運命を超えた自己創造へ

私たちは過去の体験によって反応しています。

初めて会った人に対しても、瞬時に神経質そうだから言葉には気をつけようとか、大らかで優しそうなどと過去の体験から判断しています。

赤ちゃんはアイロンを見ても熱いから気をつけなければと思わないが教えられたり火傷をしたりして学びます。動物でも体験で学びます。

それは生きる為に必要で当たり前の事ですが、私たちは日常些細な事でも過去の体験のメガネから見て判断しながら自分を守り生きています。

まだやってもいないのに合わないからとか、〇〇になりそうだからとか、その方を深く知りもしないのに決めつけていたりします。

 

今日は生まれてからの体験ではなく過去生と呼ばれる側面からのお話で、なにもわからないで影響されてしまう体験についてお話しします。

私は過去生について透視リーディングでお伝えする事はある時からやめました。

過去の残骸に力を与えても無意味だからです。

スピリチュアルを学び始めた頃は過去生リーディングにふれる機会がありました。

みな勝手な事を言いました。

ある片側から視てその人の思考を通していますから純粋な真実ではありません。

それでも何か気づきの助けにはなるかもしれません。

他の存在からのメッセージにしてもその存在は完全に中立ではないですし、人間の媒体を通してまた歪みます。

なんでも気づきのヒントにするだけにとどめた方が過去に囚われてしまう危険性から回避出来ます。

私もリーディングを受ける側も体験しましたが、聞きながら冷めていました。それがなにか今現在意味があるの?
そういった感じが正直な反応です。

過去生を知りたがる方も多くいました。

私もリーディングしお伝えしながらも冷めていました。
その為に気づきがあればそれだけをお伝えするようになりました。

結局気づきのないリーディングは遊びです。楽しめば良いのかも知れませんが私の中では意味のない事となりました。

今は過去生のエネルギーを抜いてしまう事だけをしています。

確かにエネルギーは影響があります。

ないと言えばないかも知れませんが過去生の側面から入って解放しても自由になる助けにはなります。ただそれだけです。

抜いてしまえばその過去からの影響はほとんどなくなります。

私は過去はないと言ったりしますが、それは過去に力を与える必要がないといっているのです。

過去は私の中ではないも同然の力になっています。現在に力を集結して無駄に散乱させていないというイメージです。

過ぎた事はどんどん忘れていくのはその為です。

 

そもそも過去生とはなんでしょう?

神さまにたずねた答えは
全体としてのひとつの情報で自分の一部でもあるが今自分だと思っている意識そのままではない
と言うことでした。

過去生について色々言う方はおりますが人間の理解を超えています。

なんでも理解しようとし過ぎない事です。私も体験だけをお話しする様にはしていますが体験すら一片に過ぎません。

過去生で視た人がその方のガイドだったりもします。ガイドが過去生?

ですから過去生が自分だと思って落ち込んだり得意になったりする事は何の意味もありません。

しかし過去生は利用できます。

気づきがあれば受け取りそれでより良い人生を送れば良いですし、それを印として心の闇を解放出来るかもしれません。

病のように印として使えます。
病や体の痛みも隠れている不要なエネルギーが芋づる式に解放出来たりします。

過去生はそこに感情のエネルギーを感じる事が出来るのでより深く解放する事ができます。

(それはご自身で感じるものです。下記載の母親の様にお伝え下さるとよいです)
過去、現在、未来はそう単純ではありませんが、本に例えると少しだけイメージ出来るかもしれません。

本を手にしている状態は今です。
今この瞬間すべてがあります。

しかし内容を知るには最初から少しづつ読み体験しなければなりません。

読んでいる箇所は今を体験しています。

過去は読み終わっていますが本は手にしています。
未来はまだですが手にしています。
話題を戻して過去生についてです。

母と子の過去生での関係は、出産後に産まれた赤子との初めての対面

この時に赤子の目がすべてを物語っています。

現代は病院出産だったり自宅出産でも賑やかですし、赤ちゃんはなぜか産ぶ声をあげますから体験は難しいかもしれません。

私は長女をたった一人で月明かりの中で産み落としました。
長女と私の意思が一致して自宅で二人だけの出産という選択ができました。産まれる日も知らせてきました。
夜中に目覚め30分後に産まれ、大変な安産でした。
ほんとに自然な出産を体験したのです。

産ぶ声はあげません。
赤ちゃんは本来とても静かで落ち着いています。

彼女はじっと私を見据えました。

私は彼女の目をみて少し悲しみを感じましたが、即座に天使の微笑みを浮かべますからその一瞬で歓びと感動の時に変わりました。

これはギフトです。
恩恵です。

なぜなら過去生の記憶が、敵同士という記憶だったりもあるからです。

産まれた我が子が敵に見えたら無条件の母性で慈しみ育てる事が出来ないかもしれません。

過去のセッションお申込みで産まれた我が子を見た瞬間、憎悪が沸き起こったという方もおられました。

「今まだ1歳ですが、どうしても可愛いと思えないのです。」
その方が特別冷たい心という訳ではないのです。

こういった事は多いのです。
過去生を解放する事でそれは消えます。

しかし深いものは金太郎飴の様に何度も違う場所から出てきますからセッションはその度必要かもしれませんが次第に薄れていきます。

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写真…シモン・ヴーエ 《エスランの聖母》 1640-50年頃

内なる神の栄光
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