運命を超えた自己創造へ

「参拝」「礼拝」「拝む」――これらは一般的に、神社仏閣や教会など、外にある聖なる場所に向かって行われるものです。

けれども今日、「叶え雛」の願いが成就したことへの御礼として御神酒をお供えしていた折、三囲(みめぐり)の神より、こんな導きをいただきました。

「これからは、自分の内側に向かって参拝しなさい」

この言葉を受け取ったとき、不思議と腑に落ちたのです。

すめみま社は、「真中神(まなかがみ)」の世界を体現する場でもあります。神々はそれぞれに個性を持ちながら、ある時期から私の内から外に映し出されたかのように個々の神格はそのままに私のエネルギーの色になったからです。

神棚も、御神酒の供えも、外に向けた感謝の表現として大切なものです。それ自体が間違っているということでは決してありません。

けれど、あるときから私は、わざわざ外に足を運び参拝するという気持ちが不思議と湧かなくなりました。それがなぜなのか、理解できました。

IMG_6959(叶雛での願いが叶った御礼の御神酒を御供え頂きました🙏✨)

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神々は、それぞれが異なるエネルギーの役割を持ちながら、全体としてひとつの存在――たとえるならば、多様な楽器が一つの楽曲を奏でるようなもの。

真我霊(まがたま)はその「音楽」そのものではなく、すべての根底に在ります。神の中にも、人の中にも、霊の奥底に真中神が据え置いたとも言えるかもしれません。

神は神霊

人は人霊

そして、真に在る霊が「真我霊」

この日受け取ったメッセージは、文章に出来る感じではないのですが、ただ明確には「これからは外ではなく、内なる神性へと参拝する時が来た」と告げられました。

それは、真中神の宇宙において感謝を捧げる、ということにも繋がるのだと思います。

このメッセージは、誰かに勧めるというよりも、神さまご自身から私に向けて語られたものです。みなさんとも真中神の愛で繋がっていますので私の個人的な体験ではありますが、感じるものがあるかも知れぬとシェアさせていただきました。

もちろん、外の世界に対する感謝の心もまた、自然なことです。内も外も同じという意識もあります。しかし、あえて「内に向かうように」と示されたことには、私にとっては大きな意味があるのです。

今日もお読みいただきぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎✨すべては、自らの内に💞ミコリン

真我霊ではなく三囲神社の神様からというのが意外でしたが神も真我霊が内にあり私たちより分離していないのでもっともなのですね✨真我霊の中に神々はおられるのかも知れませんがそこのところはお答えはいただけません。

sumemima | 運命を超えた自己創造へすめみま🌟すめみま

2025.5.8