以前、山本先生に
「真中神を通して御参拝すると、神社の神々も真中神に見えるのです」
とお伝えしたことがございました。
その言葉の意味が分かりづらいと感じられたクライアントさんがいらっしゃいました。
拝見いたしますと、その方のプライベートな空間には、さまざまな存在が入り込んでおられました。
もしかすると、私の言葉を一生懸命に実践しようとされたことで、知らず知らず他の存在を招き入れてしまったのかもしれません。
🔹お伝えした真意
分離という感覚が薄れてくると、
世界のすべてが「自分」に見えてくることがあります。
神社での御参拝の際も、目にする神々が自分のエネルギーの映しのように感じられるのです。
けれども、それは自然に訪れる体験であり、
努力や意図でつかもうとするものではありません。
無理に理解しよう、体験しようとすると、かえって分離を強めてしまうことがあります。
🔹分離の次元での注意
私たちは通常、分離の世界で生きています。
その状態で「すべては自分」と考えてしまうと、
他の存在や人のエネルギーまで自分と一緒くたに取り込んでしまい、
境界が曖昧になり、自分を見失うことにもなりかねません。
せっかく真中神と繋がっても、これでは本末転倒です。
分離の次元では、他の存在や他者との間に**健やかなセパレーション(分かたれ)**が必要です。
ただし、それは断絶ではなく、
真中神の心の中では、すべてが愛によってひとつに繋がっているという理解の上での分かたれです。
この調和の感覚が、やがて自然に、内なる体験として訪れるでしょう。
(千葉に鰻を食べに連れて行ってもらいました🌸千葉県香取神社☔️)
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⛩️真中神に神社参拝について尋ねてみました日頃のお蔭さまの御働きに感謝を捧げながら、
自然の中で清々しく過ごしている――
そんなビジョンを、真中神は静かに見せてくれました。
とてもシンプルなのです。
真中神は、
「神は神社にだけ在る」とか、
「神社へ参拝して感謝しなさい」とは仰いません。
もし参拝したいと感じるなら、
清らかな心で、自然に湧き上がる感謝をそのままに。
その“自然さ”こそが、真中神の響きなのだと伝わってきます✨
感謝もまた、無理にするものではありません。
何事も、自然に――。
真中神は、分離した存在ではなく、
形なき神であり、すべてに遍(あまね)く在す御方。
🌳•¨•.¸¸❀*・゚🌸•¨•.¸¸❀*・🌳
私はたまたま“見えてしまう”ために、
そのままの光景をお伝えしてしまうことがあります。
けれども、それがかえって分離を強めてしまったり、
誤解や混乱を招くこともあるかもしれません。
すべてを理解していただこうとするのは、
ある意味で傲慢なのかもしれませんね。
体験してこそ分かるものだから。
ですから、ブログは、
「そんなこともあるのだなぁ」と気楽に読んでいただけたら嬉しいです。
ありがたいことに、山本先生はいつも私の真意を汲み取り、
より分かりやすくお話ししてくださっています🙏✨
今日もお読みいただき
ぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎✨
みこりん🌸
*本物の大神さまは、私たちの個のスペースには入りません。
けれども、神社にはさまざまな存在が共にあります。
また、神社に行かずとも、多くの人が無意識に存在を自らのスペースに入れているものです。
それもまた、この地上世界の“普通の状態”なのかもしれません。
私は自分自身のスペースには存在は入れないことが自分のパワーを所有出来るので、入らない様にお願いしています。
私は単車に乗っているイメージ、マイクロバスではありません😅
http://sumemima.com/すめみま🌟
2024.4.10