運命を超えた自己創造へ

プロローグーーー

真中神(まなかみ)(まなかがみ)とは、”心の力――想いを「起こす力」”です。

私たちの想いは、真中神の「想いを起こす心の力」から生まれた、二元的なもの。

真中神の愛の心とは異なり、私たちの想いは、分離をつくり出します。

けれども、その二元的なものをも含めて全てを見たとき、

ここに在るのは、真中神ただひとつ。

一元も二元も超え、

分離も統合も超え、

幻想も実在も、時も空間も超えて、

光も闇もなく、

そこにただ、真中神が在るのです。

故に――

人を「神と共に」でも、

「神の中に」でもなく、

神として見るなら、あなたは真に神を知る者です。

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物事を「神と共に」でも、

「神の中に」でもなく、

神として見るなら、あなたは真に神を知る者です。

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あなた自身を「神と共にある」でも、

「神の中にある」でもなく、

神として見るなら、あなたは真に神を知る者です。

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不思議なことに、真中神は純粋な愛(生命いのち)そのものゆえ、

二元の現れとして生じた幻想を知りません。

なぜなら、真中神は「愛」そのものであり、

愛と幻想は、もとより相容れないからです。

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自我が静まり、分離という夢が溶け去るとき、

私たちはその時に初めて気づくのです。

――真中神は愛でしかなかった。

この世界も、私も、その愛であり、

はじめから別なるものは、何ひとつなかったのだと

IMG_9201

真中神の力🌊

真中神は愛そのものです。

けれど、その「愛」とは人間的な情愛ではありません。

「あなたはこのままで完全です」と、静かに抱きしめられるような深い安心――。

その愛をほんとうに感じたなら、

何もかもを投げ出して「お父さん、お母さん」と御胸へ飛び込みたくなるほどの、

限りない深く広大無限な愛なのです。

(人や動物が亡くなるとき、その神の愛がやってくるのを見る体験をすることがあります。その愛にさえ背を向け、この世にしがみつく霊もいます。それもまた恐れによる幻想にすぎませんが、エゴの抵抗がいかに強いかが分かります。

そのエゴさえも、実は真中神の「想いを起こす力」によって私たちの思いとして二元の中に現れたものなのです。)

真中神は人格を持つ神ではなく、永遠の今のすべてです。

生命(いのち)そのものであり、豊かさであり、喜びであり、叡智であり、平安そのもの。

あるとき、さらにその本質を尋ねました。

「真中神とは?」

すると応えはひとこと――**『力』**でした。

以前、真中神を海にたとえたことがあります。

その海に現れている波🌊こそ、私たち(肉体=自我)や自然、あらゆる神々の姿。それらは現れては消える波のよう

その“波を起こす力”――その源こそが、真中神の力なのです。

その力は、キリスト教で「山をも動かす力」と呼ばれている、それなのかなと思います。

けれど実際には、山どころではない。

創造そのものを起こす無限の力なのです。

IMG_9226(昨日もお仕事の後に私のお庭のお友達に会いに行ってきました🐠)

そしてこの「波」🌊のもう一つの側面が、心の力です。

この心の力を、決して侮ってはなりません。

私たちの想いが生まれるその源には、

真中神の力(波🌊を起こす力)がはたらいているのです。

だからこそ、良い悪いにかかわらず、

私たちの思いは現実化していくのです。

⚠️ただし、ここで大切なのは――

「真中神の心」と「自己の思い込みによる想念」は違うということ。

私たちは、この心の力をエゴの願いや恐れに使い、

幻想の世界を創り出してしまいます。

それは真中神の創造ではなく、夢のような影にすぎません。

✨真中神は幻想をご存じありません。

なぜなら、真中神は「愛」そのものであり、

愛は幻想に関わることができないからです✨

IMG_9229(すみだ水族館とエイ 宇宙を連想させる異次元に飛び込んだよう🐟)

そこで――**真我霊(まがたま)**が登場します。

「なぜ真中神と真我霊を分けて呼ぶのですか?」と尋ねられることがあります。

それは、真中神が宇宙全体の“源”であり、

真我霊はその神の“顕れ”として、はじめから私たちの内に輝いているからです

真中神はあまりにも大いなる愛そのものであり、

その純粋さは、分離という夢を見ている心には直接届きにくいのです。

そこで真中神は、ご自身の純粋な御身そのものを、

真我霊として顕されたのです。

それは、与えられたものではなく、

はじめから共に在り、今も変わらずひとつの光なのです。

真我霊は、真中神が創造したままの私たちの本質そのもの。

真中神を映し出す天の国をあらわし、

その栄光を讃美するために存在しています。

真我霊は、真中神の愛そのもの。

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私たちがこの世で創り出した幻想に怯えているときも、

まるで母が子を包むように、やさしく語りかけてくれます。

この世で自ら作り出した悪夢にうなされている私たちを、

静かに包み、カーテンを開けて神の愛の朝日を招き入れ、

こう語りかける母のようです。

「もう大丈夫。泣かないでね。お母さんがここにいますから、安心しなさい。」

真我霊は、真中神そのものの愛の現れです。

私たちの過ちもよく知っており、

それを決して裁くことなく、何も取り上げることなく、

ただ静かに、愛へと導いてくれます。

IMG_9232(チンアナゴの日11月11日記念パフェ)

私たちには――

真中神の無限の愛の力があります。

それを正しく表せるように、真我霊がいてくれます。

そのまま正しく表すには、ひとつしかありません。

愛で繋がることだけ。

“愛は愛としか繋がることができません”ですから愛の目で真我霊の眼差しで全てを見るーーその事により”力”は元々ある通り働きます。

(真中神の愛は幻想を知らないのです。)

真我霊は、あなたの中にある真中神の純粋な愛の力です。

運気上昇も、最高の現実も、

あなたが頑張らなくても、

それは元々与えられているのです。

天地をも揺るがす創造の力が、いま、静かに働いているのです。

だから、恐れる必要はありません。

厄のほうが恐れて離れていきます。

これらも幻想の想念が起こすからです。

あなたがただ気づき、

その愛の御胸に飛び込むだけでいいのです

今日もお読みいただきぁㇼゕ̎と੭ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎

プロローグは自分の内から自分に向かって語ったものです。できる限り分離を超えた視点から綴られています。

いつも使ってる「助けてもらう」「内にある」といった真中神、真我霊と分離した表現は、分離次元から見た場合の見方であり、あくまで理解の橋渡しです。

すめみま🌟

参考Blog↓

『真中神を知るものは真中神』

https://sumemima.com/?p=22239

2025.11.6