運命を超えた自己創造へ

人間の本性は真中神との合一に向かう事です。

真中神とは本当の自分自身です。

その為にはエゴの現存を強める観念を手放し純粋無限な意識を選び生きる事が必要です。ここではこの話は簡単にしておきます。

この世に執着があれば、魂は引き寄せられ輪廻転生の無限サイクルから抜ける事はありません。

もし苦しみから抜けて純粋な愛に溶け込む事を選択するなら、神(本当の自分自身)を全身全霊で求め愛する事にかかっています。

プロティノス(205年〜270)人間は「一なるもの」への愛(エロース)によって「一なるもの」に回帰することができる。一なるものと合一し、忘我の状態に達することをエクスタシスという。

D17FBBBA-1CC0-478F-9C4F-3F1A1E1BACE6⛩産土神社の牛嶋神社からあまりに可愛くて拝借しました。

そこで今日は、真中神(神我)を愛する為のお話です。

あなたは元々神ですから

その純粋無垢な神のあなたである真中神(神我)があります。

真中神を求め全身全霊で愛しましょう。

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私達は肉体の目で見えないものはなかなか信じる事が出来ません。

その為に人間は、目に見える象徴に向かって手を合わせる為に、偶像があったり神社仏閣を建てたりしています。

どの様な意識を持って偶像に向かっているのかで、神との合一をたすけるのか分離を強めるかになります。

偶像や形式そのものを崇拝してしまうのは自分ではなく他のものにパワーを明け渡す事になります。

宗教は、神の御霊を内蔵する私達を力なきものと惑わして、外の神を崇拝させる事で大きな間違いを犯しています。すべてが神のあらわれなら争う事もありません。

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偶像に手を合わせる事は、子どものままごと遊びに似ています。

子供がひとりでお母さん役になったり赤ちゃん役になったり人形遊びをしているのと似ています。

真中神は偶像に手を合わせる事を良いとも悪いとも言いません。

真中神に姿形になって目の前に現れて下さいととお願いしても、あなたが望む様にしてくれます。

私たちの中にある”姿も形もない真中神”が分からない幼稚園児にしゃがんで見せてくれるようなものです。

あなたが全身全霊で愛すことの出来るイメージを真中神に重ねて愛する事は、真中神を心から愛してやまない初めの一歩の助けとなるならよいのです。

真理がわかる様になったら偶像はいりません。

分離を強めるものでもあり、闇の存在もこれを利用して私たちを力無いものと洗脳してきているという事実もあります。偶像崇拝は人間崇拝にもいえます。

しかし真中神はそれも分かった上で慈悲深いです。

人の心が作った幻想をも利用して、あなたを大きな愛で包みながら、ちょうどの時に真理に目覚めさせます。

キリスト教の洗礼を受けているマリア信仰の方がセッションを受けにいらっしゃいました。

その方の真中神はその方が姿形をお願いすると聖母マリアの御姿で現れてくれました。

真中神は私たちが肉体を離れた時に迎えにくる光でもあります。私たちが不安にならないように、安心して真中神に身を委ねられる様にその人が潜在的に望む神仏や先祖の姿になるのです。それがない人には元の光のままです。

あなたは、自分である神を何を置いても愛さなければなりません。

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潜在意識から魂そして内なる神(真中神)に繋がる内側からの名前もございます。

それが真我霊(まがたま)です。

真中神(まなかみ)は神なる自己であり、大いなる霊である純粋な意識(表現は様々ありますが、いつなるもの、無限の存在、光と闇を超えた光、終わりなき始まりなき神、天之御中主、大日如来、全能の神、ブラフマンなど)

・ブラフマンは真中神(まなかがみ)宇宙根源

・アートマンは真我霊(まがたま)自己の中心個の根源

ブラフマンとアートマンは同一でもあります。

インド哲学について私は全く無知ですが、これを書く為にWikipediaでブラフマンを調べてみました。真中神と真我霊の私の理解とほぼ同じでしたので、イメージしやすいかと思いお載せ致しました✨

Wikipedia

ブラフマンは、ヒンドゥー教またはインド哲学における宇宙の根理。

自己の中心であるアートマンは、ブラフマンと同一であるとされる。

ブラフマンは宇宙の源である。神聖な知性として見なされ、全ての存在に浸透している。

アートマンは、ヴェーダの宗教で使われる用語で、意識の最も深い内側にある個の根源を意味する。真我とも訳される。

『真中神と真我霊』Blog→http://sumemima.com/?p=15009

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今日もお読み頂きぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎ミコリン今日も見た目(自我)のわたしや目の前のその人を越えて、真中神である愛、喜び、平和だけの本当の姿を見る

偶像崇拝ではなくすべてに真中神を見る事

神との合一とまで言わずとも、これが真中神の世界を生きる事となります。

すめみまhttp://sumemima.com/

2023.3.24