今朝また、
“ただ在る”がふっとやってきて
自己が消えました。
みなさんとも分かち合いたいと思い書いてみました。
ただ在るが現れた時
物事に繋がりがない感覚が現れました。
原因と結果という物語の流れも同時に消える
「それはただ起きているだけ」という感覚。
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真中宇宙にはカルマはありません。
犯罪者も被害者も、善も悪もありません。
光も闇も超えた、ただ一つの光。
私はこれまでずっと、そのようにお伝えしてきました。
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自分がある世界には時間があり、
「過去 → 現在 → 未来」という直線があり、
そこをエゴの思考が忙しく行き来します。
そのため原因と結果が必要になり、
“私の物語”が生まれます。
けれど、
自分が無い真中神と溶け合う“ただ在る”の時には、
時間の直線が解体し、
前後という感覚がなくなり、
すべてが同時・ただ一つ。
だから当然、
“原因”と“結果”という構造そのものが消えます。
原因も結果も、
「分離した私」が物語を語るための設定にすぎません。
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🌱 タネを撒くと芽が出て花が咲く——これはどうなるの?
こう思うかもしれません。
でも、“私”がいない世界では、
• タネを撒く“自分”はいない
• タネが撒かれるという出来事が、ただそう現れている
• 芽が出たり花が咲いたりするのも、因果として繋がっているわけではない
すべては“ひとつの今”の別の姿であって、
その間を繋ぐ「私の物語」という線が消えているだけなのです。
花は
“タネを撒いたから咲く”のではなく、
咲く時に自然に咲く。
そこに“誰が”という主体はいないという
自分に戻ると不思議な感覚、でも真ん中にしっかりおさまって明晰なハッキリした感覚
その時いかに自分があるとぼやけた曖昧な中にいるか分かるのです。
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☀️日常では、自己が現れたり消えたりする
日常に戻ると、私の場合、
自己が現れたり、ふっと消えたりします。
物語を楽しむ私もいます。
でもその背後には、
常に「無い」が静かに知っている。
だからどちらも束縛ではなく、
ただの働きとして起こるだけ。
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☀️“無い状態”を維持しようとすると、逆にエゴになる
もしここで、
• 無い状態が優れている
• 有る状態はよくない
• 無い状態を維持しなければならない
と思うなら、それは宗教的・修行的なエゴ。
真中神と分離した古い思考体系です。
“在る”も“無い”も、
どちらも自然のままに現れたらいい。
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そして静けさの中で、ひとつ確かに感じた言葉があります。
自分が無いとき、世界が自由になる。
『ただそれが起きている』
そこに様々な思考がない(考えを付けない)
この見方は何はともあれ楽ですよ👍
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今日もお読みいただきぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎✨今日はエゴちゃんをそっと脇に休ませる一日。
よろしければご一緒に。
心がほどけていく自由を、ふわりと味わってみてくださいね💞
2025.12.8

