今日は真中神(真我)と繋がる為の制限の解放は果たして必要かと言う話です。
この世界は”あなたと私は違うのよ”と言う分離を経験する世界です。
ここでは神さまと私も違うと感じます。手の届かない世界と感じてしまいます。
出来るだけ分離を弱めて真中神との一体的感覚を構築する為には、分離の世界を生きる私たちは制限を手放す(解放)事が必要なのです。
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この宇宙のすべてが私という感覚は事ある毎に訪れます。これはすべてはひとつの意識を感じているからです。
なにも制限する事はなく
恐れる事もない
悪も善も一つに丸ごと愛おしい様な不思議な感覚
全体が私という感覚です。
それは私が不要なものとして解放しているものも含まれた灰色の世界もすべてです。
果たして制限解放は必要なのか?この制限のない意識レベルではそれはどうでも良いとことで、この愛おしい世界で遊んでいる
そんな感覚です。
私はセッションでその方の真中神とお繋ぎする為に、不要な制限や契約を解放します。
溜め込んだ想念だけでなく、スピリチュアルワークでついた真中神との間に覆う世界は制限になると見せられる為に取り除きます。
制限となるものを真中神に見せてもらうのです。
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全体が私と言う感覚の時は
この世の闇も人間の作った悪魔的な存在も、あらゆる見えない世界も
すべてが遠い世界の私だった(今の瞬間含め)
様々な宗教の神も
宇宙人も亡くなった人達も
人も花も動物も
なにもかも
全部がわたし
それも部分で感じるのではなく
包括して私
そういった感覚です。
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そうすると真中神と繋がる制限として排除する必要はないのでは?と思うかもしれません。
究極的には包括している自分自身なのでそう理屈では考えられます。
しかし、実際”分離を生きる意識レベル”では真中神と繋がる制限は確かにあるのです。
私たちは本来真中神ですが、人間を何百世もやっているとどうしても様々な穢れで覆われてしまいます。
真中神との繋がりは溜めてきた度合いでそれぞれ違うとも言えます。
本来の自分自身を生きる制限になると表現した方が良いかも知れません。
透視で視てもその方のエネルギーの大きさや光の強さで度合いは分かります。真中神の光輝くエネルギー状態に近づく度合いとして現れます。
制限の度合いにより、自我である”部分の自分自身”で頑張らないといけない状態です。
愛の気づきも入ってきにくいので苦しみも自分ですべて背負っている様な孤独な気持ちになります。
その為に本来の自分自身を生きる”効率良い方法”として直に繋がる事を妨げているものを視て解放していく事をさせて頂いてます。
実は制限はみなさんが思うより沢山ありますが、魂はそれでも源に戻ろう戻ろうと働きます。
それがカルマ解消の為に起こる一見悪い出来事です。
分離の強い意識レベルで真中神との直接のコミュニケーションが大きく制限されている状態から、”すべては私”の意識レベルに飛び級でいく事は普通ないです。
部分の意識から事故などで突然に全体の意識に開いてしまう可能性はありますが、危険を伴いますし、一過性のものだったりします。
自分という拠り所が突然分からなくなるのは強烈な恐れです。その為に精神を病む可能性もあるからです。
そう考えると自我は自分を守り自分という者をしっかりさせる心のたくましい拠り所ですね。真中神と繋がり導いてもらう事で自我は純粋無垢な愛を知り学ぶのです。
今日この様な話を書きたくなったのは、今日は冬至でした。だからですね❣️
内側に深く入る日です✨みなさまも深く自分の内部に入り、自分自身の本当の声を聞いてあげて下さい👍
今日もお読み頂きぁㇼゕ̎と੭່ごㄜ¨ぃまਭෆ❛ั︎◡︎❛ั︎ෆ✩⃛︎*⁎✨💓巫女凛
すめみま🌟http://sumemima.com/
2022.12.22