母は毎日雑事に追われて大変忙しい毎日を過ごしています。
私が家事をこなせば良いのですが、なかなかそうもいきません。
妹の命日も気にはしていたのですが忙しさに追われ翌日のお墓まいりとなりました。
命日は霊界でも特別な日の様です。
その夜部屋でメールをしているとアイホンが煙のように消えて次元が変わってしまいました。
そこには妹が立っていて「これお母さんに渡して」と言って小さく畳んだ紙を差し出しました。
私が開いて見ると、命日の日に母が食べたものすべてが書き記してありました。
瞬時に分かってるよ!みてるよ!
そう言ったアピールだなぁと分かりました。
妹の場合は生前から「自分が死んだらアクセスするからね〜(^^)」そう言っていました。
ですからこの世界へアクセス出来ない次元にはまだ行きたくないのです。
私のガイドも成仏セッション時にここまでにしなさい、と止めました。
それぞれ理由があるのかも知れません。
以前書きましたが、霊界には妹の家があります。創造性に富んだ素敵な部屋で仲間もいます。
いつもはこちらの世界の事をすっかり忘れてあちらの世界が現実になっています。
でも命日は特別ベールが薄くなるのかも知れませんね。
私は食べ物を書いていることが彼女らしく笑えました。
後日弟にも話しましたが、食べ物かよ〜と大笑いでうけていました(^o^)
気づいて見ると部屋はもとの部屋に戻っていました。
私は早速母にその事をはなしました。
母は「はいはい、昨日お墓まいりしましたからね。」と洗濯機から洗濯ものを取り出しながら言いました。
頑張ってアクセスしたのにそれだけ?と私が言うと「忙しくてそれどころじゃあないのよ、こっちは忙しいのだから(笑)」
まぁいつもこんな感じです。
死んだらおしまいですね(笑)
生きてる人は忙しいのだから
(いつまでも亡くなった方に執着していると亡くなった方もこの世界にとらわれて先に進めなくなります。同じ想念は強固に結合するのです。)
母は私が言うのもなんですが、とても慈悲深い人です。
でも忙しいというのもありますが、とらわれていない人です。
だからやってこれたのです。
ここではお話しませんが、普通以上に色々ありました。ご相談にいらっしゃる方のベスト10には入る人生です。
とらわれないというのは素晴らしい事です。自ら作った苦しみや痛みによって汚しません。
どの様な出来事かではなく自分がどう捉えるかで全く違ってきます。
うちの話でちょっとした事ですが、本当にとらわれないなーといつも思うので書かせていただきました。
何かあった時には愛を持って誠心誠意その時向かいます。
でもそこから離れたらその事はあまり考える暇がないのかも知れません。
母は元々そうですが、解放していくととらわれている方も脳の再構成によりとらわれない頭になっていきます。
真っ白で今の瞬間だけ明晰なのです✨
HP Blogより
完全性の中にただ在る✨
すめみま