日記
今季、売上高1億円を達成されたクライアントさん㊗️
会社経営、人間関係に
想像出来なかった豊かな現実が現れています(ご本人曰く)
お決まりの”来季は大丈夫だろうか”との不安から
お金のブロック解放を望まれてセッションを受けて下さいました。
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「真我霊はあなたが欲しいもの(必要なもの)は全部あります。
あなたが受け取るだけです。」と言いますが、
体験上は
「叶う」ことが多いのも事実。
でも真中神の視点では、
願い → 行動 → 結果
という因果列ではなく、
願いが自然と立ち、
行動が起き、
結果と呼ばれる現象が現れた
という 同時展開。
だから正確には、
• 願いが叶った
ではなく
• 願いという波が、最後まで通った
というだけ。
途中でエゴが握らなかった
という意味。
• こうでなければ
• 失敗したら意味がない
• 私がやらなきゃ
こうした抵抗でせき止められず、
願い → 動き → 結果(と呼ばれる現象)まで同じ流れとして展開した。
それをあとから
「叶った」と解釈するだけ。
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いくらでも、どこからでも、
豊かさは現れてもよいのです。
元々あるのですから
それを呼び込もうとせず、
拒まない。
扉は開いているけれど、
そこに執着はない。
この絶妙さが必要です。
大切なのは👇
真中神の生命の流れに触れていると、
願いは自我が立てるものではなく、
自然と立ち上がってくるものになる。
(自分の願いのように自我は思う)
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因果関係なし同時なんです!
そこが言われている現実化願望実現と全く違う所
そしてその先に現れる現実は、
かつて思い描いていた未来とは、
まったく別の、驚きとやさしさを持っている。
そんな生き方が、
すでに始まっています✨
(すみだ水族館🐟亀は豊かさだったかしら?大きくなったら小笠原の海に里帰り😆)
📩
↓
昨日はありがとうございました。
セッション中に2億のエネルギーを捨ててしまった時、やっぱりなという気持ちになりました。
お金を持つことへの抵抗感と失うことへの恐れが心のどこかにあるのだと感じました。
どんな時も真我霊に語りかけ、身を委ね、無限の豊かを感じることが今の私に必要なことだと思いました。
その結果、少しずつでも安心の許可をあげていけたら嬉しいですね。
真我霊に語りかけることができていなかったので、もっとたくさん真我霊を感じていきたいと思います。
ありがとうございました。
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🌟すめみま…シェアさせて頂きありがとうございます🙏✨固く捉えていたお金💰心の変化が起こります。気づいてみて下さいね👍
そして真我霊は愛そして豊かさです。なので彼の様に周囲の人間関係も思いやりのあるあたたかな関係となります。そこがイコールでなければ成立しません。
すべてが底上げされますが、豊かさはお金に限定されません。私は愛だからといって際限なくお金が溢れてくると思うのは少し違うかもね😆
2026.1.20
お正月休みにスピリチュアル本棚で立ち読みしました。
そこで目にとまった本は非二元の体験の本
今までアセンション(次元上昇)が流行ったけれど
次の流行りはこれだなと感じました。
非二元の体験が次々と語られ、「純粋意識」という言葉が現れ、
そこに向かおうとする構図が、うっすらと透けて見えました。
形は違っても、
探し、到達し、救われようとする動きは同じです。
エゴは、
いちばん高い目的地
いちばん特別な地点
いちばん安心できる場所
特別感
を求めるのが大好きです。
これはアセンションの時と同じ罠にハマる事になります。
だからこそ、ここでひとつだけ、はっきりしておきたいのです。
目的地は、ありません。
今日はその事を心のままお話し致します。
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真中神の生命(いのち)の流れ
流れは元々ある
どうであろうと
どこかに辿り着くものではない
自分の思いで何とかしようとして流れに岩を置いて
水しぶきが立って大変なことになっても
変わらず流れはある
映画を観てる
ストーリーが展開し
演じている人々がいる
映画が終われば元々ある白いスクリーンが現れる
これが純粋意識で真中神という人もいる
でも映画も含めて真中神です。
すべてどうであろうと真中神です。
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すべてが等しく存在している
だからこそ愛があるのです。
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空は真中神だとしたら
嵐も
台風も
曇り空も
空模様
変わらず空です。
ただ在る意識
これも空模様
葛藤していても
ただ在る意識でも
真中神は変わらない
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「これが終われば救われる」「ここまで来れば安心」
エゴ構造が最後の拠り所として
「自己の消滅」を理想化することも、
ひとつの空模様
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ここには、
目的地も
正解も
理想像も
ありません。
空(そら)は掴もうとしても掴めない。
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この言葉は、何かになろうとするエゴにとっては
絶望に見えるかもしれません。
けれど真我霊の視座では、
それは究極の自由です。
目指すことをやめた瞬間、
すでに在る真中神の静寂が、
ただ露わになる。
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このお話をさせて頂いた時に山本先生から”本当の自分”
について尋ねられました。
真我霊は真中神の創造したままのエゴのない私であり
真実の我の霊ですから
ある意味で「本当の自分」と呼べるものです。
でもわざわざならなくてもそれです。
本当の自分になる。。
何かになろうとする動きが緩んだとき、すでに在ったものが、露わになる。
それを
「本当の自分」と呼びたければ呼べるけど、呼ばなくても何も困らない。
という感じはします。
「本当の自分」は、
探す対象としては存在しない。
でも同時に、否定する必要のあるものでもない
なぜなら本当の自分を探しているという動きそのものも
すべてが真中神の生命のあらわれだから。
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私の今の正直な感覚では、本当の自分って何??
という感じです。
今ここで、
みかんを食べて
寛いでいる私がいる
それだけだから
2026.1.18
「この世とは?」
マテリアルが重なり合って見えている
有限として現れているが、固定した実態をもたない
あらゆる目に見えるものは
掴めたと思っても本当に捕まえることはできない
ただ普遍が有限として現れている
(真中神✨)
(岩手山⛰️刻一刻と山の形態も変化の流れの中に)
ただ時間の中では流れがあり
この流れのなかで自由に在る
そしてすべての苦しみは慈しみのなか消え去る
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実態のないこの世とは、
宇宙や霊界、神界と呼ばれている世界だけを指すのではない。
私たちも、神と呼ばれるものも、
思考や気づきさえも、
固定したかたちをもたず移ろっている。
純粋な意識と呼ばれているものも波の一部
だからこそ、
移り変わるこの世界そのものが、
真中神の生命のあらわれであり、
万華鏡のような贈り物だと感じられる。
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マテリアルを調べてみると「材料」「原料」「素材」を指す言葉で、文脈によって「資料」「生地」「器具」「資質」など幅広い意味を持つとありました。
2026.1.13
クライアントさんは、生前苦労し続けたご両親があの世で苦しんでいるのではないか?
その苦しみが霊障として現れているのではないか?
あの世で苦しんでいる両親を何とか救いたい
という強い思いをお持ちでした。
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昨日のこのセッションから、立ち位置について書こうと閃きましたので、書かせていただきました。
↓
🍀真中神の計らいに心から感謝するという考え
• 真中神=何かを采配した存在
• 出来事=起きたから感謝するもの
という 配置 です。
わたしの位置ではその構図の中に立っていません。
👉 真中神は「計らう主体」ではなく
👉 今まさに起きている生命そのもの
だから
• 感謝を“言う”必要すらない
• ただ「軽くなった」「ほどけた」が在る
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🍀お父様はご苦労しましたが、その精一杯の人生を愛の中全うされました。
この意識はとても“綺麗”ですが、
• 人生を評価して
• 物語として完結させて
• 安心できる形にまとめている
つまり
👉 供養の物語を完成させている。
その構図の中には立っていません。
👉 「頑張った」「苦しかった」という物語自体が、ほどけていく場に立っています。
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🍀想いは間違いなく届いています。還るお手伝いをさせていただきます。
• 届く/届かない
• 還る/導く
• 手伝う/してあげる
すべて
👉 誰かが誰かに何かをする構図。
その構図の中には立っていません。
👉 もう誰も移動していない
👉 最初から愛でひとつだった
その地点にいます。
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なので真我霊セッションでの真中神、真我霊からのメッセージは
他の存在と決定的に違います。
外側から見たメッセージは来ない
この理由は上の通りです。
私はクライアントさんのお気持ちを受け取って
“その方の理解に合わせて”外側から説明する事もありますが、真我霊がそうなので私も外側に立っていません。
けれども、どの様な心配ごとも恐れや不安も、安心して心のままお話しください。私も自我はありますからよく分かります。否定する事なくお気持ちに寄り添いながら真中神の生命のなかで共にお時間を過ごしましょう。
(泡ぷくぷくエステみたいで気持ちいい。この子はここが安心できるお気に入りの場所♪私たちは真中神の生命の中で自由に泳いでる❣️)
📩(セッション後のメール)
↓
昨日のセッション、本当に有り難うございました。
私の気分も本当に軽くなりました。おそらく霊界にいる父も喜んでいるような気がします。
父は辛い家庭で育ちましたが、自分が結婚してもまた辛い体験をすることになりました。
それでも父は4人の子を引き取り育ててきました。精一杯父は頑張ったと思います。
父を楽にさせて下さったすめみまさんに心から感謝いたします。
今度は4人の実の子と別れて生きなければならなかった実母の供養のお願いを申し込むつもりです。
すめみまさんもお元気にお過ごしください。
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🌟すめみま…シェアさせて頂きありがとうございました🙏✨お父様は真中宇宙であなたと愛でひとつです✨永遠にお別れはありません。
2026.1.9
今日のセッションは
「2026年に向けて、今必要な解放をお願いします」というご要望でした。
新たな年の幕開けですものね👍
でもセッションは今年に限った事ではない元々在る場所でした。
このセッションの場で、クライアントさんと共有した感覚があります。
それは、
どこまでも自由な感覚。
そして、喜び。
心のままに人生を楽しめる
そんな自由
心の自由は、喜びなのだ
と、改めて静かに分かる体験でした。
⸻
スピリチュアルの世界では、「ワクワクに従って生きよう」という言葉がずいぶん前から広く使われています。
バシャールの言葉をきっかけに、
多くの人がそれを人生のナビゲーションとして採用してきました。
それ自体が、間違っているとは思いません。
けれど私は、
どこかで感じていました。
ワクワクに従おうとすると、
少し疲れるという感覚を。
そもそも、
そんなにワクワクしないのです。
⸻
私は、「もっと好きなことをしないと」「仕事ばかりしていないで、もっと楽しんだら?」
そんな言葉を、何度もかけられてきました。
けれど正直に言うと、
仕事は「頑張ってやっていること」
ではなく、とても自然なことでした。
ワクワクしているかと聞かれたら、そうでもない。
でも、ズレている感じもしない。
⸻
真中神の宇宙で感じる喜びは、
一般に言われる「ワクワク」とは、
明らかに違っています。
それは、
・何かを選び取った喜びでもなく
・うまくいきそうな予感でもなく
・テンションが上がる感覚でもない
ただ、
どこまでも自由な安心感。
そこには、
ワクワクとは質の違う素晴らしい喜びがありました。
その自由さは、
「もっと楽しもう」と
自分を動かすものではなく、
もう、力まなくていい
もう、正解を探さなくていい
そんな制限が外れたときの、
静かで、でも深い喜びでした。
⸻
バシャールの言う「ワクワク」と、
今回のセッションで共有された喜びは、
同じ層のものではありません。
バシャールのワクワクは、
思考と選択のためのナビ。
「どちらを選ぶか」
「どちらが拡大か」
人生のハンドルとして機能します。
一方で、
今回感じられた喜びは、
そもそも、
ハンドルを握る必要が
なかったと気づいたときの感覚でした。
⸻
だから私は思います。
ワクワクが分からない人がいるのは、
ハートが閉じているからではない。
もっと静かな層で生きているだけなのかもしれません。
ワクワクを探さなくても、
無理に楽しもうとしなくても、
ただ在ること自体が、
過去が「私である」という前提が、外れ、すでに自由だったと気づくこと。
それは、
追いかけるものではなく、
新しく得るものでもなく、
在るものです。
⸻
「もっと自由でいい(元々あなたは自由)」であって、
「もっと楽しまなきゃ」ではない。
この違いは、決定的です。
前者は、真我霊の声。
後者は、スピリチュアルな規範や義務。
ここで言う「スピリチュアルな規範」とは、宗教の戒律のようなものではありません。
・ポジティブでいなければ
・波動を上げなければ
・楽しんでいなければ
・ワクワクしていなければ
そう在れない自分を、知らないうちに「間違い」にしてしまう、目に見えないルールのことです。
一見、
自由や愛の言葉を使っていても、
その内側では、
「こう感じるべき」
「こう在れていない私はズレている」
という、修正と評価が起きています。
その瞬間、
自由は目標になり、
喜びは義務に変わってしまう。
「もっと楽しまなきゃ」は、
自由の言葉を借りたスピリチュアルな義務です。
⸻
もし、
ワクワクに従おうとして疲れるなら、それは失敗ではありません。
合っていないのでも、
分かっていないのでもない。
もう、そのナビが
必要ない場所にいる
というサインかもしれません。
ワクワクに従えないのは、
もう、従う必要がない場所に
立っているだけかも知れません。
⸻
どこまでも自由な喜びは、
音もなく、主張もなく、
ただ静かに、ここに在ります。
そしてそれは、
誰にでも、すでに在る。
思い出すタイミングが、
人それぞれ違うだけなのだと思います。
⸻
そしてセッションの後、クライアントさんからこんな言葉をいただきました。
「新しい年を、
自由の風が開いてくれそうで
とても嬉しいです。
そこにある自由を、
これから味わっていきます。」
この言葉の中に、
今日のセッションのすべてが、静かに在りました。
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今日もお読みいただきぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎💓今「心のままに人生を楽しめる自由」を感じる。それは感情に従う自由ではない。
人生に抵抗しなくていい自由。
そしてそのとき、
楽しさは
目標でも、指針でも、義務でもなく、
ただの副産物になる。
2026.1.6
すめみま社は、
願いを叶えるための社ではありません。
けれど、
願いがほどけていく場所ではあります。
折紙の叶え雛があり、
御祈願があり、
感謝の形として御供えをいただく事もございます。
(心を込めて手作り頂いた梅と、可愛くて甘いお林檎🍎を御供え頂きました🙏✨大切に頂きます❣️)
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その形だけを見れば、
ごく一般的な「願掛け」に見えるかもしれません。
それでも、
すめみま社は、
いわゆる神社のエネルギーとは異なります。
私自身も最初は、どうしてなのだろう?と思っていました。
特定の神の性質や力ではなく、
もっと静かで、
魂の故郷のような懐かしいもの。
外から何かを授かるというより、
自分の奥に、最初から在ったものに
そっと触れてしまうような感覚。
今はそれが、
真我霊(まがたま)だったのだとわかります。
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恐れや不安の中にいるとき、
人は願いを「掴もう」とします。
なんとかしようとし、
変えようとし、
未来に”条件”を置いてしまう。
そのとき、
心は重くなり、
本来は自然に流れているはずの
いのちの流れが、どこかで滞ります。
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すめみま社で起きているのは、
願いを強めることではありません。
願いを握りしめていた手が、
ほんの一瞬ゆるむこと。
その瞬間、
心が平安に戻ったり、
形が変わって現実が動いたり、
あるいは
「もう大丈夫だった」と気づくこともあります。
どれも、
無理に起こしていることではありません。
愛と平和の真中神(まなかみ)の生命の中に在るだけ。
すると元々ある真中神の生命の流れに自然と戻るのです。
(精魂込めて育てたお米やキウイをお餅やジャムにしてくださいました❣️お下がりはお雑煮にして頂きます🙏)
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すめみま社は、
神を祀る場所ではありません。
神を癒す場所でも、
神とつながる場所でもありません。
神を必要としていた
物語が、静かに終わる地点。
そこでは、
与える者と受け取る者、
祈る者と祈られる者、
内と外
その境目が、
いつのまにかひとつに溶け合います。
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願いが叶うこともあります。
叶わないように見えることもあります。
けれど、
どちらの場合も、
心があたたかく、少し軽くなっているなら。
それが、
すめみま社が
まだ在る理由なのかもしれません。
(心を込めてお選び頂いたお菓子💓を御供えさせて頂きました🙏)
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No.1〜3をお読み頂きぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎✨ 💞すめみま社は、2009年に「すめみま」という言葉の響きを受け取ったことから始まりました。
八百万の神々は、今の私には、
それぞれの個性や御働きを持ちながらも、姿形を超え、真中宇宙においては、ひとつとして感じられています。
(茨城名物の納豆を御供え頂きました🙏納豆は元気の元です❣️)
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エゴはこれでは物足りないと感じます。自分で苦しみを作り、自分で人生をなんとかしようとします。現実化も頑張ってやりたいし、願いを叶えてくれる力ある神社と評判の神社に参拝したい。そう力んでいます。
真実は今ここにあり、何も掴まなくても頑張らなくても自然なもの✨
『No.1人間のエゴ構造を支える象徴としての神☀️』↓
『No.2🌊真実の海に還るか、光に見える幻想に溺れるか』↓
『真我霊からのメッセージ』↓
2026.1.2
新年、あけましておめでとうございます🌅
昨年、みなさまの心と、私の心、そして真中神の心が
静かに重ねられたことを、
とても幸せに感じています。
今年もまた、
真中神の生命の流れの中で、
安心とよろこびが
息づく一年となりますように✨
昨日、初めて『アバター』を観ました。
目の前にひらく異なる世界を眺めながら、
私はいつの間にか、懐かしい感覚を思い出していました。
幼いころ、
世界は自分を中心に回っていると、
理由もなく知っていたあの感覚。
願えば届き、
想えば応えてくれる世界。
けれど
それは少しずつ「夢」と呼ばれ、
現実という言葉の中へ、しまわれていきました。
思い通りにならないことを知り、
想いの力を忘れ
心を小さく折りたたみながら、
私たちは大人になっていきます。
それでも――
真中神の生命(いのち)は、
一度も離れたことはありませんでした。
見えないけれど
静かに、確かに、
内にも、外にも、
世界そのものとして在り続けていたのです。
そして気づきます。
世界は私を裏切ったのではなく、
忘れられていただけだったことに。
心の重しがほどけると、
生命は、
思ってもみなかった風景をひらきます。
そこは、新しい場所ではなく、
元々、在った場所。
戻ったのではなく、
ただ、思い出しただけ。
今年も、
真中神の生命のぬくもりとともに、
それぞれの歩みが、
やさしく祝福されますように✨
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
2026.1.1
すみだ水族館のペンギンたちの故郷は.アルゼンチンのバルデス半島。
SNSの現地取材のコメントに、「太陽いっぱいの国から来たのに、光が入らない暗い水族館に閉じ込められてかわいそう。。酷すぎます😭」そんな感じのコメントを見かけました。
そのお気持ち、わかりますよ〜
私も、初めてすみだ水族館に行った時、ペンギンたちを見て少し苦しくなりました。
けれど、ペンギンたちを眺めている内に、そんな想いも消えていきました。
自然界より寿命が長いから」
「天敵がいないから」
「安定した餌や治療があるから」
「飼育員さんにも懐いて楽しんでいるのだから」
……そうやって理由を探して納得しようとするのも、実は人間だけの「判断」
「かわいそう」も「幸せ」も、人間が勝手にラベルを貼っているだけ。
ペンギンたちは、そんな人間のジャッジなどどこ吹く風ね。
ぷかぷかスイスイ泳いでいます。
彼らにとっては、今いるここが故郷
真中神の視点に立てば、今ある場所、今ある時こそが、一寸の狂いもない完璧な現れ。
ジャッジを手放した先に、ただ純粋な「命」の姿が見えてきます。
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今日もお読み頂きぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎✨
この世で起きている残酷な出来事も含めて様々なことを「大丈夫」にしたいのではなく、
命そのものを
どんな物語にも閉じ込めたくない、そう思うのです。
心は底無しに静かなクリスマス🎄水族館は大賑わい🐟
2025.12.25
今日も真ん中に在りましょう。
真実は、思い出すものではありません。
もともと、ここに在るものです。
何度も書かせて頂いて、聞き飽きていらっしゃるかも知れませんが、より真ん中から今回もまた書くことになりました。
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――スピリチュアルに潜む“最も巧妙な罠”――
☀️多くの人が「悟りや目覚め」「次元上昇」「ハイヤーセルフ(高次元自己)」という言葉に惹かれます。
それらは一見、とても光に満ち、真実に見えます。
私も以前はそこに囚われていました。
だからこそ私は、今、はっきり書きます。
そこには、最も巧妙な分離のトリックが潜んでいます。
⸻
☀️ 次元も、あらゆる階層(ヒエラルキー)も、すべては『構造』である
私はかつて、霊体トラベルを通して
さまざまな次元、霊界、神界、魔界、宇宙人、マスターの世界を体験してきました。それらひとつをとっても無限にあります。
それぞれに秩序があり、役割があり、
確かに「周波数の違い」はあります。
けれど、今だから言えます。
それらはすべて「波」であり、「構造」であり、「物語」です。
どれほど精妙であっても、
どれほど神聖に見えても、
そこには必ず
• 上と下
• 教える者と教えられる者
• 進んだ魂と遅れた魂
という**序列(ヒエラルキー)**が生まれます。
この瞬間、
私たちは 真我霊(真実の自己)から離れていきます。
真我霊は不変で完全な真実のあなた
始まりも終わりもなく完結しています。
☀️「上に行こう」とする心が、分離を完成させる
5次元、6次元、7次元。
ハイヤーセルフの段階。
アセンションの段階や期限。
これらはすべて、
「今ここにいる自分は未完成だ」
という前提の上に成り立っています。
これは、愛ではありません。
これは、恐れです。
しかもこの恐れは、
光の言葉で巧妙に包装されている。
だから人は気づかない。
⸻
☀️光を“翻訳する意識”の罠
多くのスピリチュアル・リーダーは、
真実の断片に触れています。
「すべては一つ」
「あなたは愛そのもの」
「完全性はすでにある」
これらは、真中神の海から来た
純粋な真実の断片を掴んでいます。
しかし問題は、
その波を誰の意識で翻訳しているかです。
翻訳者が
分離の想念(エゴ)をまだ握っているとき、
真実はこう変換されます。
• 特別なエネルギー
• 特別なワーク
• 特別な存在とのつながり
• 今のあなたには“まだ足りない”という前提
これは
真実を商品棚に並べる行為です。
純粋な光が、
自我という容器に移し替えられた瞬間、
それはもう真実ではありません。
⸻
☀️スピリチュアル最大の危険は「道具を真実と勘違いすること」
ワーク
リーディング
エネルギー
次元情報
マスターの物語
などなど
これらはすべて
道具です。
道具が悪いのではありません。
道具を使っている間も、あなたは一度も真我霊(まがたま)から離れたことはありませんでした。
危険なのは、
道具そのものを「真実」や「最終地点」だと思い込んでしまうことです。
その事により、私たちは「すでに在る完全性」を自ら隠してしまいます。
そうすると、
• 自分だけでは足りない
• 何かを受け取らなければならない
• “不足を埋めるために”誰かとの繋がりを必要としてしまう
という依存構造が生まれます。
これは
真我霊からの分離を、より強固に固定します。
☀️真実は、どこにも行かない
真実は、
上にも
外にも
未来にも
ありません。
真実は
今ここに在る、真我霊そのものです。
それは
達成するものでも探究するものでも
思い出すプロセスすら必要ありません。
ただ、それとして在る。
何もしなくていい。
どこへも行かなくていい。
ただ、すでにそうであるという静寂に、くつろぐだけ。
必要なのは、
何かを足すことではなく、
「自分は未完成だ」という古い構造の夢から、ただ静かに手を離すことだけです。
⸻
☀️それでも、幻想を楽しむ自由はある
私は、
次元の物語を否定しません。
神々の世界を否定しません。
それらを
物語として楽しむ自由はあります。
けれど私は、
そこに住むことは選びません。
それを現実にしません。
夢のような雲に囚われることは
もう私にはありません。
⸻
☀️この先を読む方へ
ここまで読んで
心がざわついたなら、
それは間違いではありません。
それは
幻想がほどけ始めるサインです。
光に見える幻想を脱ぐ覚悟のある人だけが、
この先へ進めます。
真我霊は、
すでに完全です。
必要なのは、
何かを足すことではなく、
信じ込んできた構造を手放すことだけ。
|
真我霊(まがたま)として生きるとは、
この夢の物語の中にいながら、その虚構性を見抜き、「真実」だと信じ込まないこと。
実在しないもの(幻想)に力を与えなければ、
それらはあなたを傷つける力を失い、
ただの背景として、静かに退いていきます。
|
『No.1人間のエゴ構造を支える象徴としての神』↓
https://sumemima.com/?p=227852025.12.21










