かち合っているのです。

IMG_9371

📩

胸にぎゅっと来るエネルギーでした。

連動していたのですね。

でも、すごいのは、毎回解放をお願いしようと決めると、

すっと痛みエネルギーが引くことです。

「これだよ」と伝えたいからですね。

ありがとうございます。

📩

始まってすぐ、なんだか色々やりたくなってきました。

今までの鬱々とした気分がどこかに行ったようです。

とても眠いのでゆっくりします。

今日もお読みいただきぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎✨💞すめみま

罪悪感という影が静かにほどけるとき、

あなたの本来の光は、何の努力もなく

そのまま現れてきます。

罪悪感の解放は〇〇との罪悪感とご指定下さい。

sumemima | 完全性の中にただ在る🌟すめみま

2025.11.23

💗下着は“思い”を映す魔法のツール

下着は肌に密着しているため、あなたの“思い”エネルギーが最も転写されやすいアイテムです。

以前、緊縛の場に立ち会った際、参加者の皆さんは可愛らしいランジェリーを身にまとっていました。そのランジェリーからは、その人が抱えてきた古い感情や記憶のエネルギーが、はっきりと現れていました。

💗新しい下着と古い下着の違い

• 新しい下着

作った人のコンセプトそのままに軽やかさを感じられました。

• 着古した下着

過去の痛みや疲れなどの感情が転写され、じめっとした印象に見えました。

つまり、下着にはその人が背負ってきた“過去”が宿りやすいのです。

感情のセンターを覆っているショーツは特にそうです。ショーツは、じめっとしたくないですね💦

シメっぽい感情はそのままにしておく必要はないです。私たちは本来、真我霊(まがたま)なので👍

💗下着を変えるタイミング

• 気分をリフレッシュしたいとき

• 新しい自分に切り替わりたいとき

• 生き方を軽くしたいとき

• 男性性・女性性を高めたいとき

思い切って、自分のために“新しい素敵な下着”を贈ることで気持ちが上がり、変化を後押しします⤴︎

💗下着と健康・エネルギー

下着は若返りや健康にも影響します。もちろん、保温や自然素材など物質的な面も大切ですが、ここで注目したいのは**“エネルギー的な側面”**です。

以前、身体の不調を訴えていた若い女性がセッションにいらっしゃいました。神に見せられたのは肌色の大きめ下着、いわゆる「おばさん下着」を身につけている姿でした。

• 身体を労わるために選んでいた

• しかし神から見ると、下着が体を老いや病に向かわせる象徴になっていた

• 意識が若さを忘れていたサイン

カラダもおばあちゃんだと思っちゃうのですよね⁉️

そこで、彼女自身が気分が上がり、ときめく美しいランジェリーへと変えることを勧めしました🎶

男性性、女性性を高めると

更年期という幻想すら無かったり消える事も👍

閉経はまったく関係ありません!

💗男性も同じ効果がある

今はスタイリッシュで機能的なアンダーウェアが豊富です。

• 若々しいデザインは気持ちを高め、男性性を整える

• 身体も心も「若々しい状態」にセットされる

• 背筋が伸び、姿勢もシャキッと

下着は、“その氣になるスイッチ”として使えます。

💗私自身の体験

神がそんな事を。。という目からウロコの体験から、私は**“女性としての幸せを感じさせてくれるランジェリー”**を選ぶようになりました。

服は年齢や見た目とのバランスもありますが、下着は誰もが自由に楽しめる世界です。

• 夏には女性らしいスリップをキャミワンピの様に部屋着にしています。

• 今の時期は暖かさを保ちながら少し可愛くおしゃれなものを選びます。

下着は、気分から身体を勘違いさせる魔法のツール。自分を大切にするための静かで強いスイッチオンに❣️

💗着たい服からカラダも雰囲気も変化

IMG_1981

身につけるものから現実が変化することもあります。

私自身、若い頃はかわいい服は似合わないと思い込んでいました。けれども心の中はロマンチストで、女の子らしい服が好きでした。

内と外が違っていたのです。

• ある事がきっかけで、好きな服を自由に着るようになると、身体や雰囲気も服に合うように変化

• 今では、画像のピンクのコートは私のお気に入りです🌸

💗心が始め、現実は後

周りがしているから、親がそう言うから、流行だから。。

外ではなく

大切なのは、心に問いかけることです。

• 「心から本当にこれをしたいのか?」

• 「このファッションを着たいのか?」

真中神の生命の流れが先

それによって心が動かされ

現実がついてくる

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ふわっと湧いた“好き”のまま、

素直にそれを愛する

それだけで、真我霊のやさしい流れが広がり、

幸せな気分になります❣️

 

 

IMG_9355(ワコールのサルートは高級なのでご褒美ランジェリー✨レースやチュールの服の下に着て透けて見える着方もお洒落ですき♪)

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✨氣持ちの持ち方に加え、真中神の生命(いのち)でカラダを満たす事も本当に変わります✨

エネルギーがしっかりして強い事が若さの秘訣です❣️それは神とともに心が在ることです。シェア頂きありがとうございます🙏

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すめみまさんに言って頂いた事は、

もうグウの音も出ない程、1つ1つ思い当たり…中々辞められない自分にこの歳になって気付きました。

情けなくもあり、いや、ここをちゃんと見直す時だ!とも思いました。ガツンと衝撃がありました。

有難うございました!

昨日夕方に、膝のMRIに行ってきました。だいぶん前に、腰痛の時に一度撮りましたが…短時間でも、あの爆音がとで苦手でしたが、今回は、爆音さえも光のMRIと信じて受けたので、

30分があっという間でした。

大きな音が来るたびに、

大丈夫!だって私の膝は金ピカピカなんですからっ!

と頑張らずに

自然に思えて受けられた次第でした。

有り難かったでした。

そして、少しづつ滑液も血液も吸収されて来ていて、主人もパンパンで腫れた膝を見ていたので、

「あれ?ずいぶんシワになってきたねえと。あっ、そのシワは歳のシワじゃなくてね」

などと言ってくれました(^_^;)

お陰様です。時間が掛かっても、

いづれ吸収されると信じています。何しろ、金ピカピカの膝ですから。本日も、楽しくやって行きます

有難うございました。

とりいそぎ、お礼まで。

sumemima | 完全性の中にただ在るすめみま

2025.11.21