運命を超えた自己創造へ

亡くなる時は苦しみたくない迷惑をかけたくない

という事で世間一般的には、“ぽっくり逝きたい”が望みだそうです。

近所の三囲神社にもピンピンコロリ社がございますし、ぽっくり寺やピンコロ地蔵は有名で、ピンコロ団子やTシャツまであるそうです。
穏やかで優しい親戚のおじいちゃんが、日向ぼっこをしながら眠るように安らかに亡くなった話を母から子どもの時に聞き心に残りました。

 

まず最初に簡単にホームページからの引用を記載します。

🍀ご高齢の方、病の方のセッション後安らかな旅立ちについて以下の事をご了承の上でお申込みお願い致します。

命(寿命)の事は私には分かりません。エゴで延命を望むセッションは行えません。神に委ね祈りセッションさせて頂きます。

セッションは治療ではなく本来の自分を取り戻す助けです。結果として治癒される方もおられますし肉体を脱ぎ捨て旅立ち自由になる方もおられます。

本来生命の誕生や死は、宇宙と完璧な調和を保っている神の御心のまま完璧なタイミングでこの世に生を受け、完璧なタイミングで肉体を脱ぎ捨て旅立つのです。

この事から、延命治療的な事は神は行なわず、制限を外し苦しまず移行する為の神の愛のセッションとなります。

死とは本来、陰鬱や恐れのものではなく永遠の生命の輝き、自由、よろこび、祝福を私は感じます✨

 

〜〜〜

先日ペットの犬さんのセッションをさせていただきました。腹水が溜まり重い病の状態でしたが、病と寄り添い吠えもせず無理をせず生きている姿を飼い主さんからのメールで知りました。

まだ元気なうちにセッションを受けたいとお申込みされました。飼い主さんそして犬さんの魂から溢れるほどの愛を感じ、私も感謝と愛が溢れました。

セッション後には快方に向かうかのように吠えたそうです。翌日お誕生日にはレストランでケーキも食べる事が出来て飼い主さんご夫婦と幸せな時間を過ごしました。

本当に良くなってきたと私を含めて誰もが思いました。

その帰り道、突然力無く倒れ込み飼い主さんの腕の中で幸せの中安らかに旅立ったとの事でした。

きっと良くなるという希望も見えましたから、余りに急変したショックと悲しみにご家族も包まれました。

 

私は圧倒されるような愛の世界、重い肉体からの自由、生命の輝きを目の前に感じて、恐れや陰鬱さ悲しみそう言った感情は幻想界である自我の感覚そのものなのだと気づかせて頂きました。

 

 

〜重い病の方やご高齢の方のセッション後の旅立ちについて✨ひとつの考え方〜

今までわかっているつもりでいましたが、今朝はっきりとセッションで本当にあっという間に旅立ってしまう方がおられる理由に気づきました。

寝たきりや、痴呆、病気になって亡くなっていくのは神の一部である人間の真の姿ではなく、人間がありのままの自分を否定した恐れの世界の延長だと気づきました。

それが普通になっている世界ではありますが、セッションではその方の本来の姿である神聖な姿をみていますので、そこに光が当たります。

病を作ってしまった私たちにもそこから無限の愛は絶えずそそがれています。

今までセッションでご病気の方が長く患わず、あっという間に旅立ってしまう事が多々あり神のみの知る事と葛藤せずに手放してはいました。

しかし今はっきりと気づいたのです。

その方の本当の神の姿に光が当たる事で幻想が消え、自由になるのです。

結果として重い肉体を脱ぎ捨て光の方に旅立つ方もおられるという事です。

溜め込んだものから自由になり、本来の生命力を少しずつ取り戻す方もおられます。

ご高齢の方で寝たきりの方や重い病の方はあまりに重すぎる肉体を脱ぎ捨て自由になる事が多いのです。

諦め死を選択する事をご本人が深い所で望んでいる事もございます。

それは自分は年だから、重病だからもうだめだと思うのは大人です。子供はそう言った自我の声があまりありませんから死の宣告を受けても復活なさる事が大人よりも多い気がします。

✨肉体を離れる場合も回復に向かう場合も同じく本来の姿に戻る旅の軌道に乗ったのです✨

 

どの様な形になろうとも私は祝福します。

セッション後に肉体を離れ旅立つという事になっても神は「間違いは何もなく完全ですよ」と仰っているかの様な晴々とした気持ちと圧倒する愛、祝福、明るさに包まれます。

肉体は脱ぎ捨てようと死はなく、ある段階の気づきのステージに引き上げられた事には変わりがないのです。

私は神に死のゲートを抜けた先を体験させられた事があります。

そこには裁きも何もなくただ私たちの中の純粋な愛のみが宇宙であり私たちはそのすべてなのです。

すめみま🌟