思想や次元を超えて
真中神の生命の流れから✨
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心も体も健やかに、
源である真中神(まなかみ)の流れと共に在る。
それは何かを足すことでも、
特別な方法を求めることでもありません。
修行の先にある到達点でもありません。
余計な物語を足さず、
解釈を重ねなければ、
自然に「真ん中」に在ります。
今日は、その在り方を説いた
『六根清浄大祓』を
真中神の視座から紐解きます。
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【 六根清浄大祓 】
(ろっこんしょうじょうのおおはらい)
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この祝詞は、
私たちの感覚
目・耳・鼻・口・身・意
から入る情報に振り回されることなく、
もともと離れていない静かな領域を示しています。
◇「人は則ち天下の神物なり」
人は本来、生命そのものの現れです。
◇「須らく掌る静謐心は則神明の本主たり」
心を静かに保つことこそ、
神(生命)の本質に在ることです。
◇「心神を傷ましむること莫れ」
外側の出来事に物語を付けて、
自分自身を傷つける必要はありません。
◇「目に諸の不浄を見て 心に諸の不浄を見ず」
目に入り、
耳に届き、
鼻に感じ、
口に触れ、
身に起こり、
思いに浮かぶものがあっても、
それを心の真実にしないこと。
◇「此の時に清く潔き偈あり」
その瞬間、もともと清らかな心がそこにあります。
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【 物語を足さず、真ん中に在る 】
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生活のなかで、
望まない状況や言葉に出会うことはあります。
しかし、「嫌だ」「どうして」と物語を始めると、
エネルギーは浪費され、調和が乱れます。
六根清浄とは、
入ってきたものを
“掴まない”
ことです。
嫌なことを言われても、
それと戦わず、
ただ「起きていること」として眺めます。
・これは意味のない思いです
・ただ、それが起きているだけ
余計な説明が削ぎ落とされると、
ただ在るだけになります。
感情の渦を追いかけず、
ただ流れていきます。
それが、
真中神の生命の流れです。
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【 解釈を置かない 】
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◇「諸の法は影と像の如し 清く潔ければ仮にも穢るること無し 説を取らば得べからず」
出来事はすべて、
鏡に映る影のようなものです。
実体のない影に対して、
戦ったり、無理に整理したりする必要はありません。
解釈を置かなければ、
そこには恐れるものは何一つありません。
揺れがあっても、何にも縛られない。
◇「皆花よりぞ木実とは生る 我が身は則ち六根清浄なり」
花が実を結ぶように、すべては自然の流れのままに起きます。
私自身も、そのまま、六根清浄―元々清らかな心のまま―で在ります。
それが六根清浄の真意です。
◇「五臓の神君安寧なり」
縛られなければ、体は自然に調います。
◇「天地の神と同根なり」
源と分かれてはいません。
◇「万物の霊と同体なり」
現れているすべてが、同じ生命です。
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【 願いという流れ 】
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自分を「小さな個」と感じている間、
願いは欠乏として現れます。
けれど、その分かれた感じが薄れると、
願いはもはや「私のもの」ではなく、
生命の動きそのものになります。
◇「為す所の願いとして成就せずといふことなし」
流れに逆らわなければ、
すべてはすでに
最も自然な形で現れています。
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特別な人になる必要はありません。
自分を清める必要もありません。
六根清浄とは、
清める行為ではなく、
もともと穢れてなどなかったと気づくこと。
ただ、起きている。
ただ、流れている。
それだけです。
物語がないから、あっけない。
その静けさの中に、真の豊かさがある。
すめみま🌟

※この祝詞を唱えることを勧めているわけではありません。
ただ、真中神の心を映す言葉として、ここに置いています。
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『六根清浄大祓祝詞』
天照皇太神の宣はく
人は則ち天下の神物なり
須らく掌る静謐心は則神明の本主たり
心神を傷ましむること莫れ 是の故に
目に諸の不浄を見て 心に諸の不浄を見ず
耳に諸の不浄を聞きて 心に諸の不浄を聞かず
鼻に諸の不浄を嗅ぎて 心に諸の不浄を嗅がず
口に諸の不浄を言いて 心に諸の不浄を言わず
身に諸の不浄を触れて 心に諸の不浄を触れず
意に諸の不浄を思ひて 心に諸の不浄を想はず
此の時に清く潔き偈あり
諸の法は影と像の如し 清く潔ければ
仮にも穢るること無し 説を取らば得べからず
皆花よりぞ木実とは生る 我が身は則ち
六根清浄なり
六根清浄なるが故に五臓の神君安寧なり
五臓の神君安寧なるが故に天地の神と同根なり
天地の神と同根なるが故に万物の霊と同体なり
万物の霊と同体なるが故に
為す所の願いとして成就せずといふことなし
無上霊宝 神道加持
あまてらします すめおおがみの のたまわく。ひとはすなわち あめがしたの みたまものなり
すべからく しずまることを つかさどるこころは すなわち かみとかみとの もとのあるじたり。
わがたましいを いたましむことなかれ。
このゆえに めにもろもろのふじょうをみて こころにもろもろのふじょうをみず。
みみにもろもろのふじょうをききてこころにもろもろのふじょうをきかず。
はなにもろもろのふじょうをかぎて こころにもろもろのふじょうをかがず。
くちにもろもろのふじょうをいって こころにもろもろのふじょうをいわず。
みにもろもろのふじょうをふれて こころにもろもろのふじょうをふれず。
こころにもろもろのふじょうをおもいて こころにもろもろのふじょうをおもわず。
このときに きよくいさぎよきことあり。
もろもろののりは かげと かたちのごとし。
きよくきよければ かりにも けがれることなし。
ことをとらば うべからず。
みな はなよりぞ このみとはなる。
わがみはすなわち ろっこんしょうじょうなり。
ろっこんしょうじょうなるがゆえに ごぞうしんくんのあんねいなり。
ごぞうしんくん あんねいなるがゆえに てんちのかみとどうこんなり。
てんちのかみとどうこんなるがゆえに ばんぶつのれいとどうたいなり。
ばんぶつのれいとどうたいなるがゆえに なすところのねがいとして せいじゅせずということなし。
むじょうれいほうしんどうかじ。
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sumemima.com
2026.3.1