今日のセッションは
「2026年に向けて、今必要な解放をお願いします」というご要望でした。
新たな年の幕開けですものね👍
でもセッションは今年に限った事ではない元々在る場所でした。
このセッションの場で、クライアントさんと共有した感覚があります。
それは、
どこまでも自由な感覚。
そして、喜び。
心のままに人生を楽しめる
そんな自由
心の自由は、喜びなのだ
と、改めて静かに分かる体験でした。
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スピリチュアルの世界では、「ワクワクに従って生きよう」という言葉がずいぶん前から広く使われています。
バシャールの言葉をきっかけに、
多くの人がそれを人生のナビゲーションとして採用してきました。
それ自体が、間違っているとは思いません。
けれど私は、
どこかで感じていました。
ワクワクに従おうとすると、
少し疲れるという感覚を。
そもそも、
そんなにワクワクしないのです。
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私は、「もっと好きなことをしないと」「仕事ばかりしていないで、もっと楽しんだら?」
そんな言葉を、何度もかけられてきました。
けれど正直に言うと、
仕事は「頑張ってやっていること」
ではなく、とても自然なことでした。
ワクワクしているかと聞かれたら、そうでもない。
でも、ズレている感じもしない。
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真中神の宇宙で感じる喜びは、
一般に言われる「ワクワク」とは、
明らかに違っています。
それは、
・何かを選び取った喜びでもなく
・うまくいきそうな予感でもなく
・テンションが上がる感覚でもない
ただ、
どこまでも自由な安心感。
そこには、
ワクワクとは質の違う素晴らしい喜びがありました。
その自由さは、
「もっと楽しもう」と
自分を動かすものではなく、
もう、力まなくていい
もう、正解を探さなくていい
そんな制限が外れたときの、
静かで、でも深い喜びでした。
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バシャールの言う「ワクワク」と、
今回のセッションで共有された喜びは、
同じ層のものではありません。
バシャールのワクワクは、
思考と選択のためのナビ。
「どちらを選ぶか」
「どちらが拡大か」
人生のハンドルとして機能します。
一方で、
今回感じられた喜びは、
そもそも、
ハンドルを握る必要が
なかったと気づいたときの感覚でした。
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だから私は思います。
ワクワクが分からない人がいるのは、
ハートが閉じているからではない。
もっと静かな層で生きているだけなのかもしれません。
ワクワクを探さなくても、
無理に楽しもうとしなくても、
ただ在ること自体が、
過去が「私である」という前提が、外れ、すでに自由だったと気づくこと。
それは、
追いかけるものではなく、
新しく得るものでもなく、
在るものです。
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「もっと自由でいい(元々あなたは自由)」であって、
「もっと楽しまなきゃ」ではない。
この違いは、決定的です。
前者は、真我霊の声。
後者は、スピリチュアルな規範や義務。
ここで言う「スピリチュアルな規範」とは、宗教の戒律のようなものではありません。
・ポジティブでいなければ
・波動を上げなければ
・楽しんでいなければ
・ワクワクしていなければ
そう在れない自分を、知らないうちに「間違い」にしてしまう、目に見えないルールのことです。
一見、
自由や愛の言葉を使っていても、
その内側では、
「こう感じるべき」
「こう在れていない私はズレている」
という、修正と評価が起きています。
その瞬間、
自由は目標になり、
喜びは義務に変わってしまう。
「もっと楽しまなきゃ」は、
自由の言葉を借りたスピリチュアルな義務です。
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もし、
ワクワクに従おうとして疲れるなら、それは失敗ではありません。
合っていないのでも、
分かっていないのでもない。
もう、そのナビが
必要ない場所にいる
というサインかもしれません。
ワクワクに従えないのは、
もう、従う必要がない場所に
立っているだけかも知れません。
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どこまでも自由な喜びは、
音もなく、主張もなく、
ただ静かに、ここに在ります。
そしてそれは、
誰にでも、すでに在る。
思い出すタイミングが、
人それぞれ違うだけなのだと思います。
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そしてセッションの後、クライアントさんからこんな言葉をいただきました。
「新しい年を、
自由の風が開いてくれそうで
とても嬉しいです。
そこにある自由を、
これから味わっていきます。」
この言葉の中に、
今日のセッションのすべてが、静かに在りました。
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今日もお読みいただきぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎💓今「心のままに人生を楽しめる自由」を感じる。それは感情に従う自由ではない。
人生に抵抗しなくていい自由。
そしてそのとき、
楽しさは
目標でも、指針でも、義務でもなく、
ただの副産物になる。
2026.1.6

