運命を超えた自己創造へ

祇園精舎の鐘の音で始まる平家物語

友人が内容もさることながら詩の語呂の良さ、響きも美しいね!と送ってくれました。

おごり高ぶった者も、長くおごりにふけることはできない。勇猛な者もついには滅びてしまう。最近のニュースに重ね送ってくれたのだと思います。

“春の夜の夢の如し”

私はここが心に残っていました。

そしてこの一節から以前も書かせて頂いた霊からの言葉を思い出します。

ずいぶん前の話になります。妹が自死した時に、別れた夫が恐山に連れて行ってくれました。東北では、亡くなった人に再び出会う場所といったら恐山なのだと思います。その為に岩手に住む彼は私を案じ連れて行ってくれたのです。

亡くなったばかりで妹も私の背後にいましたから一緒に行って良い旅となりました。

恐山で霊たちが話しかけてきたのですが、その言葉から伝わる亡くなったその方の心が、この世を丸ごと抱きしめるばかりの愛に溢れていて思わず涙してしまいました。

その言葉は

この世は木の葉が舞い落ちるが如く一瞬の夢だった(木から葉っぱが地面に落ちるくらいほんの一瞬の夢だった)

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私は何度も何度も霊界に連れて行かれたり

死んだ体験を仮体験させられたり

過去世を今あるが如く体験させられたり

天界から下界をみせられたりと

目に見えるものは消えゆく一瞬の夢だから、大切なものを見失わないようにと様々な体験をさせられました。

そして夢の中で夢遊病者にならないで、真実を見失なわない様に普遍的に目覚めている真中神がいてくれるのです。

現象を越えて真実の愛を見るように

何が起ころうとそれに囚われて苦しまないようにと

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こちらも以前ご紹介させて頂いた後白河天皇が編纂した『梁塵秘抄』で大河ドラマの平清盛の主題歌の最後に出てくる言葉です。

遊びをせんとや歌→https://youtu.be/MzXjTDanPVo?si=zKhU-xh3asD_-1pW

平清盛主題歌

https://youtu.be/noGtxq4YlZE?si=kC1zySri0g63nS4Y

遊びをせんとや生まれけん

戯れせんとや生まれけん

遊ぶ子供の声聞けば

我が身さえこそゆるがるれ

(後白河天皇)

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私の感じ方ですが、とても好きな歌です。

子供たちが遊ぶ姿

戯れる姿をみると

子供の様に純粋に夢中になって生きる為に生まれてきたのかも知れない

大人の私はそれを忘れて悩み苦しんだり

欲や孤独に囚われたり

無心に遊ぶ子供の声を聞いていると

思わず私も楽しい気持ちになる

人の一生はあっという間に過ぎゆくもの

ならば

子どものように純粋に今を夢中になって楽しんで生きたいものだ

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この世は夢の様に儚いもの

何一つとして握りしめている事はできない

だからこそ

一瞬一瞬を愛おしんで生きたい

人生の用意してくれる奇跡を

ありのままの自分を表現して

思うまま素直に生きたい

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今日もお読みいただきぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎✨幾つになっても子供っぽい愚かな自我の私だけど、この世の夢から覚めた時に愛さなかった後悔だけはしたくない💞✨みこりん

http://sumemima.com/すめみま🌟

2024.1.12

「平家物語」

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

(ぎおんしょうじゃのかねのこえ、しょぎょうむじょうのひびきあり。)

沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。

(しゃらそうじゅのはなのいろ、じょうしゃひっすいのことわりをあらわす。)

驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。

(おごれるものひさしからず、ただはるのよのゆめのごとし。)

猛き人も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。

(たけきひともついにはほろびぬ、ひとへにかぜのまえのちりにおなじ。)

                  

(口語訳)

祇園精舎の、無常堂の鐘の音は、諸行無常の響きをたてる。

釈迦入滅(死ぬこと)の時、白色に変じたという沙羅双樹の花の色は、

盛者必衰の道理をあらわしている。

おごり高ぶった者も、長くおごりにふけることはできない。

ただ春の夜の夢のように、はかないものである。

勇猛な者もついには滅びてしまう。

全く風の前の塵に等しい。

祇園・・・中インドの舎衛城(しゃえじょう)にあって、釈迦が説法したという大寺。

     祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)の略。

精舎・・・精錬行者の宿舎の意で、寺院の別称。

諸行無常・・・経文の中の一句。因縁によって生じ、三世を環流する一切万物は、

     生滅流転して止まることなきをいう。

沙羅双樹の花の色・・・沙羅は、梵語で高遠の意。

   1.釈迦が沙羅林の樹下で2月15日入滅したとき、釈迦の死に

     感じて沙羅樹はことごとく枯れて白くなり、白い鶴のようになったという。

     「花の色」は、「鐘の声」の対句として用いたもの。

     本来、「葉の色」とあるべきところ。

   2.また、釈迦が入滅するや、急に時ならぬ花をつけ、まもなく枯れたという

     伝説もある。