運命を超えた自己創造へ

☀️セッションについて

すめみまセッションは、真中神(まなかみ)と真我霊(まがたま)と共に生きるためのお手伝いです。

魂を本来の丸い姿へと整え、生命(創造)の中心から外れてしまったものを再び核に戻していきます。

天之御中主の神様は、そのことを「〇の真ん中に・」という図で示してくださいました。

☀️本当の自分

私たちは本来、言葉では説明できない普遍意識――ただ静かに見守る存在です。

2009年のシフトの時、私はそのことを突然の体験として悟りました。

それは人格を持つ神ではなく、すべてに遍満している普遍的生命そのもの。

無限の存在であり、その真中神の分け御霊が私たち一人ひとりなのです。

☀️自我と真我

あなたが「自分」だと思っている存在は、分離を体験するための自我にすぎません。

セッションはその自我を無くすものではなく、


  • 真中神(まなかみ)
  • そして真中神が創造したままの真我霊(まがたま)

を「本来の自分」として思い出し、それと共に生きることで歪み(苦しみ)を正していくためのワークです。

外側に依存してきた生き方をやめ、自我が神なる自分に依り添う生き方へと変えていく――それは真中神に寄り添う「謙虚で素直な心」へと戻ることです。

☀️セッションの働き

セッションとは、神の秩序に戻ることを助けるワークでもあります。

時空を超えて溜め込んだ不要なエネルギーが解放され、本来の力がに戻ってきます。

生命の核(創造の源)から外れた歪みが正され、再び中心へと整っていきます。

これは古神道に伝わる祈り、

「かんながらたまちはえませ」

神の御心のままに

その働きと同じです。

☀️罪と穢れの本当の意味

神道では、


  • 「穢れ(けがれ)」とは「気枯れ」、
  • 「罪」とは「包み」で、魂を覆い隠すこと。

とされています。

つまり「罪・穢れを祓い清める」とは、魂が魄によって覆われ、気が枯れた状態から、精神が再び緊張を取り戻して気が蘇ることを意味します。

これは魂が魄を制する状態に戻し、精神(かむながら)を健全に保つための働きです。

本来、私たちは罪も穢れもない存在なのです。

☀️古代からの智慧

また、自然と共に生きてきた古代のシャーマンはこう考えます。

問題の根本を見つけ、病んでいるものを宇宙と調和させ、本来の姿へと回復させる。

つまり、神なる自分も弱さを持つ自分もすべてを受け入れ、統合していくことです。

そうして宇宙と完全に調和し、母なる大地を歩む生き方へとつながっていきます。

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☀️真中神と御祈願について

真中神とは

ここでいう真中神とは、みなさん自身の本来の姿です。

すべては生命の源からの分け御霊であり、神聖な源のエッセンスを宿す魂(スピリット)。その意識を土台に、セッションは行われます。

真中神と一体化していくと分離の感覚は薄れ、八百万の神も自然の霊も物の霊も、すべてが「わたし」であり「友」であり「兄弟姉妹」であると感じます。

万物は一つの真中神の中で結ばれているのです。

☀️御祈願について

現実的なお望みは、物質世界に近い神仏やスピリットに祈ります。私たち自身も御霊ですから、真中神は万物すべての中に存在します。

神社仏閣に祈ることもありますが、依存ではありません。依存とは「自分でできることをせず寄りかかること」です。

ご相談者が全力を尽くした上で「神さまのお力をお借りしたい」と願う時、私は神社仏閣次元の神々に御祈願いたします。

私はかつて神社にご奉仕しておりましたので、日本の神々との御縁も深く親しい関わりがあります。そのために「すめみま社」という場を用意しました。

しかし究極的には、そこで祈る対象もまた私たち自身の真中神です。万物すべては兄弟姉妹であり、祈りとは愛と感謝を込めて自らを真中神に戻す行為です。

☀️祈りの本質

祈りには 自覚(自分が覚めること)と 覚悟(覚めて悟る決意)が必要です。

意に乗る(意乗り)神の意に従う

意に宣る(意宣り)神の意を自らの決意として宣言する

祈りは単なる願望ではなく「決意」です。

祈ったならば、自分自身もその決意にふさわしい行動と変容が求められます。

もし神に祈りながら信頼せず、何度も同じことを祈っては元に戻るような生き方をすれば、同じ因果の繰り返しとなるでしょう。

創造の法則は中立であり、歪んだものは必ず調和へと戻ろうとします。病気や問題は、私たちが真中から外れていることを教えてくれるのです。

だからこそ、愛と感謝をもって真中へと戻ることが大切です。

☀️感謝の本当の意味

感謝とは「感じて謝る」と書きます。

神から離れた生き方をしてしまったことを素直に申し訳なく思う気持ち、それが本当の感謝です。

自分に都合の良いことが起きた時だけの感謝は本物ではありません。

その為、御祈願は必ずしも自我の望み通りにはなりません。

生命の源の完全なバランス――愛と平安――へと導かれるのです。

そのとき、心は静かに満たされ、自然と「愛と感謝の言葉」が湧き出ることが分かります。

☀️私自身の歩み

私自身も長い間、分離を手放す旅を続けています。肉体を持つ以上、みなさんと同じように様々な体験を重ねています。

それでも日々、真中神の愛を選び続ける中で、私のエネルギーも変化し続けています。

このためホームページの内容も随時更新しています。セッションそのものにはすべてが含まれ、正確に言葉で説明することはできません。私は教師ではなく、ただ共に「忘れていた真理を思い出す」仲間でありたいのです。

みなさんの真中神、真我霊が、ちょうどよい時に必ず導いてくれるでしょう。ホームページやセッション、ブログはそのための小さな助けであり、みなさんの成長や変化に合わせてさまざまな視点からお話をしています。

☀️真中神について補足

 真中神とは

始まりも終わりもないもの、光と闇を超えた光、一元の神、大我、無限の意識、空――そう呼ぶこともできます。

ただし真中神は姿形のある神ではありません。

🌈肉体を離れる時、真中神は安心のために信仰する神や亡き家族の姿に変化して現れることもありますが、それはあくまで潜在意識が望んだ姿に過ぎません。

真中神は偶像ではなく生命そのものです。

ですから偶像崇拝は避けるべきです。偶像に囚われれば、闇の存在に入り込む隙を与えてしまうからです。

sumemima | 完全性の中にただ在るすめみま🌟

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