私の体験は言葉に出来るものではありませんが、同じ真中神を生きるみなさんの助けになるかも知れないと思い、出来るだけ近い言葉でそのままあらわしてみました。
【☀️「私は在る」──向かうものではなく、元々ある世界】
分離を超えた世界を、本や教えでご存じの方も多いでしょう。
そこへ“向かおう”と思う人もいるかもしれません。
けれど私の体験から言えば、
そこは向かう場所ではなく、
最初から在るもの。
悟りでも目覚めでもなく、ただの 再認識 でした。
なにかを得たのではなく、
薄いベールがふっと落ち、
本来の透明さが “そのまま” 現れた状態です。
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【☀️真中神でさえ心の世界】
部屋でぼんやりしていた時、
“真中神でさえ私の心の世界そのものだった”
と突然分かった感覚がおとずれました。
その瞬間、
“個人としての私” は不在で、
ただ、空(くう)に近い存在としての「在る」だけでした。
観察者すらいない。
静けさの自分もいない。
ああ、この“何も特別でない状態”が
あの「わたしは在る」とか「ただ在る」なのか、と後で分かった体験でした。
ただ在る
もっと違う言葉で表現したかったのですが、体験中はこの言葉の状態、これしか言いようがないのです。
なんでもない世界が私の中に現れてくるような感覚でした。
外側という概念がなくなり
まるで私が宇宙そのもののように、
すべてが“私の内側に現れている”ように感じられたのです。
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【☀️二つの見方は、同じ一点を指していた】
・自我が消えて “世界だけがある” と感じる見方
・世界が “私の中に在る” と感じる見方
まるで正反対のようでいて、
どちらも 分離がない一点 を指しているものでした。
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【☀️静寂でも至福でもない、“ただ普通” の在り方】
今回の体験は、
悟りの高揚や神秘的な至福といった波が一切ありません。これが大きな特徴です。
静寂でもない。
恍惚でもない。
喜びですらない。
ただ「普通」。
ただ「変わってない」。
ただ「在る」。
特別な霊的体験ではなく、
“当たり前の真実がそのまま顔を出した” だけでした。
(甘いお蜜柑🍊を御供え下さいました🙏✨セッション後に肉体意識に戻り、お蜜柑を頂きながら肉体を持っている奇跡を味わいます💞感謝)
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【☀️これまでの私の体験】
✨ 啓示のような光が降りてきた時
空間も時間も消え、
滝のような涙と愛に包まれた体験。
✨ 世界の裏側の闇があらわになり、神の世界と重なって見えた時
闇さえ愛の一部だと分かった体験。
✨ 天界から、故郷である地球とそこにいる人々を慈しみ抱きしめていた感覚
これらの体験はどれも強烈で、尊く、真中神に包まれ
愛や光や深い気づきに満ちていました。
しかし今回の“ただ在る”は、
それらとはまったく違うものでした。
光でも愛でも涙でもない。
ただ「何もない」自然そのもの。
むしろ、
あの大きな愛や啓示は
“分離のわずかな名残りに響く波”
だったのだと気づきました。
要するに、自我がほんのわずか残っているから、
感情やハートの次元で至福の高まりが起こるのです。
それは未熟なことでもなく、
ただ“波としての現れ”にすぎない。
今回立ち上がった「ただ在る」は、
その波さえ起こらない、
真中神の海のまったく普通の、何も特別ではない真実の静けさでした。
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【☀️個の私ではなく、境界のない“私”】
感じているのは「個の私」ではなく、
私と何かの境目のない状態、真中神の生命(いのち)。
時計の針は動いているのに、
本当には“いましかない”。
この矛盾が矛盾しない状態。
出来事はただ起こり、
過去と未来は実体を持たない。
世界が私の内側にあり、
過去や未来の実体もなく
“出来事だけがただ立ち現れては消えていく”
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【☀️何度も訪れていたのに、特別ではなかったから見逃していた】
以前にも何度か触れていたのに、
“何もない” ために掴まずに日常へ戻ってしまっていた。
今回は、
「これか」
とはっきり分かっただけ。
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【☀️特別視も目標も必要なく、いつでも還れる場所】
けれどその状態をずっと掴みたいという執着はありません。
その状態は真中神の生命にお任せ
分離しているように見える日常でも、
真我霊と共に在る柔らかな喜び(至福感)の中で
この世界を楽しむことができるから。
真中意識に還ることも、
この世界のストーリーを味わうことも、
どちらも
“自然にただ起こっているだけ”
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【☀️究極の真中に在るとは】
広がることも縮まることもなく、
観察者もなく、
“意識”という名さえ超えている、
空(くう)のようでもあり、すべてのようでもあり存在そのもの。
中心に在る。
いつも変わらず、最初からそこに在り続けていた真中(まなか)。
真中神の中で「ただ在る」とは、
その究極の真中そのものに在るということ。
認識も無い
「無のようで無でもない」
「空のようで空でもない」
「ただ在るだけ」
2025.12.6