死は存在しません。
すべてはここに存在しています。
生まれても死んでもいない
死はないので特別な場所にいくこともない
元々ある命だけが広がっている
思いが形をつくる
形は無いものだから様々な形となる
形は無いものだから消滅していき
また形となることができる
真に在るものは命だけ
命は現れたり消え去ったりしない
初めもなく終わりもない
(真中神)
✨✨✨✨✨
私はかつて、まったく異なる二つの“死”をエネルギーで体験しました。
ひとつは、底知れぬ恐れと闇に呑み込まれる様な死ー
もうひとつは、神の愛に包まれ、溶け込み、
本当の安らぎと幸福に満たされた死──
前者は、私の妹が自ら命を絶ったときのことです。
それは言葉に尽くせぬほどの絶望と、魂が凍りつくような無限地獄の恐怖のエネルギーでした。
誰にも、あのような苦しみを味わってほしくはない。
二度と、誰一人として──そう心から願いました。
あのときの思いが、いまもなお、同じような苦しみを抱える方々の内なる神と共に助けになりたいと願う源なのです。
この苦しみのエネルギーは、深い鬱の淵をくぐり抜けた方にはほんのわずかでも分かるかもしれません。
けれども、経験のない者には、決して理解されることのない世界です。
また幼いころ、近所の方のご逝去に立ち会ったとき、そのお顔がまるで般若のようであったのを、私は忘れることができません。
今でこそ死化粧がありますが、恐怖に満ちた場所へ逝った方は、そのような表情をされることもあるのだとその時子供ながらに思いました。
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もうひとつの“死”は、両親と動物たちの旅立ちを通じて経験しました。
それは“死”ではなく、
真中神の世界へと還る穏やかな愛の移行でした。
私たちはここで生きている様に思っていますが、それを遥かに超えた真中神の命とひとつとなる真に生きている状態です。
母は静かに、まるで眠るかのように旅立ちました。
数日後、父がそのあとを追うように旅立ちました。
父は高齢にしてなお、生きることに強く執着し、「まだ死にたくない」と最後まで願っていました。
そんな父でしたが、父の最期に宿っていたのは、ただ神の愛のみでした。
胸に手を重ね、穏やかに眠るように旅立った父。
その時、澄みわたる星のような輝きが、遥か上空にひとつ、瞬いているのが見えました。
不思議と、私はそれが母であると、すぐに分かりました。
星のようなその輝きは、やがて宇宙全体へと広がっていきました。
それはもはや、言葉では言い表せぬほどの
深い愛と、無限の安らぎ──
真中神の愛と、母の愛が溶け合い、
一つとなって、
まるで父を抱きとめるかのように包み込みました。
父はその愛にすべてを委ね、この世への執着を完全に手放し、
ただ穏やかに、本当にこのエネルギーは言葉では表現できません。懐かしく完全な安らぎ、愛と喜びの中へと両手を広げて飛び込むように溶けていったのです。
そのお顔は、限りない幸せに満ちていました。
──これこそが、真中神の愛。
本当のお父さんお母さんの家に帰還する
この表現そのものです。
すべては溶け合い、
すべてはひとつです。
愛する人たちと決して別れることはなく、
いつでも共に在り続けるのです。
安心と平和のうちに、私たちは一つの命として永遠に息づいている。
私は確信しています。
これこそが、肉体を超えた、唯一の真実の世界です。
私たちは今、地上で、真中神と共に生きることができるのです。
この世において、それを思い出しましょう。
それこそが、神国を地上に生きるということ。
肉体がなくなっても、何ひとつ失われることはありません。
むしろ、真の命だけがあらわとなるのです。
神の御腕の中に、
私たちはいつでも、
抱かれているのです──
今日もお読みいただきぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎✨すめみま💞ここで目の前の人を通して真中神の愛を見ることが出来たら
その人と愛でひとつになることが出来たら
死後の世界は想像つくのではないでしょうか?そこは愛しかありません。
(霊幽界は自分の想念であり実態のないエゴのなせる技です。そこではエゴに気づく事が出来ません。元々ない世界に囚われていれば、これこそが本当の死です。)
この地上で真中神の愛と平和な心を選び丁寧に生きる事をご一緒にしていきましょう。
2025.6.8
