運命を超えた自己創造へ

今日は番外編😊

菌水は単なる楽しみではなく、
真中神の生命の流れの中で起きている一つの現象です。

最初は自然に興味が立ち上がり、気づけば長く続いていました。
それもまた、理由づけのいらない流れの中の出来事です。

💧情報の伝達者

菌は栄養ではありません。

何かを補うものでも、整えるものでもない。

ただ、生命の動きがそのまま現れているものです。

少し飲むだけでいいと感じるのも、
何かが足されているからではなく、

すでに在る流れの中に、触れているという体験が起きているだけです。

💧菌は「物質」であり「動き」

菌は物質でありながら、同時に動きそのものです。

特別な力があるわけでも、意味があるわけでもありません。

ただそう在るものとして現れている。

それに触れたとき、体が反応することもあるし、
何も起きないように感じることもある

どちらも同じように、ただ起きている現象です。

💧「量」ではなく「起きているかどうか」

大切なのは量ではありません。

何かが起きるときは起きるし、起きないときは起きない。

一口で変化を感じることもあれば、
何も感じないこともある。

そこに意味や法則はありません。

💧日和見菌という揺れ

体の中の菌も一定ではありません。

整うこともあれば、崩れることもある。

菌水が入ることで何かが起きることもあれば、
何も起きないこともある。

その変化の中で、
別のバランスが現れることもある。

それを良いとも悪いとも決めず、
ただ動きとして見ています。

💧結論

菌水を口にするとき、

それは栄養を摂っているというよりも、
生命の動きの中にそのまま触れているという出来事です。

整えるためでも、変えるためでもない。

ただ、そのままが通っていくだけです。

IMG_0741(向かって左から重曹クエン酸、バクチャーエッセンス、麦飯石、🌸いちご桜酵母菌水、🌸青マンゴー桜酵母菌水)

✨私は菌に惹かれます。

そこに、説明のいらない動きがそのまま現れているからです。

セッションと同じ構造

セッションでも同じことが起きています。

何かを与えるわけでも、変えるわけでもない。

余計なものがほどけて、
もともと在るものがそのまま見えてくる。

そう見える、という体験が起きているだけです。

コントロールしない

操作しないこと。
頑張らないこと。

それでも、何かは起きるし、何も起きないこともある。

どちらも同じです。

菌水は特別ではない

菌水は特別なものではありません。

ただ、そういう現象がここにあるだけです。

✨菌水と向き合うとき、
とても静かな感覚の中にいます。

何かをしている感覚ではなく、
ただ在る中で、それが在る。

そのとき私には、

生命が曼荼羅のように広がっている相として観えています。

無数の菌たちがそれぞれに動きながら、
全体としてひとつの像のように現れている。

崩れることも、整うこともありながら、
その都度、別のバランスが立ち上がっている。

それが実際にどうであるかではなく、
ただそう観えている。

その中に、自分も含まれている。

合わせにいく必要もなく、導く必要もない。

気づけば、同じひとつの動きとして在る。

そんな感覚です。

形は変わっても成り立つものがある

形は変わり続ける。

その中で、その都度成り立つ状態がある。

それを私は
生命の曼荼羅として観ています。

完成品の手本はない。

作り手や状況によって、現れる形は変わる

だから寄り添って見守ること

真我霊(まがたま)がいつも愛の目で私たちを見守るように✨

IMG_0739(ドラゴンフルーツと🌸桜酵母の菌水)

今日もお読みいただきぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎💞

片足が曲がってしまった人が、

足をかばうために反対の足でびっこをひく。

バランスを取るために首も曲がり身体が傾く。

無理に元に戻そうとすると、かえって一度に崩れてしまうこともある。

形は変わっても、

その時その時で成り立っている状態がある。

揺らぎの中に、

説明のいらない美しさのように観える。

それを私は、

生命の曼荼羅と呼んでいます✨

sumemima | 完全性の中にただ在るすめみま

2026.4.27