運命を超えた自己創造へ

神と真に共に歩むと自分の内側を見ることになります。

会社の成功発展、良い結婚相手など現世御利益を望むのが自我です。
自我にとっては見たくない事で「ワクワクを生きたら良い方向に自然といくのでしょう?」と言ったりします。

自分を省みなければならない様な真面目でつまらない話は聞きたくないのです。

しかしここに述べたように内なる神の気づきと共に歩む事で自我レベルの現実化ではない神我レベルの現実化が起こります。

自分で望むことをしなくてもすべてが目の前に差し出されるのです。

それは自我(頭で想像し考える)の望む事を越えていますがすべて完全で間違いや偶然はありません。

神の世界はこの世界の何ものにも侵されない世界です。
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セッションのご相談で他人、特に血縁者との葛藤のご相談は大変多いのです。

対面セッションで腰の手術をしなければならないとご相談がありセッションをお受け下さいました。

足元に亡くなった方が蹲っているのがみえました。
直ぐにお導きしようとしたのですが、彼は母親ではないか?と言って苦しそうにお話しされました。

簡単にまとめると母親は兄を大変可愛がっていた為に生前贈与で自分には少なく兄に沢山相続した。
贈与後に兄は手のひらを返した様に母親を粗末にしたが、自分も恨みがあるので母親とは絶縁状態。
母親はその後、孤独死したがまだ許せずに成仏もさせたくないとの事でした。

腰は痛くともこのままで良いと他の解放をしてお帰りになりました。

その後も1ヶ月に一回お見えになりセッションを受け続けました。その甲斐あって手術はしないでなんとか痛みと共に生活されています。

お顔もずいぶん明るくなり性格も和らいできた様に見えました。
ある時に準備が整ったのでしょう。

夢で魂を揺すぶられました。
神は深い愛情で彼を見捨てる事はされなかったのです。

その夢は以下の内容でした。

彼にはとても愛する娘がいます。
このお嫁にも行かせたくない娘が彼のある一言で絶縁状態になりました。

月日が経ち彼は身体が弱り死を待つのみの老人となりました。誰も訪ねてこないぼろ家で後悔と共に自分の人生を振り返ったそうです。

娘の死んだ様な冷たい目が忘れられません。
とてもリアルで夢の方が現実かと思いましたあせあせ(飛び散る汗)

「そろそろ母親を許しても良いのかも知れません。成仏お願いします。」そう仰いました。
またある方は鬱病の姉が許せませんでした。
鬱病を理由に両親にお金をたかるからです。

そのうち犯罪も犯しました。
家族にも大変な迷惑をかけ自分も鬱病になりかけた…そんな姉は最後は自ら命を絶ったそうです。
しかも電車に飛び込んで。

姉が亡くなって何年も経ってもこの方の姉への憎しみは相当なものでした。

体調も悪く時折鬱々した気分が襲ってきて何日もこもる事も多くなりました。

そんな時にセッションに出会い、定期的に受け始めだんだん体調もよくなりました。

神に心を開く準備が整ったある日夢の啓示を受けました。

今迄だって神さまからは気づきが燦々と降り続いていたのです。誰にでもそうです。

しかしあまりに自我の鎧が強固で遥かに遠ざかり光が差し込む事が出来なかったのです。

少しづつお話しして神のエネルギーの助けを借りて気づきを受け取れるまでに心が開いてきました。

そして彼女の愛する娘が幼い姿で夢に現れました。

目に入れても痛くないほど愛らしい子

その子がある日靴を盗みました。
何度も何度も美しい靴を盗み幸せそうに履いて踊っていました。

感情的に追い詰めるとその子は真っ白い美しい階段を駆け上がり止める間も無く空から舞い降りたのです。

ドスンというリアルな音が耳から離れません。そう彼女は仰いました。

身も心も凍りつきました。助かる見込みのない病院の待合室で後悔と恐れの中で目が覚めました。

目が覚めても体が恐れでいっぱいでした。

悲しみで胸が締め付けられます。なんと私は愚かだったのでしょう。

彼女は姉を許したのです✨
そして自分自身を許し、心を鎖から解き放ち牢獄から飛び立つ事ができたのです。

神我と傘の下の光の存在達が深い深い愛情であなたを導いているのです。

聖なる夢は聖なる書です。

結局私たちの魂が救われる道は気づきの道、聖なる道しかありません。

人を判断している内は強固なカルマの連鎖から逃れられません。

私自身も無意識的な心の不具合も即座に正されます。

みなさんも即座に恩恵を受けて正されているはずなのです。

しかしほとんど気づいていません。

セッションは神と共に気づきの日々を送る事を目的としています。その様に100%変化していったのです。

私は気づきました。

夢の啓示で心から気づいてお二人は良かったです。

カルマとは霊の気づきの為の体験です。

気づき改めない場合次の生でそれを体験させられるとはっきり気づきました。
神が裁いているのではなく多分深いところでそれを知っているから罪悪感に関係しているかも知れません。

他人の気持ちは分からないから判断し責めるのです。
ほんの少しでも同じです。
その為その人の気持ちを次は体験するのです。

先ほどお話に出た電車に飛び込み自殺される方は年々増えているそうです。

「人の迷惑考えない死に方しないでほしい」電車の遅れのなかで男女が何気なく話していました。
光の存在の慈悲深い感覚が悲しみとして私の中から湧き起こりました。

光の方々が悲しむ事はないですが、私は彼らの神の姿を見たのです。彼らはただ知らないだけなのです。

ほんの少し思うだけでも裁いているのが私たちです。
キリストの話を思い出します。マグダラのマリアに石を投げる人々に向かってイエスキリストは言いました。

「あなた方の中で罪の無いものが最初に石を投げなさい」

 
私は以前何度も書きましたが、離婚する頃に自分が死んだ時をシンボル的に体験させられました。

その時に見えたのが自分の醜い想念の顔だけだったのです。

人を責めた顔、悲痛な顔、顔、顔、顔…
カルマの顔です。

その時に悟りました。

どんなに酷い事をされても自分の魂に刻まれるのは自分自身の心の状態だけなのだと。
たとえ子供を殺されたとしてもです。

これがカルマの無限サイクルです。

 

 

しかしカルマを越えて神を生きる事は今すぐに出来ます。

その様な葛藤が生まれたら内なる神にお願いして愛の考え方に変えて貰うのです。

「私の思考を愛に変えて下さい」
「なぜこのような事が起こったのか、気づきを与えて下さい」
(現実的な問題にセッションで答える必要が無くなった訳が分かりますね。私も気づきをお答えしますがご自分で受け取り心から気づいた方がよいのです。)

夢のリアルな体験で気づいても人間は弱く愚かです。すぐに忘れてしまいます。

無限の愛の存在はそんな私達を裁きもせずにいつもあたたかく見守り道を示して下さるのです。

私たちはもともと純真無垢な存在でカルマなどありません。その本来の姿がエゴを抜いた部分なのです。

自我で努力する事を手放しすべてその部分の自分に助けを求め委ねるのです。

その部分を神と呼んでも高次の自己(ハイアーセルフ)と呼んでも天使と呼んでも何でもよいのですが、自我では想像出来ないほどに純粋な自分なのです。

自我(エゴ)だけで努力しても残念ながら無理です。

セッションをお受け下さったみなさんは是非、その神の自分に一瞬一瞬語りかけて共に歩んでください。

受けて楽になったで終わってもよいのですが、それが主たる目的なのです。

この一瞬一瞬が現実に何があっても気づきと共にある光の日々なのです。

それこそが神の愛であり神の意志であり確固たる計画なのです✨

 
聖なる夢ノート ✴︎
日中も気づいていましょう(目覚めた意識でいましょう)夜はノートとペンを枕元に置いて寝ることもおすすめです。聖なる気づきの夢は夢の直後に目が覚め覚えていられる様にしてくれます。トイレに行けば忘れますから直ぐにノートにメモしましょう。意味が分からなければたずねて下さい。いつもこちらからしっかり繋がってコンタクトを密にしましょう。必ず聞いていて答えてくれます。マインド整理の意味のない夢もあります。教えは気づく様に出来ています。

神我と共に✨
すめみま🌟