運命を超えた自己創造へ

もう十数年も前の事です。
陰陽師のワークショップに参加した事があります。
その時に見世物の様な感じで、陰陽師の攻撃(もしくは防御?)を体験しました。

それは参加者は強烈に臭い毒を浴びる体験です。

詳しくは忘れましたが、相手の目を見据えて凝縮した憎悪を吐き出しました!

凄く臭く硬いエネルギーです。全身の力が抜けて攻撃出来なくなる仕組みです。

 

(オーラに表れる黒みはこのエネルギーです。一般的にオーラをリーディングして色を伝えていますが、色よりも透明度が重要です。
心の清らかさに比例します。)
このエネルギーは憎悪と表現しましたが、私たちが日常吐き出す感情です。

 

ムカっときた時
イラっときた時
傷ついて心がズキンときた時などと同じエネルギーです。

私は小さな時から牛肉を食べられないのですが、理由の一つに牛が殺される時に出す恐れにあたってしまうからです。牛さんは殺される事を知っていますが、とても怖いのです………

エネルギーも取り込んでしまい子どもの時は血の気が引いて脂汗が出て倒れてしまいます。

陰陽師の攻撃を受けたのと同じ状態です。

イラっときた時やムカっときた時
すべて恐れが出ます。

傷ついたら即座に攻撃の感情が無意識に出ますね。○○のせいでこうなったという様に被害者になります。

被害者を自ら選択した途端、”被害者は攻撃者になります。”

 

私たちは危険から身を守る事は必要ですが、究極的には必要ありません。

その様に書くと勘違いされる方がおられますが、究極的と書いた時は自我の目でみている世界からではないです。神の目でみた世界からです。

先日、ある方が仰っていました。
「最近信じて良くして差し上げても裏切られる事が続いています。
人が良いだけでは駄目で、上手く生きる術が必要なのかも知れないと悩みます。」

 

私は傷つく事を選ぶのも自ら選択しているのだと思います。傷つく必要はないのです。

 

この世界が混沌としているのは、心が正しくないと知っている事でも正当な理由をつけたかの様に自分を偽ってまかり通してしまうからです。一番恐るべき事はそれがだんだん普通になって心を侵食していきます。
真心を持って接する事を選択したなら他の人はどうであろうとどの様な事をされようと関係ないのではないでしょうか?

自分を穢す事が出来るのは自分だけです。

 

 

先日BSでイタリアの小さな村の物語を家族が観ていました。

私が観たちょうどその時に92歳になるおじいちゃんがアップでテレビ画面に映っていました。

なんとお若いのでしょう、
それは驚きに値するお姿でした。

見た目も少年の様に若々しいのですが、エネルギーが天に届く程に清らかで澄みきって星の如くキラキラ輝いていました。

エネルギーも同時にみたのかも知れませんが、こんなに清らかで美しくお年を重ねた方は初めてでした。

 

最近は出会う人々の本来の輝きばかりが見えてしまうのですが、今回は目が釘付けになりメッセージだったのでしょうね。エネルギーそのものが語りかけてきました。

 

そしてこれはみなさまにお伝えしたいと思いました。

 

彼は「商売は正直さが一番大切でそれを守って生きてきた」そういいました。

 

私はその一瞬の言葉と画像が脳裏に焼き付いて離れませんでした。

 

ホテルの経営をしてバーでいつも人々をもてなしていたそうです。
引退した今でもバーで村の人々や観光客とのお喋りを楽しむ為に毎日通っているそうです。

 

以前、エーテル界で閻魔大王にあった時も「人間は自分に嘘をつく事からやめなければならない」と言っていました。

 

 

正直さとはなんと神々しいエネルギーでしょう。

 

 

長い人生の中しかも観光客も沢山きますし、お酒を扱うお仕事ですから、見たくないものも見たかも知れませんし、裏切られたと思わなくてもその様な事もあったかも知れません。
しかし彼は自分の正直さは揺るがなかったし被害者を選ばなかったのだと思います。

 

それ以前に彼の中にまったくないものは彼の清らかな目には映らなかったのかも知れません。その人の純粋な部分しか見えなかったのかも知れません。

 

彼の若さと清らかさは外見だけで判断しているのではなく、そういった生き様が長い年月をかけて表の形状にも現れ、姿形としても見ることが出来る、

当たり前の現象に過ぎないのです。

 

✨(神の心を偽らない)正直さとはまっさらな純粋無垢な神の心そのものです✨

 

その様な清らかな内面が形作ったエネルギーの現れである形状に相応しい出来事しか起こらなくなるのです。

 

それがホームページトップのメッセージそのもの物質世界のここにいて天国を生きるという事です。

私達は神の心を誰にも教えられなくとも深い所で知っていて、私達は自分を偽る事は出来ません。

しかしその声を聞こうとせずに自分の頭だけで考えて自我の声に負けてしまいます。

そう言ったことが知らぬ間に罪悪感を作り出し精神だけでなく肉体をも貶めてしまうのです。

 

私の言う罪悪感とは心の奥底の善なる声(神の声)に従わなかったという無意識的な罪の意識です。

そして真実は神の意志だけがあり自由意識はないと思います。

あるとしたら私たちの中の神の声に従うか、それとも自我の声に従うかです。
あの時の陰陽師の防御術の様に憎悪のエネルギーを出して防御せずとも
私達は一瞬一瞬の内なる神を選択する事で、清らかで安らかで完全な防御しない自分を本当は生きられるのです。
完全性の中にただ在る✨
すめみま🌟

〜〜〜

イタリアのほぼ真ん中。
なだらかな山に囲まれた盆地にある村、カンポドニコ。
村人は代々、炭を焼き、牛や羊を育て、
暮らしを支えてきた。
夏には、雄大な自然を目当てに
多くの観光客が訪れるが、今は初秋。
村人たちだけの穏やかな時間が流れている。

村一番の働き者がこの村で歩んだ92年の人生…、
孫たちの宝物は67年前の手作りの髭剃り箱。
18の頃よりも70歳のいまの自分が楽しい…、
村に戻った元ホテルマンと、
内気で生真面目な人生を変えてくれた妻。